◆第7話「ジャガイモ畑のはじまり」
季節は進み、早春の冷たい空気はすっかり影を潜めていた。宮廷の外郭に広がる畑には、柔らかな春風が吹き抜け、木々は薄緑の若葉をまといはじめている。踏込温床で育った二十日大根はすでに全て収穫を終え、畑には次なる作物の支度が整いつつあった。その中心に立つのは、蓮――異世界から来た“芋好き”の若者である。
◆
「よし、この辺りを芋畑にしよう」
蓮がスコップを持ち、土を手で確かめる。気温は20度近くまで上がり、地温も芋の生育に申し分ない。隣にはエリシアと見習い魔道士リオネル、そして宮廷から派遣された数名の農民が集まっていた。
「藤村殿、本日は何から始めるのですか?」
エリシアがいつものように羊皮紙を構えている。
「ジャガイモ畑づくりですね。まずは畝を立てます」
「うね……?」
リオネルが首をかしげた。
「作物を育てるための列、みたいなものです。水はけをよくして、根が呼吸しやすくなるんですよ」
「はぁ・・・ 根の呼吸ですか」
蓮は慣れた動作で土を掘り返し、高さ20〜25センチほどの畝を作りはじめた。農民たちも最初は戸惑いながらも、蓮の指示に従って畝を延ばしていく。
「根菜は、土をよくほぐしたほうが形がきれいに育ちます。あと、土が硬いと芋が割れたり育たなかったりするので」
「ほぉ……そこまで土が根に影響するとは」
リオネルは興味深そうに書き留めた。
「藤村殿の畑づくり……無駄がありませんね」
エリシアが感心したように言う。
「いや、家庭菜園レベルですよ。本格農家さんには敵わないです」
蓮が照れくさく笑うと、農民たちが苦笑した。
「いえいえ、藤村殿の“知識に裏づけされた手際”は、たいしたものですよ」
「ここまで理にかなった畝は、なかなか見かけません」
農民たちが素直に認めてくれるのが、蓮には嬉しかった。
◆
「次に、肥料を土に混ぜます。本来なら窒素・リン酸・カリを別々に配合して……えっと、まあ三つの栄養が必要なんですけど。窒素は、家畜の尿などに多く含まれます。リン酸は家畜の骨などに、カリは草木灰に……」
「三つの要素……?」
リオネルが目を丸くする。
「三種類の栄養、と覚えてください。
全部同じじゃなくて、それぞれ役割が違うんです」
蓮は牛ふんと堆肥をまぜ合わせたものを畝にまき、土とよく馴染ませていく。
「芋は肥料をやりすぎると逆に育ちが悪くなるので、適量で。特に窒素が多いと茎ばかり育って芋が太らないんですよ。」
「なるほど……まるで魔法薬の調合みたいだ……」
リオネルが感嘆の声を漏らした。
「農業って、自然とのバランスが大事なんです。
魔法と違って、失敗したらやり直すのに時間がかかるし」
「……自然との対話、でしょうか」
エリシアが静かに呟いた。
その言葉に蓮は、少し驚きながら頷いた。
「そうかもしれないですね」
◆
畝が完成すると、いよいよ種芋の植え付けだ。蓮は、カット済みのジャガイモの種芋を手に取った。
「まずはジャガイモから始めます。ジャガイモは3~4ヶ月で収穫できるので。
イモの凹みのある部分から目が出るので、そこをを上に向けて、深さ10センチくらいに……」
蓮はするすると手本を示し、それを見たリオネルが目を見開いた。
「藤村殿の手際……二十日大根の播種のときも思いましたが……
本当に手慣れているのですね」
「大学では畑の作業もしましたし、趣味でもよく育ててましたからね」
蓮は笑いながら、次々と種芋を植えていく。エリシアはその様子を記録しつつ、小声で言った。
「……あなたがここに来たことには、何か理由があるのかもしれませんね。この世界にない技術を、こうも自然に扱えるのですから」
「うーん……理由があるなら知りたいですね。僕自身まだ分からない」
◆
作業が一段落すると、農民のひとりがぼそっと呟いた。
「しかし……本当に、こんな“異国の根菜”を育てて大丈夫なんですかね……」
「大丈夫って、どういう意味です?」
蓮が振り返る。
農民は少し気まずそうに言った。
「いや……この国の教会では、“聖典に載らぬ作物は慎重に扱え”と昔から言われておりまして。“土に見知らぬものを植えると、災いを呼ぶ”とかなんとか……」
リオネルが苦笑した。
「迷信ですよ。聖典には古い時代の作物しか記されていないだけです」
「でもなぁ……見たことも聞いたこともない芋となると……」
農民たちは少し不安そうに畝を見つめる。
エリシアが一歩前に出た。
「藤村殿の芋は、これまでに召喚して毒性もなく、味もよく、腹持ちも良いと証明されています。宮廷も実験を許可しました。どうか、心配しすぎないように」
農民は頭を下げた。
「へぇ……記録官様がそう言うなら……」
蓮は胸の奥に小さな不安が芽生えるのを感じた。芋は美味しいし、農業的にも優れている。しかし、地球での歴史においても、ジャガイモがヨーロッパで食物として認められるまでには長い期間がかかったのである。蓮は、“宗教的抵抗”という壁があることを、このとき初めて実感した。
(芋の良さを知ってもらえるまで……時間がかかるかもしれないな)
それでも――畝に並んだ種芋を見つめると、心は不思議と前向きになった。
「まずは育ててみせる。そこから先のことは……結果が出てから考えよう」
蓮は小さく呟き、畝を優しく均した。春風が吹き、若葉が揺れ、“この世界初の芋畑”が、静かにその産声をあげたのだった。




