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◆第36話「釣り合わない不安と、真っ赤な告白」

 その次の休日の昼下がり。カイとアンナは、王都の中央公園のベンチに並んで座っていた。先ほど市場で買った焼き栗を二人で分け合い、他愛もない話をしている。穏やかで、幸せな時間だった。

「ねえ、カイ君。来週の新製品ラインの件だけど……」

 アンナが仕事の話を始めようとした時、カイは黙ったまま遠くを見つめていた。その横顔には、どこか翳りがあった。

「……カイ君?」


「あ、ああ。ごめん」

 カイは慌てて笑顔を作ったが、その笑みは硬かった。アンナは小首をかしげた。

「何か、悩んでる? 工場のこと?」


「いや……その、工場じゃなくて」

 カイは焼き栗を握りしめたまま、言葉を探した。そして、意を決したように口を開いた。

「……アンナさんって、すげぇよな」

「え? 何が?」

「だって、元貴族のお屋敷で働いてたんだろ? テーブルマナーとか、言葉遣いとか、立ち居振る舞いとか……俺みたいな田舎育ちとは、全然違う」


 アンナは目を瞬かせた。カイの声には、どこか自嘲的な響きがあった。

「それに、アンナさんは頭もいい。共済の帳簿つけたり、交渉したり……俺なんて、風を送ることしかできないのに」

「カイ君、それは……」

「俺さ」

 カイは拳を握りしめた。

「前に、アカデミーから『戻ってこい』って言われたの、断っただろ? あの時は、工場の方が俺を必要としてくれてるって、胸張って言えたんだ」


 カイは、自分の手を見つめた。油で黒ずんだ爪、魔力の使いすぎで荒れた指先。

「でも最近、考えるんだ。もしかして……俺、このままでいいのかって。アカデミーの肩書があれば、もっと立派な人間になれたかもしれない。そうすれば……」

 カイの声が小さくなる。

「アンナさんと、もっと……釣り合う人間になれたかもって」


 その言葉を聞いた瞬間、アンナの表情が変わった。眉をひそめ、真剣な目でカイを見つめた。

「……カイ君。私の顔を見て」

「え?」

「いいから」

 アンナはカイの肩を掴み、無理やりこちらを向かせた。至近距離で見つめ合う形になり、カイの顔がみるみる赤くなる。

「あ、あの、アンナさん……?」

「よく聞いて」

 アンナは、一語一語を噛みしめるように言った。


「私は、アカデミーの魔道士だったカイ君を知らない。この工場に来る前のカイ君も知らない。私が知っているのは、今ここで一生懸命働いているカイ君だけ」

 アンナの瞳が、真っ直ぐにカイを射抜く。

「毎朝誰よりも早く来て、排気ラインの点検をしているカイ君。魔力が尽きそうになっても、『もうちょっと頑張れる』って笑ってるカイ君。困ってる新人に優しく教えてあげるカイ君」

 アンナの声が、少し震えた。

「私が好きになったのは……工場で働いているカイ君なのよ」

 その瞬間、世界が止まった。


 カイの目が大きく見開かれる。アンナも、自分が何を言ったのか理解した瞬間、顔が真っ赤に染まった。

「あっ、ちが、違うの! 今の『好き』っていうのは、その、恋人とかそういう意味じゃなくて! 同僚として、というか、仲間として、その……!」

 アンナは必死に両手を振って言い繕おうとしたが、カイは黙ったまま、ゆっくりと立ち上がった。

「か、カイ君……?」

 次の瞬間、カイの腕はアンナを抱きしめていた。

「えっ……きゃっ……!」


 驚いて声を上げるアンナ。公園を散歩していた人々の視線が集まる。だが、カイは気にせず、アンナの背中に腕を回したまま、その耳元で囁いた。

「……ありがとう、アンナさん」

 カイの声は震えていた。

「俺、ずっと不安だったんだ。アンナさんは優雅で、綺麗で、頭が良くて……俺なんかじゃ、隣に立つ資格ないんじゃないかって」

 カイはアンナを抱く腕に、少しだけ力を込めた。

「でも、アンナさんが見てくれてたのは……ボロボロの作業着着て、油まみれになってる俺だったんだな」

「う、うん……」


 アンナは真っ赤な顔のまま、小さく頷いた。カイの胸に顔を埋めたまま、彼の心臓の音が聞こえる。早鐘のように打っている。

「俺も……」

 カイは、アンナの髪に顔を埋めた。石鹸のいい匂いがする。

「俺も、アンナさんのこと……好きだ」

 その言葉に、アンナの体がビクンと震えた。そして、カイの作業服の背中を、ぎゅっと掴んだ。

「……ずるいわよ、カイ君」

 アンナの声が、くぐもって聞こえる。

「私が恥ずかしくて言い繕ってる時に、そんな……はっきり言うなんて……」

「ごめん。でも、我慢できなかった」

 二人はしばらく、そのまま抱き合っていた。公園を行き交う人々が、微笑ましそうに、あるいは羨ましそうに見ていく。だが、二人にとって、今この瞬間、世界には自分たちしかいなかった。


 やがて、アンナが小さな声で言った。

「……カイ君。みんな見てるわよ」

「あ……」

 我に返ったカイは、慌ててアンナから体を離した。二人とも顔は真っ赤で、目を合わせることができない。

「その……ごめん。いきなり抱きしめて……」

「ううん。……嫌じゃなかったから」

 アンナは俯いたまま、髪を耳にかけた。その仕草が、やけに色っぽく見えて、カイはまた顔が熱くなった。


 しばらく沈黙が続いた後、アンナがポツリと言った。

「……工場、戻ったら、みんなにからかわれるわね」

「え? なんで?」

「だって、こんなに人がいるもの。誰か工場の人が見てたかもしれないじゃない」

 その言葉に、カイも周囲を見回した。確かに、見覚えのある顔がチラホラ……。


「う、うわあああ! 明日から地獄だ!」

「自業自得よ、馬鹿」

 アンナは笑いながら、カイの手をそっと握った。カイも、恥ずかしそうに笑いながら、握り返した。

 二人の手は、油で汚れていて、決して綺麗ではなかった。でも、その温かさは、どんな宝石よりも尊いものだった。

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