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◆第8話「止まらない熱意と、未来への希望」

 ジャガイモの植え付けが終わった翌日の午後。蓮は官舎の机に向かい、芋類百科事典を広げていた。ページの写真を眺めていると、胸の奥がふっと軽くなる。

(……やっぱり芋は最高だな)


 思わず零れた呟きに、対面で羊皮紙を整えていたエリシアが、羽ペンを止めて顔を上げた。


「藤村殿。一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」

「ん? どうぞ」


 エリシアは真面目な表情のまま、淡々と問いを重ねる。記録係の顔だ。


「あの……ジャガイモは、どれほどの収穫が期待できるのですか?」

「収穫量ですか? ああ、そうですね……」


 蓮は少し考えるように視線を上げ――次の瞬間、目がきらりと光った。



「ジャガイモはですね! まず、一株で――だいたい、五百グラムから一キロくらい取れるんですよ!」

「……は、はい……」


 突然の熱量に、エリシアのペン先が一瞬止まる。だが蓮は止まらない。むしろギアが入った。


「で、植え方にもよるんですけど、一平方メートルあたり四株から五株くらい入ります。つまり……一平方メートルで、二キロから五キロの収穫!」

「……二、から、五……」


 エリシアは慌てて書き始める。書きながら、眉が少しずつ上がっていく。


「小麦とか大麦って、一平方メートルあたりの収穫は――だいたい二百から三百グラムくらいですよね?」

「そ、そうですね……その程度と聞きます」

「だから、単純に“重さ”で比べるとジャガイモは十倍近いこともあるんです!」


「……じゅ、十倍……?」


 エリシアの目が見開かれた。蓮はそこで一度だけ冷静な顔を作り、付け加える。


「もちろん芋は水分が多いので、正確に言うならカロリー比較にすると二〜三倍くらいです。でも――それでも十分すごいでしょう!?」

「……は、はい……すごい、です……」


 エリシアのペンが、すでに早口の蓮に追いついていない。



「それに! ジャガイモは寒さに強いんです!」


 蓮は立ち上がって窓の外を指さした。春とはいえ、朝晩はまだ冷える。

「北の寒い土地でも育つ! 麦が育ちにくい土地でも、ジャガイモなら成り立つ! しかも生育期間が短い! 春に植えたら――夏には掘れる!」

「春……夏……短い……」


 エリシアの書く手が、ついに震え始めた。蓮はその様子に気づかず、次のページをめくる。赤紫の芋の写真。


「それから! 次に植えるサツマイモはですね!」

「……サツマイモも、ですか……?」


 エリシアが恐る恐る顔を上げる。だが蓮の顔は、さらに輝きを増していた。

「サツマイモは逆に、暖かい土地向き! 痩せた土地でも育つ! 干ばつにも強い! 砂地でもいける!」

「やせた……土地……干ばつ……砂地……」


「収穫も――うまくいけば一株で二キロ三キロいくこともあります。つまり一平方メートルで、五キロとか十キロとか……夢がある!」

「ご……五……十……」


 エリシアのペンが一瞬、羊皮紙の上を滑って、変な線を引いた。



「つまりですね!」


 蓮は両手を広げた。もう講義というより演説だ。

「ジャガイモとサツマイモを組み合わせれば、同じ面積で、麦だけのときより二倍三倍の人口を支えられる可能性があるんです!」


 エリシアは完全に記録が追いつかなくなり、羊皮紙を二枚、三枚と追加した。

「に、にばい……さんばい……」


 だが、その手がふと止まる。


(……二倍、三倍……)


 エリシアの脳裏に、雪に埋もれた小さな墓標が浮かんだ。あの冬、祖父の領地で麦が腐り、豆が枯れ、蔵が空になった、あの年の冬。もし、この芋があったなら――


「エリシア殿?」


 蓮の声に、彼女は我に返った。

「す、すみません。少し……手が追いつかなくて」


 蓮は気づかない。エリシアの握る羽ペンが、わずかに震えていたことに。

 蓮はそのまま話を続ける。

「しかも! ジャガイモは北で、サツマイモは南で! 気候に合わせて使い分けられる! これって、すごくないですか!?」

「す、すごい……です……が……」


 エリシアは羊皮紙の端に、小さく付記した。

 ――藤村殿、芋の話になると止まらない。


 蓮の言葉は続く。

「それに保存もできる! 涼しい場所なら数ヶ月持つ! サツマイモも貯蔵の仕方次第で長くいける! 冬の食料になる!」

「す、すうヶ月……冬……」


「調理法も多彩! 蒸す、焼く、煮る、揚げる! どれも美味しい!」

「む、むす……やく……にる……あげる……」


 エリシアの羊皮紙は、もはや殴り書きの嵐と化していた。


「ジャガイモはホクホクで、サツマイモは甘くて、どっちも栄養が――」

「藤村殿!」


 ついにエリシアが声を上げた。



 蓮ははっとして口を閉じた。エリシアを見ると、額にうっすら汗を浮かべ、羊皮紙を三枚広げ、羽ペンを握ったまま肩で息をしている。


「……あ」

 蓮は我に返った。

「す、すみません……つい、熱くなってしまって……」


「いえ……」


 エリシアは深く息を吐き、ペンを置いた。疲れたような、しかしどこか温かい目。


「……藤村殿の、芋への情熱は。よく伝わりました」

「本当にすみません。僕、芋のことになると……」

「存じております」


 エリシアは小さく笑った。



 少し落ち着いた頃、エリシアは羊皮紙を揃えながら、静かに言った。

「……藤村殿。もし、その数字が本当なら」

「はい?」

「この国の飢饉は――大きく改善されるかもしれません」


 蓮の表情が、すっと真面目になる。


「……そう思います」

 蓮は頷いた。

「僕の世界でも、ジャガイモが人を救った例はたくさんあります。サツマイモも同じです。だから……この世界でも、きっと」


「ええ」

 エリシアも頷く。

「だからこそ、慎重に、正確に記録しなければなりません。藤村殿の情熱を、数字と事実として残すために」


 蓮は胸の奥が温かくなるのを感じた。


「ありがとうございます、エリシア殿」

「いえ。これが私の仕事ですから」



 その夜、エリシアは殴り書きの羊皮紙を清書し直した。蓮の熱弁は整理され、読みやすい記録に整えられたが――それでも行間から、芋への情熱だけは滲み出ている。記録の最後に、エリシアは一文を添えた。


 ――藤村殿は、芋を“作物”ではなく“希望”として語る。

 ――その希望が、いつか多くの人を救う日が来ることを、私は信じる。


 蓮はそれを読み、少し照れくさそうに笑った。


「……大げさじゃないですか?」

「いいえ。事実を記録しただけです」


 エリシアは微笑む。


 窓の外では、植えたばかりのジャガイモが、きっと小さな芽を出し始めている。その小さな緑が、やがて大きな希望へと育つことを、そして希望は時に秩序を揺らすことを――二人はまだ知らない。

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