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◆第28話「スラムの錬金術師と封印の証」

 王都の貧民街スラムの最奥。腐った板切れで塞がれた廃屋の地下室に、その「工場」はあった。部屋中に充満するのは、鼻が曲がるような刺激臭と、甘ったるい薬草の匂い。薄暗いランプの下で、ツギハギだらけの奇妙な蒸留器が不気味な音を立てている。


「ヒッヒッヒ……。今日も売れる、飛ぶように売れるぞぉ」


 歪んだ笑みを浮かべて液体を瓶詰めしているのは、薄汚れたローブを纏った男、ジャグロだった。かつて王立アカデミーの用務員をしていたが、実験器具を盗んで追放された、自称・錬金術師だ。彼が使っている蒸留器のパイプは、古い水道管を加工した鉛製。原料は、家畜の餌用の腐りかけの芋と雑穀。そこに、麻痺作用のある「痺れ草」のエキスを垂らす。


「本物の酒なんて高くて飲めない貧乏人には、これがお似合いだ。一口飲めば嫌なことも忘れられる、魔法の水だぞぉ」


 ドォン!! 廃屋の腐った扉が、ファビアンの私兵が振り下ろした戦斧によって粉砕された。もうもうと舞い上がる土煙の中、地下室に充満していた悪臭が一気に噴き出してくる。


「な、なんだ!? 衛兵か!?」

 地下室の奥で、ツギハギだらけの蒸留器を操っていた男――元アカデミー用務員ジャグロが、腰を抜かして悲鳴を上げた。


「い、いいえ。もっと怖いところですよ」

 煙の中から現れたのは、ハンカチで口元を押さえた蓮、憤怒の形相のファビアン、そして氷の微笑を浮かべたマルクスだった。


「ひっ……!」

 ジャグロは後ずさり、蒸留器を守ろうとした。

「で、出て行け! ここは俺の城だ! 俺の研究室だぞ!」


 蓮は無言で蒸留器に歩み寄り、パイプを指でなぞった。鉛色の粉が付着する。

「古い水道管の廃材か。やはり鉛が溶け出している。それに……」

蓮は溜まっている液体をビーカーに取った。

「この刺激臭。沸点の低い『初留』をカットしていないな。メタノール濃度が高すぎる。あんたが作っているのは酒じゃない。失明薬だ」


 ジャグロは顔を真っ赤にして反論した。

「う、うるせぇ! 捨てるなんてもったいねぇだろ! それに、これは貧しい連中のための酒なんだ! あいつらは安けりゃ文句言わねぇんだよ!」


「文句を言わないんじゃない。言えなくなるんだ、死ぬからな」

ファビアンが進み出て、ジャグロの胸ぐらを掴み上げた。

「貴様のそのケチ臭い『もったいない』のせいで、私の工場の熟練工が何人倒れたと思っている。……彼らが生み出すはずだった利益、貴様の薄汚い命で払えるのか?」

「ひ、ひぃぃ……!」


 暴力的な威圧感にジャグロが震え上がった時、マルクスが静かに割って入った。

「そこまでだ、ファビアン殿。暴行罪をおかす必要はない」


 マルクスはジャグロを見下ろし、一枚の羊皮紙を広げた。

「ジャグロ。貴様の言い分は聞いた。『正規の酒が高すぎるから、貧民のために安く作った』。……美談だな」

「そ、そうだろ!? 俺は慈善事業家だ!」

「だがな」

マルクスの声が低く、重くなった。

「なぜ正規の酒が高いか知っているか? そこには、国民の健康を守るための管理コストと、この国を運営するための『税』が含まれているからだ」


 マルクスは蒸留器をコツンと杖で叩いた。

「貴様は安全基準を無視し、設備投資もせず、そして何より――本来国家に入るはずの巨額の酒税を掠め取った。貴様のやっていることは慈善ではない。国家への反逆だ」


「そ、そんな……税金なんて……」

「言い訳は地下牢で聞こう。……連行しろ」

 マルクスの部下たちがジャグロを取り押さえ、手枷をはめる。ファビアンの私兵たちが蒸留器を破壊し、有毒な液体が床にぶちまけられた。

「あああっ! 俺の金づるが!」

 ジャグロの絶叫が虚しく響いた。



 事件の翌日。官舎の応接室で、蓮とマルクスは向かい合って茶を飲んでいた。


「……迅速な対応、ありがとうございました。おかげで被害は最小限で済みました」

「礼には及ばん。ファビアン殿からも、工場の稼働率が戻ったと報告があった」


 マルクスは茶を一口すすり、眉をひそめた。

「だが、ジャグロ一人を捕まえても、第二第三の密造者は現れるだろう。酒税というのは、国家にとって最も確実で大きな財源の一つだ。これを守るための、抜本的な仕組みが必要だ」


「ええ。そこで提案なのですが」


 蓮は、懐から一枚の紙切れを取り出した。それは、蓮がデザインした細長い短冊状の紙片だった。精巧な透かし模様が入っており、簡単には偽造できないようになっている。


「これは?」

「『納税証紙タックス・スタンプ』です」


 蓮は、空の酒瓶の蓋に、その紙を貼り付けてみせた。蓋と瓶本体をまたぐように貼ることで、蓋を開ければ必ず紙が破れるようになっている。


「正規の酒造業者は、税金を納めた証として、国からこの証紙を買います。そして、出荷するすべての瓶にこれを封印として貼ることを義務付けるんです」


 蓮の説明に、マルクスの目が輝き始めた。

「なるほど。この紙が貼られていない酒、あるいは紙が破れている酒は『違法』だと一目で分かるわけか」

「はい。消費者にも『証紙のない酒は毒入りの可能性がある』と周知すれば、彼らは自分の身を守るために、多少高くても証紙付きの酒を選ぶようになります」


「素晴らしい」

 マルクスは膝を打った。

「これなら、いちいち酒蔵を回って樽を数える手間も省ける。証紙の発行枚数で税収が管理できるからな」


 マルクスは、その証紙のサンプルを愛おしそうに撫でた。

「藤村殿。君はやはり優秀だ。……時々、君の頭の中身を課税対象にしたくなるよ」


「勘弁してください」

 蓮は苦笑した。

「とにかく、これは『信用』を可視化する技術です。国は税収を得て、商人は公正な競争ができ、消費者は安全を買える。……誰も損をしない仕組みです」


「いや、脱税者だけは損をするな」


 マルクスは薄く笑い、証紙をポケットにしまった。こうして王国に「酒税証紙制度」が導入された。ボトルの口に貼られた小さな紙切れ。それは、この国のアルコール市場が、無秩序な闇から、管理された近代経済へと移行したことを告げる「封印」となったのである。

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