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◆第21話「壊されたガラスと、失われたもの」

 その夜は、本当に月が出なかった。厚い雲が王都を覆い、街灯の明かりさえも霧に霞んでいた。


 王都東区、ファビアン商会の繊維工場。夜勤のために明かりが灯る窓に向かって、影が動いた。顔を布で覆った男たちの集団――二十人ほどだろうか。彼らの手には、棍棒やハンマーが握られている。


「……行くぞ」

 ハインツの合図で、男たちが工場の門に殺到した。夜警の老人が「誰だ!」と叫ぶ間もなく、門は破られた。

「機械を壊せ! 俺たちの仕事を返せ!」

 怒号と共に、男たちが工場内へとなだれ込む。織機の並ぶ作業場で、夜勤をしていた若い工員たちが悲鳴を上げた。


「た、助けて……!」

「逃げろ! こいつら本気だ!」

 工員たちは隅に追いやられ、震えながら襲撃者たちを見つめることしかできなかった。その目には、恐怖と――かすかな罪悪感があった。自分たちが、この人たちの仕事を奪ったのだと。

 ガシャアアン!

 ハンマーが織機を叩き割る。糸が飛び散り、歯車が砕ける。高価な魔道タンクが凹み、配管が引きちぎられた。


「これで分かったか! 魔法なんかに頼るからだ! 人の手を軽んじるからだ!」

 ハインツは叫びながら、自分が何十年もかけて作ってきたものと同種の――しかし魔法で効率化された――機械を破壊し続けた。その目には涙が浮かんでいた。壊しても、壊しても、胸の穴は埋まらない。これは復讐ではない。ただの八つ当たりだ。それでも、止められなかった。



 同じ刻、蓮の食品加工工場にも、別の一団が押し入っていた。こちらは夜勤がなかったため、工場内は無人だった。だが、それは襲撃者たちにとって好都合だった。


「ここだ! この『魔法乾燥室』ってのを壊せば、あいつらは何もできなくなる!」

 トマスが先頭に立ち、フリーズドライのタンクを棍棒で叩いた。魔力を帯びた金属が鈍い音を立てて凹む。冷気を封じ込めていた魔方陣が歪み、シューッと白い霧が噴き出した。


「うおっ、冷てぇ!」

「構うな! やれ!」

 次々と破壊されていく設備。スプレードライの塔、製麺機、梱包台。それらは、リオネルが何週間もかけて設計し、カイやガントたちが誇りを持って操作していた「仲間」だった。


 壁には、『安全第一』『みんなで守ろう職場』と書かれた標語が貼られていた。それさえも、破かれ、泥で汚された。

「伝統を汚す者に天罰を!」

 誰かが壁に、ギルドの紋章を模した落書きを残した。それは宣戦布告であり、同時に――彼らなりの、悲痛な叫びだった。



 翌朝。蓮とリオネル、そしてエリシアが工場に駆けつけた時、そこは無残な姿に変わり果てていた。

「……ひどい」

 リオネルが声を震わせた。床には砕けた魔道具の破片が散乱し、壁には亀裂が走っている。設計図を握りしめた彼の手が、怒りで白くなった。


「彼らはただ、働いていただけなのに……」

 エリシアは、踏みつけられた『安全第一』の張り紙を拾い上げた。泥で汚れ、破れたそれを見つめ、唇を噛んだ。

「藤村殿……修理に、どれくらいかかりますか」


「最低でも二週間。部品を発注して、魔道士を集めて……」

 蓮は腕を組み、被害状況を冷静に査定しようとした。だが、その目には怒りよりも――深い悲しみがあった。

「彼らは、追い詰められていたんだ」

「それでも、これは許されることでは……」

「分かってる。でも、エリシアさん」


 蓮は、工場の門を見た。そこには、出勤してきた従業員たちが呆然と立ち尽くしていた。カイ、アンナ、ガント。彼らの顔には、恐怖と、やり場のない怒りがあった。

「俺たちは、何か間違ったことをしたのか?」

 カイが、拳を震わせて言った。

「ただ、必死に働いて、家族を養って……それの何が悪いんだよ!」

 その叫びに、誰も答えられなかった。


 蓮は、破壊された乾燥室を見つめた。そこには、昨夜まで稼働していた痕跡が残っている。機械たちは、何も悪くない。それを操作していた人々も、何も悪くない。では、誰が悪いのか。

「……時代が、悪いのかもしれない」

 蓮は呟いた。それは、誰に言うでもない独白だった。


 だが、この時点で蓮は知らなかった。その日の午後、漆黒の馬車がギルド地区を包囲することになる。ヴァレリオによる「鉄槌」が、職人たちを完膚なきまでに叩き潰し、同時に――蓮自身をも「国家に守られた特権階級」という、決して望まなかった立場へと押し上げることを。


 壊されたガラスの破片が、朝日を反射してキラキラと輝いていた。その光は美しく、そして――残酷だった。

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