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◆第10話「琥珀色の油紙と接着の魔術」

 クラフトから仕入れた「木の紙」は、確かに安かった。だが、そのままでは即席麺の包装には使えなかった。「湿気を通しますし、揚げ油が染み出してベタベタになりますわ」開発室でエリシアが指摘する通り、砕木パルプの紙は吸水性が高く、油にも弱い。


「ここからが『加工』の出番だ」蓮は、用意していた植物油――エゴマ油が入った樽を開けた。「この紙に油を染み込ませて、乾燥させる。そうすると……」


 蓮は刷毛を使って、茶色い紙に油を塗っていった。乾燥炉を通すと、ゴワゴワしていた紙は、しっとりとした手触りの、半透明な飴色へと変化した。エリシアが興味深そうに眺める。

「これは……! 水を弾きます!」

「『油紙オイルドペーパー』だ。これなら湿気も防げるし、中の油も染み出さない。見た目も、なんだか美味しそうに見えるだろう?」


 飴色の紙は、どこか温かみがあり、中の麺がうっすらと透けて見える様子は食欲をそそった。しかし、ここでもう一つの問題が浮上した。


「でも藤村殿、どうやって袋の口を閉じるのです? 普通のニカワ(動物性接着剤)はそんなに安くないですし、紐で縛るには手間がかかりすぎますし……」


 当時、接着剤といえば動物の皮や骨を煮込んだニカワが主流だったが、臭いがきつく、食品の包装には不向きだった。


「ふふふ。そこで登場するのが、うちの工場の『厄介者』さ」


 蓮がリオネルに運ばせたのは、白い粉が入った袋だった。

「これは……イモのデンプンですか? 精製過程で出た、質の悪い余り物ですね」

「そう。これを水で溶いて、熱を加える(糊化させる)と……」


 蓮は鍋でデンプン水を加熱しながらかき混ぜた。白く濁っていた液体が、次第に透明になり、強烈な粘りを持ち始める。

「はい、完成。『澱粉糊でんぷんのり』だ」

「えっ、これだけですか? ただのお粥のようですが……」

「舐めてごらん。安全だよ」


 エリシアが恐る恐る指につけて舐める。

「……味がしませんわ。ただのドロドロです」

「それがいいんだ。無味無臭で、万が一口に入っても安全。しかも原料はタダ同然の廃棄イモだ」


 蓮は、出来上がった糊を油紙の縁に塗り、指で圧着した。油紙同士は、きれいにくっついた。

「デンプンの分子は、紙の繊維の奥に入り込んで固まる。油紙でも、熱と圧力をかければ十分に実用レベルだ。もし問題があるなら、先に接着してから油を塗ってもいい」


 見学に来ていたクラフトが、呆れたように口を開いた。

「おいおい、俺の紙に油を塗ったくったと思ったら、今度はイモを塗るのかよ。……お前んとこの工場は、料理をしてんのか工作をしてんのか分からねぇな」

「両方さ。料理も工作も、素材の化学変化ケミストリーを利用するのは同じだからね」


 蓮は、完成した袋を手に取った。茶色い油紙に、黒いインクで『熱湯三分・即席麺』とスタンプが押されている。袋の口は澱粉糊でしっかりと封印シールされ、中からは揚げた麺の香ばしい匂いがほのかに漂う。


「どうだい、クラフトさん。これが君の『木の紙』の完成形だ」

「……へっ。悪くねぇな。俺の無骨な紙が、なんだか立派な商品に見えてきやがった」


 クラフトは、飴色の袋を愛おしそうに撫でた。高価な白い紙でも、美しい羊皮紙でもない。安っぽくて、茶色くて、油の匂いがする紙。だがそこには、大量生産時代を支える「機能美」が宿っていた。


「よし、これで全てのピースは揃った。……いよいよ量産開始だ!」



 それから数週間後。工場の包装ラインは、かつてない喧騒に包まれていた。


 バリッ、バリッ、バリバリバリ――。


 それは、紙を扱う音にしては、あまりにも騒々しく、そして小気味よい音だった。油紙は普通の紙よりも硬く、折ったり広げたりするたびに独特の乾いた音を立てるのだ。


「すごい……。山のような紙が、どんどん商品になっていきます!」


 アンナたち包装班の手によって、揚げられた麺が次々と茶色い袋に入れられ、糊付けされていく。ラインの先には、出荷を待つ「即席麺」の山が築かれていた。


 その光景を、クラフトは腕組みをして眺めていた。彼の水車小屋は今やフル稼働状態で、工場の一角に専用の「製紙・加工エリア」まで設けられていた。

「ったく、お前んとこの注文は桁がおかしいぜ。一日数千枚だぁ? 俺の親父が生涯で漉いた紙の量を、一週間で使い切る気か」

 憎まれ口を叩きながらも、クラフトの顔は晴れやかだった。かつて「ゴミ」と軽蔑された彼の紙は今、王都中の胃袋を支える重要なパーツになっていたからだ。


 そして、発売日。工場の直売所や、屋台で、人々が即席麺を買い求めた。


「へえ、これが新しい麺かい? 変な茶色い紙に入ってらぁ」

 仕事帰りの労働者が、銅貨を払って袋を受け取る。彼はその場で袋を破いた。――バリッ!!


 盛大な音がして、茶色い紙が破かれる。中身を取り出した男は、紙を無造作に丸めて、近くのゴミ箱へ放り投げた。それを見ていたエリシアが、少しだけ眉をひそめた。

「……藤村殿。なんだか、もったいない気もしますわね。せっかくクラフトさんが作った紙が、一瞬でゴミになってしまうなんて」


 貴族社会において、包装とは桐箱や布であり、再利用されるのが常識だった。「使い捨て」という概念自体が、まだ馴染みが薄いのだ。


 だが、蓮はゴミ箱に溜まっていく茶色い紙の山を見て、満足そうに頷いた。

「いいんだよ、エリシアさん。あの『バリッ』という音こそが、豊かさの音なんだ」

「豊かさ、ですか?」

「ああ。包装を惜しげもなく破り捨てられるということは、それだけ中身が安く手に入り、生活に余裕が生まれた証拠だ。……これからは、この『茶色い紙』が街に溢れる時代が来る」


 蓮の予言通り、王都の風景は変わり始めた。路地裏で、公園で、子供たちがイモ・ボーロの袋をバリバリと破る音が響く。風に舞う茶色い紙片は、かつての羊皮紙のような「特権階級の知」の象徴ではなく、誰にでも手の届く「大衆の幸福」の象徴となった。


 その様子を遠くから見ていたクラフトが、ボソリと呟いた。

「……破り捨てられるために作る、か。職人としちゃあ少し複雑だが、みんなが使ってくれるのは、まあ悪くねぇ気分だ」

 彼は懐から、自分の作った油紙に包まれた昼食サンドイッチを取り出した。バリッ、と音を立てて袋を開ける。その音は、新しい時代の幕開けを告げるファンファーレのように、賑やかな王都の空に響いた。

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