◆第20話「追い詰められた誇りと、最後の選択」
王都の旧市街、石畳の路地裏。そこにある古びた酒場『鉄槌亭』は、代々職人たちの溜まり場だった。だが今夜、店内を満たしているのは酒の陽気さではなく、煮えたぎるような怒りと絶望だった。
「……また一人、工場に取られた」
木工ギルドの親方ハインツが、拳でテーブルを叩いた。彼の手は節くれ立ち、何十年も鑿を握ってきた職人の手だ。だが、その手は今、震えていた。
「うちの三男坊だ。昨日まで工房で椅子を作っていたのに、今朝になったら『工場に行く』と言い出しやがった。俺の技を継ぐ気はないのかと問い詰めたら……」
ハインツの声が震える。
「『親方の技は素晴らしい。でも、それじゃ腹は膨れない』とぬかしやがった」
周囲の職人たちが、苦い顔で頷いた。鍛冶屋のトマス、染物屋のベルント、靴屋のクラウス。彼らは皆、同じ悩みを抱えていた。若い弟子たちが次々と工場へ流れ、工房には老いた親方ばかりが残される。
「工場の何がいいんだ」
染物屋のベルントが、グラスのエールを煽った。
「あんなもの、人間を部品扱いする地獄じゃねぇか。一日中同じ作業を繰り返して、魂が削られていくだけだ」
「だが、金になるんだよ」
靴屋のクラウスが、やつれた顔で呟いた。
「俺のところの注文は、去年の半分以下だ。工場製の安い靴が市場に溢れて、手縫いの靴なんて誰も買わねぇ。……このままじゃ、年を越せない」
テーブルの上には、各ギルドの帳簿が広げられていた。どれも真っ赤な数字で埋め尽くされている。収入は激減し、借金は膨らみ、家族を養うことさえままならない。
「おかしいだろう」
ハインツが立ち上がった。その目には、涙と怒りが混じっていた。
「俺たちは何も悪いことをしてない。ただ、親から受け継いだ技で、真面目に仕事をしてきただけだ。なのになんで……なんで俺たちが追い出されなきゃいけないんだ!」
その叫びに、店内の全員が応えた。
「そうだ!」
「俺たちが王都を支えてきたんだ!」
「あの魔法工場なんて、ここ数年で湧いて出た成り上がりじゃねぇか!」
怒号が渦巻く中、ギルド長のオットーが重い口を開いた。彼は白髪の老人で、五十年以上この街で織物を織ってきた男だ。
「……わしも、考えた。何度も考えた。工場と共存する道はないのか、とな」
オットーは皺だらけの手で、自分の織った布を撫でた。
「だが、無理だ。あいつらは『速さ』と『安さ』で勝負してくる。手仕事は、絶対に勝てん。このままでは、わしらの技は消える。数百年続いた伝統が、たった数年で消し飛ぶんだ」
「じゃあ、どうする! このまま黙って飢え死にを待つのか!」
トマスが吠えた。彼の工房は先月、ついに閉鎖に追い込まれた。家族を養うために、彼自身が工場の日雇いに出ることも考えたが、プライドが許さなかった。
「……やるしかないだろう」
誰かが、低い声で言った。
「工場を、止めるんだ」
その一言に、店内が静まり返った。だが、誰も否定しなかった。
「機械を壊せば、奴らも操業できなくなる。そうすれば、また手仕事の時代が戻ってくる」
「だが、それは……犯罪だぞ」
クラウスが震える声で言った。だが、ハインツが彼を睨んだ。
「犯罪? 笑わせるな。俺たちから仕事を奪った奴らこそ、罪人だろうが!」
ハインツは、懐から一枚の紙切れを取り出した。それは、工場街の地図だった。誰かが事前に調べたのだろう、主要な工場の位置に印がつけられている。
「ファビアン商会の繊維工場、そして……藤村のイモ工場。この二つを叩けば、他の工場も震え上がる」
「夜襲か……」
「ああ。月のない夜を狙う。顔は隠す。誰も怪我はさせない。ただ、機械だけを壊す」
それは、彼らにとって最後の抵抗だった。法に訴えても、役人は工場の味方をする。市場で競っても、価格で負ける。ならば、力ずくで――暴力で――時計の針を巻き戻すしかない。
「……わしは、反対だ」
オットーが、静かに言った。
「暴力は、何も生まん。むしろ、わしらが悪者にされるだけだ」
「じゃあ、他に何ができるってんだ!」
「分からん。……だが、これだけは言える。機械を壊しても、時代は戻らん」
オットーの言葉に、一瞬の沈黙が訪れた。だが、それを破ったのはハインツだった。
「時代が戻らなくてもいい。せめて、俺たちの怒りを……この苦しみを、あいつらに分からせてやる!」
彼は地図を掲げた。
「やるぞ。今週の金曜、月のない夜だ。集まれる者は、ここに来い。……俺たちの誇りを、守るために!」
店内から、重い、しかし決意に満ちた声が上がった。
「おう……!」
それは勝利の雄叫びではなく、追い詰められた者たちの、悲痛な咆哮だった。
彼らは知らなかった。自分たちが壊そうとしている「機械」の向こう側に、同じように生活のために必死に働く、元「落ちこぼれ」たちがいることを。そして、この襲撃が、圧倒的な国家権力の介入を招き、自分たちをさらなる地獄へと突き落とすことを。
酒場の外では、雨が降り始めていた。その雨音が、まるで来るべき悲劇を予告するかのように、石畳を叩き続けていた。




