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◆第38話「ランバート子爵の優雅で残酷な朝食」

 ファビアンを嘲笑し、夜会から帰宅した翌朝。ランバート子爵家の朝は、重苦しい静寂に包まれていた。食堂の長テーブルには、銀の食器が並べられている。代々受け継がれてきた、ランバート家の歴史そのものといえる重厚なカトラリーだ。だが、その皿の上にあるのは、薄くスライスされた黒パンと、具の少ないスープだけだった。


「……セバスチャン。今朝のスープは、少し中身が足りないのではないか?」


 上座に座るランバート子爵が、ガウンを羽織りながら不満を漏らした。もう十分暖かい季節なのに、あたかも石造りの壁から冷気が染み出し、吐く息が白くなるのではと思えるほどに寒々しい感じの食卓だった。


 年老いた執事セバスチャンは、痛ましげに頭を下げた。

「申し訳ございません、旦那様。……食材の在庫が心もとなく。来週の『茶会』のために、節約をしておりまして」

「また節約か。たかが野菜ひとつ、農民どもに言って持ってこさせればよかろう」

「それが……農夫のトムが、一家で夜逃げをいたしました」

「何だと?」


 子爵の手が止まる。

「トムだけではありません。裏の畑を耕していた小作人の一家も、羊飼いの兄弟も……今月だけで三家族が領地を去りました」

 セバスチャンは、まるで自分の身を切り刻むように報告を続けた。

「皆、行き先は同じです。王都の『工場街』です」


 ガシャン!子爵はスプーンを叩きつけた。

「……おのれ、イモ屋め! すすと油の臭い街め!」


 ギリギリと歯ぎしりをする音が響く。ランバート子爵家は、由緒ある「土地貴族」だ。広大な農地を持ち、そこからの地代(作物の上がり)で優雅な生活を送るのが、彼らのスタイルだった。だが、その前提が今、音を立てて崩れ去ろうとしていた。


 原因は「産業革命」という名の怪物だ。藤村蓮やファビアンの工場が提示する「現金給与」は、泥にまみれて働く農民たちにとって、あまりに魅力的だった。若者は土地を捨て、都市へ流れる。領地に残ったのは、動けない老人と、土地への執着が強い頑固者だけ。働き手が減れば、当然、収穫量は減る。


 さらに追い打ちをかけたのが、「価格のハサミ状格差」だ。


「旦那様。今年の小麦の売上ですが……昨年の六割減となります」

「収穫が減ったからか?」

「それもありますが……単価が暴落しております。市場では、あの『即席イモラーメン』とかいう安価な食料が溢れておりまして……。高い小麦を買う者が減っているのです」


 収入は激減した。だが、支出は減らない。いや、減らせないのだ。貴族として舐められないためには、夜会を開き、最新流行のドレスを妻に着せ、馬車を仕立て、屋敷を維持しなければならない。もし「ランバート家は落ちぶれた」と噂が立てば、銀行からの融資は止まり、社交界での居場所を失う。それは貴族にとって「死」と同義だ。


「……昨夜のファビアンへの借金返済は、どうした」

子爵は、震える声で尋ねた。昨夜、大勢の前でファビアンを罵倒し、返済を待たせたあの件だ。


「は……。手形の書き換えで、なんとか猶予を。ですが、利息が……」

「くそっ! あの成金め!」


 子爵は頭を抱えた。昨夜、彼はファビアンを見下し、嘲笑った。だがそれは、余裕の表れではない。恐怖の裏返しだったのだ。金を持っているのはファビアンだ。実質的な力を持っているのもファビアンだ。ランバート子爵が持っているのは、「過去の栄光」と「紋章」という、実体のないメッキだけ。そのメッキが剥がれれば、自分はただの借金まみれの無能な老人になる。だからこそ、彼は必死に虚勢を張った。「身分」という最後の砦に立てこもり、金しかない商人を罵ることで、かろうじて自分の優位性を保とうとしたのだ。


(私は……私たちは、食い殺されるのか? あの煤けた連中に)


 子爵は、壁に飾られた先祖の肖像画を見上げた。甲冑を着た勇ましい曽祖父。彼らが剣で守ってきた領地は今、誰も耕す者のいない荒野になりつつある。


「……セバスチャン」

「はい」

「アンリエッタの宝石箱を持ってきなさい。……『茶会』の費用を捻出せねばならん」

「旦那様、あれは奥様が一番大切にされている……」

「分かっている! 分かっているが……やらねばならんのだ!」


 子爵の叫び声が、冷え切った雰囲気の食堂に虚しく響いた。プライドを守るために、資産を切り売りする。それは、沈みゆく船の板を剥がして燃料にくべるような、破滅への緩やかな行進だった。


 窓の外では、遠く王都の方角から、工場の煙突の煙が上がっているのが見える。かつては「汚らわしい風景」だと鼻で笑っていたその煙が、今は、子爵の首を真綿で絞めるロープのように見えた。


「……時代が、狂ってしまった」


 子爵は冷めたスープを口に運んだ。味はしなかった。ただ、喉の奥に、敗北の味が苦く広がっただけだった。

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