◆第14話「象牙の塔と、煤(すす)けた白衣」
工場の稼働が安定し始めた頃、リオネルの元に一通の書状が届いた。差出人は王立魔道士アカデミー学部長、ゼクセル。内容は命令ではない。しかし、『研究報告会への召喚』という、極めて事務的かつ拒否しがたい名目の招待状だった。
リオネルは、作業着代わりの煤けた白衣を脱ぎ、久しぶりにアカデミー指定の正装に袖を通した。
「……行ってきます、藤村殿」
「ついて行こうか?」
「いえ。これは魔道士としての私の問題です。それに、私のボス(ヴァレリオ)の顔に泥を塗るわけにはいきませんから」
リオネルは気丈に振る舞ったが、その表情は硬かった。
◆
アカデミーの応接室は、静寂と重厚な空気に満ちていた。学部長ゼクセルは、紅茶を一口すすり、リオネルを品定めするように見つめた。
「……随分と、日焼けしたな。リオネル君」
「現場におりますので」
「現場、か。君ほどの才能ある若者が、イモの皮むき小屋の監督とはな」
ゼクセルは嘆かわしそうに首を振った。
「単刀直入に言おう。あの工場から手を引け」
リオネルは姿勢を正したまま答える。
「私は審問官ヴァレリオ様の命により、藤村蓮の監視および技術査定を行っております。独断で任務を放棄することはできません」
「ヴァレリオ殿には、私から話を通しておこう」
ゼクセルは身を乗り出した。
「君は誤解している。これは命令ではない。『救済』だ」
「救済……?」
「そうだ。君は正規の魔道士見習いだ。将来は宮廷魔道士か、あるいはアカデミーの研究員になる道が開かれている。だが、あんな工場で『落ちこぼれ』たちと油まみれになっていては、経歴に傷がつく」
ゼクセルは甘い声で囁いた。
「今なら間に合う。監視任務は適当な者に代わらせて、君はアカデミーの『高等術式研究室』に戻りたまえ。君の論文は評価されている。こんなイモ遊びで、人生を棒に振る必要はないだろう?」
それは、エリートとしての将来を約束する甘美な誘いだった。以前のリオネルなら、二つ返事で頷いていただろう。アカデミーの研究室こそが、魔道士の輝く場所だと信じていたからだ。だが、今のリオネルの脳裏に浮かんだのは、高尚な術式ではなく――工場で嬉々として働くカイやガントの顔。自分の設計したラインが動き出し、製品が積み上がる瞬間の高揚感。そして、北の国境で兵士たちがラーメンを食べて喜んでいるという報告を聞いた時の、胸の震えだった。
「……閣下」
リオネルは静かに口を開いた。
「私の人生は、棒になどなっていません」
「何?」
「私は今、かつてないほど『魔術の真理』に近づいています」
リオネルの言葉に熱がこもる。
「古代語の詠唱も、複雑な儀式もありません。ですが、あそこには『物理』と『魔力』が融合した、新しい法則があります。風魔法で気圧を操作し、火魔法で熱効率を最大化する……それは、机上の空論よりも遥かに社会に貢献する技術です」
「それがどうした!そんなものは職人の真似事だ!」
ゼクセルが声を荒らげる。
「いいえ。これは『魔道工学』です」
リオネルは、はっきりと言い放った。
「私はただの工場長ではありません。この国で最初の『魔道技師』です。研究室に籠もっていては決して見えない景色が、あそこにはあります」
ゼクセルは絶句した。従順だと思っていた若者が、アカデミーの価値観を真っ向から否定したのだ。
「……後悔するぞ。アカデミーの加護を失えば、お前はただの技術屋だ。出世の道は閉ざされる」
「構いません」
リオネルは一礼した。
「私は、私の選んだ場所で、世界を変えます。……失礼いたします」
◆
アカデミーを出たその足で、リオネルは宮殿へと向かった。審問官ヴァレリオに報告するためだ。執務室で報告を聞いたヴァレリオは、書類から目を離さずに言った。
「……ゼクセルから抗議が来るだろうな。『お宅の若造が狂った』とな」
「申し訳ありません。ご迷惑をおかけします」
「迷惑? ふん」
ヴァレリオは口の端をわずかに歪めた。
「私がいつ、アカデミーの顔色を窺うような軟弱な上司に見えた?」
彼は顔を上げ、リオネルを射抜くように見た。
「お前をあそこに送ったのは、藤村蓮が『有益か害悪か』を見極めさせるためだ。そしてお前は、『有益であり、自分もその一部となる』と判断した。……違うか?」
「……その通りです」
「ならば、続けろ」
ヴァレリオは冷淡に、しかし力強く言った。
「アカデミーの席などくれてやれ。お前が掴んだ『魔道工学』とやらの価値は、いずれ成果(数字)が証明する。ただし――失敗は許さんぞ。私が庇護するのは、有能な者だけだ」
「はっ!肝に銘じます!」
リオネルは深く頭を下げ、部屋を出た。廊下を歩く足取りは軽い。もう迷いはない。彼は正装のネクタイを緩めると、懐からいつもの作業用ゴーグルを取り出した。
「……さあ、現場に戻ろう。明日は新製品のテストだ」
王国の魔術体系に、新たな一派が生まれた瞬間だった。アカデミー派でも、宮廷派でもない。現場主義の技術者集団――後の「王立魔道工学研究所」の萌芽は、この日、リオネルの覚悟と共に生まれたのである。




