◆第18話「魔法産業革命の波及」
初夏から夏に向かい、次第に暑さを増す中、王都の下町にある酒場『竜のあくび亭』は、その暑さに負けない熱気に包まれていた。だが、その客層は以前とは少し違っている。一攫千金を夢見る荒くれ者の冒険者たちに混じって、煤や染料で汚れた作業着を着た若者たちの姿が目立つようになったのだ。
「おい、親父!エールだ!あと『イモフライ』の大盛り!」
「こっちもだ!今日は残業代が出たからな、肉もつけてくれ!」
彼らは魔道士崩れや、食い詰めた元職人見習いたちだ。かつては日銭を稼ぐのに必死だった彼らが、今は定職を持ち、銀貨を握りしめて酒を飲んでいる。
カウンターの隅で、蓮とリオネルはエールを飲みながら、その光景を眺めていた。
「……増えましたね、同業者が」
リオネルが苦笑交じりに呟く。
「ああ。イモ工場だけじゃない。繊維、染色、金属加工……。王都のあちこちで『分業工場』が立ち上がってる」
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蓮の工場での成功は、王都の商人たちに衝撃を与えた。『高価な魔道士を雇わなくても、落ちこぼれを集めて工程を細分化すれば、魔法製品が作れる』その事実に気づいた彼らは、雪崩を打って参入し始めたのだ。
例えば、織物問屋のファビアン商会。彼らは「水属性しか使えない(洗浄係)」と「風属性しか使えない(乾燥係)」魔道士を大量に雇い入れた。これまでは職人が手作業で洗って干していた布を、魔法の流れ作業で一気に処理する「魔法クリーニング工場」を作り上げたのだ。
あるいは、例えば、鍛冶屋の組合から独立した新興工房。「火属性の弱火しか出せない」魔道士を並べて炉の温度を一定に保ち、単純な釘や農具を延々と打たせる「量産鍛冶工場」を稼働させた。
◆
酒場のテーブルでは、工場の制服を着た若者たちが、ジョッキを片手に議論を交わしていた。
「おい聞いたか? 繊維工場の連中、時給を上げたらしいぞ」
「マジかよ。うちはまだ渋いぜ。でもまあ、冒険者やってた頃よりはマシか。野垂れ死ぬ心配はねぇし」
「俺なんか、昨日初めて『親方』じゃなくて『主任』って呼ばれたよ。悪くねぇ響きだ」
彼らはもう、自分たちを「才能のないクズ」だとは思っていない。自分たちは巨大な生産システムの一部であり、社会を回す歯車であるという、奇妙な誇りが芽生えていた。
そこへ、酔っ払った冒険者の一人が絡んできた。
「けっ、お前らみたいな魔法もろくに使えねぇ半端モンが、デカい顔してんじゃねぇよ。俺たちは命張って魔物と戦ってんだ」
以前なら、彼らは俯いていただろう。だが、今日は違った。繊維工場の若者が立ち上がり、言い返したのだ。
「ああ、あんたたちが着てるその丈夫なインナー。それ、俺たちが作ったんだぜ?」
「ああん?」
「安くて丈夫で、すぐ乾く。俺たちの工場が作ったから、あんたたちは安く買えるんだ。……俺たちがいなきゃ、あんたたちは寒いダンジョンの中で震えることになるんだぜ」
冒険者は言葉に詰まった。若者は胸を張った。
「俺たちは『魔道工員』だ。社会を支えてるのは、剣だけじゃねぇんだよ」
酒場に、どっと歓声が上がった。
「そうだ!」
「よく言った!」
新しい階級――【工場労働者】たちの連帯が、そこに生まれていた。
◆
「……すごいことになりましたね」
リオネルが感心したように言う。
「彼ら自身の意識が変わった。これはもう、止められませんよ」
「ああ。産業革命だ」
蓮は静かに言った。
「技術が変わり、働き方が変わり、人々の意識が変わる。……でも、気をつけておかないと」
「何がですか?」
「急激すぎる変化は、必ず反動を生む」
蓮は酒場の奥、影になったテーブルに目をやった。そこには、伝統的な職人ギルドの親方連中や、仕事を奪われつつある手工業者たちが、忌々しげに若者たちを睨みつけている姿があった。
「職人の誇り、ギルドの既得権益、そして魔術アカデミーの権威……。敵は多いぞ、リオネル」
「望むところです」
リオネルは力強く答えた。
「私たちはもう、走り出してしまいましたから」
工場の煙突が増えるたび、王都の空は煤け、しかし活気に満ちていく。新しい時代の足音は、蒸気の音と共に、誰の耳にも届く大きさになりつつあった。




