◆第11話「憂鬱なパティシエと量産された幸福」
【本文】王都の宮殿、厨房の一角。宮廷パティシエのガストンは、完成したばかりの「白鳥の砂糖菓子」を前に、深いため息をついていた。飴細工で作られた繊細な羽、宝石のような輝き。それは至高の芸術品だった。
「ガストン、素晴らしい出来だ」給仕長が褒め称える。「今夜の夜会で、宰相閣下のテーブルの『センターピース(飾り)』として最高に映えるだろう」
「……飾り、か」
ガストンは自嘲した。知っているのだ。この菓子がどうなるかを。貴族たちは、この美しい白鳥を眺め、「素晴らしい職人技だ」と褒めそやす。だが、誰も食べない。崩すのが惜しいからではない。彼らにとって菓子とは、権力を誇示するためのインテリアであり、食べるものではないからだ。宴が終われば、この白鳥は誰の舌も楽しませることなく、残飯としてゴミ箱行きだ。実際には、菓子や料理の残り物は使用人たちに与えられる食べ物になるのでゴミではないが、食べて楽しむ人の顔を見ることがガストンにはできない。
「……私は、菓子屋だぞ。彫刻家じゃない」ガストンは、砂糖でベタつく手を握りしめた。「誰かが『美味しい』と笑って食べてくれる顔が見たいだけなのに……」
◆
数日後。ガストンは休暇を取り、お忍びでイモ工場を訪ねていた。かつてサツマイモのガレットを通じて知己を得た、藤村蓮に会うためだ。
「……いらっしゃい、ガストンさん。浮かない顔ですね」工場の応接室で、蓮はコーヒーを出した。ガストンは一口飲み、重い口を開いた。
「フジムラ殿。……私は、宮廷を辞めようかと思っている」「えっ? 王国一の腕を持つのに?」「腕があっても、客がいないのさ」
ガストンは、貴族社会での虚しさを語った。そして、窓の外を見た。工場の中庭では、休憩中の労働者たちが、蓮の開発した即席ラーメンを啜り、「うめぇ!」「あったまる!」と心からの笑顔を見せている。
「……羨ましいよ。君の作るものは、泥臭いイモかもしれないが、確かに彼らの血肉になり、幸福を与えている」ガストンは蓮に向き直った。「フジムラ殿。私に、場所を貸してくれないか。安くて、不格好でもいい。庶民が腹いっぱい食べて喜んでくれる……そんな菓子を作りたいんだ」
蓮は少し考え込み、そしてニヤリと笑った。「ガストンさん。不格好じゃダメですよ。安くて、美味くて、とびきり可愛いお菓子を作りましょう」
「可愛い? だが、安く作るには手間を省かねば……」「手間は『機械』がかけます。あなたは『味の設計』をしてください」
◆
蓮とガストンによる共同開発が始まった。目指すは、子供のお小遣い(銅貨1枚)で買える、夢のお菓子。
蓮が提案したのは、余っている「サツマイモの粉」と、安価な「卵」、そして白サツマイモから作った「水飴」を使った焼き菓子だった。ガストンはその黄金の舌で配合を調整する。「デンプンだけだと硬すぎる。小麦粉を3割混ぜて……水飴の甘さはくどいから、隠し味に塩をひとつまみ……」
そして、形だ。「一つ一つ手で丸めていたらコストがかかる」蓮は、即席麺の製造ラインを一部改造した。生地をノズルから押し出し、一定間隔でカットして、そのままベルトコンベア式のオーブン(乾燥炉の転用)で焼き上げる。
完成したのは、一口サイズの丸い焼き菓子。サクサクとした軽い食感。口の中でホロリと溶け、素朴なイモと卵の甘さが広がる。
「……これは」ガストンが試食し、目を見開いた。「単純だが、止まらない味だ。これならいくらでも食べられる!」
名付けて『たまごボーロ』ならぬ『イモ・ボーロ』。
◆
翌日の昼休み。工場の購買部(後の生協)に、新商品が並んだ。可愛い小袋に入った『イモ・ボーロ』。価格は銅貨1枚。
「なんだこれ? お菓子?」「やっす! これなら俺でも買えるぞ」
工員たちが興味津々で手に取る。一人が口に放り込み、カリッ、と音をさせた瞬間、顔が綻んだ。「うめぇ! 甘い! すげぇ優しい味がする!」「本当だ! 懐かしい味がするわ!」「おい、これ土産に買って帰るぞ! うちのチビが絶対喜ぶ!」
飛ぶように売れていく。彼らは、貴族のように菓子を飾ったりしない。その場で袋を開け、友人と分け合い、あるいは大切な家族のために胸ポケットにしまう。そこには、「美味しい」という純粋な感情と、消費する喜びだけがあった。
その光景を物陰から見ていたガストンは、ボロボロと涙を流していた。「……これだ。私が作りたかったのは、これなんだ……」
自分の作った菓子が、誰かの胃袋に消えていく。形は残らない。だが、食べた人の笑顔の中に、確かに「幸福」が残る。それこそが、菓子職人の本懐だった。
「……ガストンさん」蓮がハンカチを渡した。「宮廷を辞めるのは、もったいないですよ」
「え?」
「宮廷では『芸術』を作り続けてください。そして、週末だけここに来て『幸福』を作ってください。僕たちの大量生産品には、あなたのセンスとブランドが必要なんです」
ガストンは涙を拭き、力強く頷いた。「ああ。……最高に忙しい週末になりそうだ」
こうして、蓮の工場に「製菓部門」が誕生した。後に『ガストン印のイモ・ボーロ』は王都中の子供たちを虜にし、「おやつの時間」という新しい文化を庶民に定着させることになる。それは、労働者が「生きるためのカロリー」以上のもの――「楽しみのための消費」を手に入れた、象徴的な出来事であり、大衆による消費時代到来の兆しだった。




