◆第30話「メイドたちの静かなる脱走」
即席ラーメンの製造ライン(非魔法工程)が拡大するにつれ、蓮の工場では新たな求人が出されている。『麺の製造・梱包スタッフ募集。経験不問。女性歓迎。定時終業』
蓮は当初、近所の主婦や農家の娘たちが集まると予想していた。だが、面接会場に現れたのは、予想外の層だった。
清楚なロングスカート、手入れされた髪、そしてどこか品のある所作。彼女たちの多くは、貴族の屋敷で働いていた「メイド」たちだったのだ。
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面接室で、蓮は一人の若い女性――アンナと向き合っていた。彼女の手は白く、荒仕事に慣れているようには見えない。
「……アンナさん、でしたね。前職は、ハルバート子爵家のメイド長補佐とお聞きしましたが」
「はい。昨日、暇をいただいて参りました」
アンナは背筋を伸ばして答えた。
蓮は履歴書代わりの羊皮紙を見ながら尋ねる。
「うちは工場です。油の匂いはつくし、夏は暑い。単純作業の繰り返しです。綺麗なお屋敷での仕事に比べれば、環境は悪いと思いますが……」
アンナは、少しだけ目を伏せ、それから意を決したように顔を上げた。
「……工場長様。ここの機械は、夜這いをしますか?」
蓮は息を呑んだ。
「……え?」
「ここの製麺機は、私のスカートの中に手を入れますか? ここの乾燥炉は、些細なミスで熱湯をかけたり、食事を抜いたりしますか?」
淡々とした口調だった。だが、そこには隠しきれない深い傷と、静かな怒りが滲んでいた。
「お屋敷は、綺麗です。でも、そこは『鳥籠』でした。旦那様のご機嫌ひとつで、私たちの体も心も踏みにじられる。24時間、眠っている時でさえ、呼び鈴が鳴れば飛び起きなければならない……」
アンナは、工場の窓から見える製造ラインを見つめた。そこでは、女性たちが汗を拭いながら、しかし大声で笑い合いながら麺を運んでいる。
「この職場には、『始業』と『終業』のベルがあると聞きました。仕事が終われば、誰のものでもない『私』に戻れると」
彼女は蓮に向き直り、深く頭を下げた。
「油汚れなんて、石鹸で落ちます。でも……心の汚れは落ちません。どうか、私をここで働かせてください。私は、人間として働きたいのです」
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採用されたのはアンナだけではなかった。工場という職場の噂を聞きつけたメイドたちが、次々と屋敷を辞め、あちこちの工場の門を叩いたのだ。
「給金は少し下がってもいい。自由が欲しい」
「主人に殴られない場所に行きたい」
彼女たちは、エプロンドレスを作業着に変え、髪を頭巾でまとめた。貴族の家で培った「丁寧さ」や「気配り」は、蓮の工場の梱包ラインで意外な才能として開花した。商品が割れないように詰める手際、不良品を見逃さない検品能力。彼女たちは優秀な工員となった。
◆
一方、王都の貴族街では、深刻な事態が起きていた。「使用人不足」である。
ある伯爵家のサロンで、着飾った婦人たちが不満を漏らしていた。
「信じられる? うちのメイドが三人同時に辞めたのよ!」
「うちもですわ。料理番の娘まで、『工場に行きます』だなんて……」
「嘆かわしいこと。由緒ある家で奉公できる名誉を捨てて、あんなイモ臭い工場で働くなんて、正気とは思えませんわ」
彼女たちは扇子で顔を仰ぐ。
「おかげで、自分でお茶を淹れなければならないなんて……」
「募集をかけても、誰も来ないのよ。最近の平民は、質が落ちたわね」
彼女たちは気づいていなかった。「質が落ちた」のではない。「選択肢ができた」のだということに。これまでは、生きていくために理不尽な屋敷にしがみつくしかなかった。だが今は、工場がある。嫌なら辞めて、あそこへ行けばいい。その選択肢の存在が、貴族と使用人の絶対的な主従関係を、根底から崩し始めていた。
◆
工場の夕暮れ。終業のベルが鳴り響く。
「お疲れ様でしたー!」
「アンナさん、これから一杯どう?」
「ええ、行きます!自分の稼ぎで飲むエールは、格別ですもの」
作業着姿の元メイドたちが、笑顔で工場から出てくる。その顔に、かつての陰りはない。蓮とエリシアは、その光景を見送っていた。
「藤村殿」
エリシアが静かに言った。
「あなたはまた、すごいことをしましたね」
「僕はただ、人手が欲しかっただけだよ」
「いいえ。あなたは彼女たちに『逃げ場所』を作ったのです」
エリシア自身も、かつて没落という運命に翻弄された身だ。だからこそ、分かるのだろう。
「即席ラーメンは、兵士の腹を満たすだけじゃなかった。……女性たちの鎖も断ち切ったんですね」
工場の煙突から上がる煙は、自由の旗印のように空へ伸びていた。産業構造の変化は、ついに社会階級と人権の領域にまで及び始めていた。




