表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
57/105

◆第14話「象牙の塔と、煤(すす)けた白衣」

 工場の稼働が安定し始めた頃、リオネルの元に一通の書状が届いた。差出人は王立魔道士アカデミー学部長、ゼクセル。内容は命令ではない。しかし、『研究報告会への召喚』という、極めて事務的かつ拒否しがたい名目の招待状だった。


 リオネルは、作業着代わりの煤けた白衣を脱ぎ、久しぶりにアカデミー指定の正装に袖を通した。


「……行ってきます、藤村殿」

「ついて行こうか?」

「いえ。これは魔道士としての私の問題です。それに、私のボス(ヴァレリオ)の顔に泥を塗るわけにはいきませんから」


 リオネルは気丈に振る舞ったが、その表情は硬かった。



 アカデミーの応接室は、静寂と重厚な空気に満ちていた。学部長ゼクセルは、紅茶を一口すすり、リオネルを品定めするように見つめた。


「……随分と、日焼けしたな。リオネル君」

「現場におりますので」

「現場、か。君ほどの才能ある若者が、イモの皮むき小屋の監督とはな」


 ゼクセルは嘆かわしそうに首を振った。

「単刀直入に言おう。あの工場から手を引け」


 リオネルは姿勢を正したまま答える。

「私は審問官ヴァレリオ様の命により、藤村蓮の監視および技術査定を行っております。独断で任務を放棄することはできません」


「ヴァレリオ殿には、私から話を通しておこう」

 ゼクセルは身を乗り出した。

「君は誤解している。これは命令ではない。『救済』だ」

「救済……?」

「そうだ。君は正規の魔道士見習いだ。将来は宮廷魔道士か、あるいはアカデミーの研究員になる道が開かれている。だが、あんな工場で『落ちこぼれ』たちと油まみれになっていては、経歴に傷がつく」


 ゼクセルは甘い声で囁いた。

「今なら間に合う。監視任務は適当な者に代わらせて、君はアカデミーの『高等術式研究室』に戻りたまえ。君の論文は評価されている。こんなイモ遊びで、人生を棒に振る必要はないだろう?」


 それは、エリートとしての将来を約束する甘美な誘いだった。以前のリオネルなら、二つ返事で頷いていただろう。アカデミーの研究室こそが、魔道士の輝く場所だと信じていたからだ。だが、今のリオネルの脳裏に浮かんだのは、高尚な術式ではなく――工場で嬉々として働くカイやガントの顔。自分の設計したラインが動き出し、製品が積み上がる瞬間の高揚感。そして、北の国境で兵士たちがラーメンを食べて喜んでいるという報告を聞いた時の、胸の震えだった。


「……閣下」

 リオネルは静かに口を開いた。

「私の人生は、棒になどなっていません」

「何?」

「私は今、かつてないほど『魔術の真理』に近づいています」


 リオネルの言葉に熱がこもる。

「古代語の詠唱も、複雑な儀式もありません。ですが、あそこには『物理』と『魔力』が融合した、新しい法則があります。風魔法で気圧を操作し、火魔法で熱効率を最大化する……それは、机上の空論よりも遥かに社会に貢献する技術です」


「それがどうした!そんなものは職人の真似事だ!」

ゼクセルが声を荒らげる。


「いいえ。これは『魔道工学エンジニアリング』です」

 リオネルは、はっきりと言い放った。

「私はただの工場長ではありません。この国で最初の『魔道技師』です。研究室に籠もっていては決して見えない景色が、あそこにはあります」


 ゼクセルは絶句した。従順だと思っていた若者が、アカデミーの価値観を真っ向から否定したのだ。

「……後悔するぞ。アカデミーの加護を失えば、お前はただの技術屋だ。出世の道は閉ざされる」

「構いません」

 リオネルは一礼した。

「私は、私の選んだ場所で、世界を変えます。……失礼いたします」



 アカデミーを出たその足で、リオネルは宮殿へと向かった。審問官ヴァレリオに報告するためだ。執務室で報告を聞いたヴァレリオは、書類から目を離さずに言った。

「……ゼクセルから抗議が来るだろうな。『お宅の若造が狂った』とな」

「申し訳ありません。ご迷惑をおかけします」


「迷惑? ふん」

 ヴァレリオは口の端をわずかに歪めた。

「私がいつ、アカデミーの顔色を窺うような軟弱な上司に見えた?」


 彼は顔を上げ、リオネルを射抜くように見た。

「お前をあそこに送ったのは、藤村蓮が『有益か害悪か』を見極めさせるためだ。そしてお前は、『有益であり、自分もその一部となる』と判断した。……違うか?」

「……その通りです」


「ならば、続けろ」

ヴァレリオは冷淡に、しかし力強く言った。

「アカデミーの席などくれてやれ。お前が掴んだ『魔道工学』とやらの価値は、いずれ成果(数字)が証明する。ただし――失敗は許さんぞ。私が庇護するのは、有能な者だけだ」


「はっ!肝に銘じます!」

 リオネルは深く頭を下げ、部屋を出た。廊下を歩く足取りは軽い。もう迷いはない。彼は正装のネクタイを緩めると、懐からいつもの作業用ゴーグルを取り出した。


「……さあ、現場に戻ろう。明日は新製品のテストだ」


 王国の魔術体系に、新たな一派が生まれた瞬間だった。アカデミー派でも、宮廷派でもない。現場主義の技術者集団――後の「王立魔道工学研究所」の萌芽は、この日、リオネルの覚悟と共に生まれたのである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ