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◆第17話「種火の男と銀貨の重み」

 工場の終業ベルが鳴り響く。だが、今日の工員たちの足取りは、いつになく軽やかで、少し浮足立っていた。今日は、工場が本格稼働して初めての「給料日」だったからだ。


「……火属性乾燥主任、ガント」「は、はいっ!」


 事務室で、経理担当のエリシアから名前を呼ばれ、ガントは緊張した面持ちで進み出た。渡されたのは、ずしりと重い皮袋だ。

「基本給に加えて、スプレードライタワーの温度管理手当、および残業代が含まれています。……ご苦労さまでした」

「あ、ありがとうございます……!」


 ガントは震える手で袋を開け、中身を確認した。銀貨。それも一枚や二枚ではない。かつて冒険者の荷物持ちや、冬場の暖炉番の日雇いで稼いでいた小銭とは、輝きも重みも違う。

「……これが、俺の稼ぎ……」

 それは、彼が生まれて初めて手にした「魔道士としての正当な対価」だった。



 ガントの実家は、王都の下町にある古びた鍛冶屋だった。かつては祖父の代まで賑わっていたが、父が病で倒れてからは火が消え、今は細々と鍋の修理などをして食いつないでいる。ガントが「火魔法」の才能を持って生まれた時、父は「鍛冶屋の再興だ!」と喜んだ。だが、ガントの火は鉄を溶かすほど熱くならず、爆発もしない「種火」だった。父の落胆は激しく、ガント自身もまた、期待に応えられない自分を責め続けてきた。


(……親父、怒ってるかな。アカデミーの勧誘を断って、変な工場に入ったから)


 家の前で足がすくむ。だが、懐の銀貨の重みが、彼の背中を押した。ガントは、帰り道に市場で買った「包み」を抱え直し、扉を開けた。


「……ただいま」

「……おう。帰ったか」


 薄暗い居間には、父が一人、冷めたスープを前に座っていた。部屋は寒く、暖炉には薪の代わりに廃材が少し焚べられているだけだ。

「聞いたぞ、ガント。お前、イモ屋の工場で働いてるそうじゃないか。……魔道士の誇りを捨てて、スープ粉作りとはな」

 父の声には、怒りよりも諦めが滲んでいた。

「近所の連中が笑ってたぞ。『ガントの奴、やっぱりまともな魔術師にはなれなかったか』ってな」


 ガントは唇を噛んだ。以前なら、何も言えずに部屋に逃げ込んでいただろう。だが、今の彼は違う。

「……親父。俺は、誇りを捨てたわけじゃない」

「何?」

「俺の火は、弱くて小さい。でもな、工場のボス(藤村)は言ってくれたんだ。『君の火は、一度も揺らがない。だから美しい黄金のスープができるんだ』って」


 ガントは、テーブルの上に皮袋を置いた。ジャラリ、と重い音が静寂を破る。父が目を見開く。

「……なんだ、これは」


「初任給だ。……あと、これ」

 ガントは買ってきた包みを開いた。中から現れたのは、分厚い牛肉の塊と、瓶詰めのエール、そして新しい毛布だった。

「肉なんて、何年ぶりだろうな。今日は腹いっぱい食おうぜ、親父」


 父は、銀貨の山と肉を交互に見て、それからガントの顔をまじまじと見た。その顔は、すすで汚れてはいるが、以前のような卑屈な陰りはなく、自信に満ちていた。

「……これ全部、お前がその『種火』で稼いだのか?」

「ああ。俺は今、工場の『乾燥主任』だ。俺がいないと、あの工場のラインは止まるんだ」


 父の震える手が、銀貨に触れた。それは、病身の彼が一月働いても到底稼げない額だった。息子は、父が望んだような「爆炎の英雄」にはなれなかった。だが、父ができなかった「家族を豊かにする仕事」を成し遂げたのだ。


「……そうか。主任か」

 父の声が震えた。

「……立派になったな、ガント」


 その一言を聞いた瞬間、ガントの目から涙が溢れた。ずっと聞きたかった言葉。ずっと認めてほしかった自分。

「……うん。うん……!」



 その夜、久しぶりに鍛冶屋の煙突から、温かな煙が上がった。焼ける肉の匂いと、親子の笑い声。ガントは知った。自分の魔法は、魔物を殺すことはできない。派手な爆発も起こせない。けれど、一番大切な家族の笑顔を守ることはできるのだと。


「おい親父、飲みすぎだぞ。明日も早いんだから」

「いいじゃねぇか。息子が稼いだ酒だ、美味いに決まってる」


 ガントは暖炉に手をかざした。指先に灯る小さな「種火」が、今までよりもずっと温かく、力強く輝いているように見えた。それは、彼が労働者としての「自尊心プライド」を取り戻した証の輝きだった。

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