◆第5話「二十日大根の収穫。そして写実の書の目覚め」
踏込温床の上に並んだ苗は、早春の厳しい空気などまるで関係ないかのように、日ごとにすくすくと伸びていった。蓮はその育ち具合を見て、内心ほっと胸をなでおろす。気温は相変わらず低いが、温床の地温は安定しており、双葉は瑞々しく、根は順調に肥大している。
そして――播種から二十日目。
「……まだ寒さの続くこの時期。本当に、二十日で育つのか……?」
見習い魔道士と農民たちが不安そうに見守る中、蓮は二十日大根の葉をつまみ、そっと引き抜いた。
赤い。
丸い。
見事なラディッシュの姿が、土から顔を出した。
「おおっ……!」
「ば、ばかな……! 本当に、二十日で……!」
農民が目を剥き、魔道士は口を開けたまま固まっている。
「藤村殿、これは……奇跡ですか? それとも……」
「自然の力ですよ。あの温床が、苗に必要な暖かさをくれただけです」
蓮が淡々と答えると、魔道士は震える声で言った。
「……魔力を使わず……自然がここまで……? い、いや、ありえぬ……!」
「“ありえぬ”と記録しておきますか?」
エリシアが意地悪ではなく、純粋な興味から問いかける。
「や、やめてくれ……記録に残るのは困る……!」
取り乱す魔道士の横で、蓮は次々と収穫を行った。二十日とは思えないほど揃った形。農民たちが一つ手に取って「きれいだ……」としみじみ呟く。
「藤村殿の技法……これは、農業にとって大きな革新となるかもしれません」
エリシアが言う声には、尊敬の色が混じっていた。
蓮は少し照れながら、温床を見つめた。
(よかった。これで……この世界でも、自分は何かできる)
そのときはまだ、彼が“もっととんでもないこと”を起こすとは想像もしていなかった。
◆【百科事典の覚醒】
収穫を終えた日の午後。蓮は与えられた官舎の机に、例の芋類百科事典を広げていた。エリシアが横で記録の整理をしている。
「藤村殿、その書物……やはり、何度見ても不思議です。絵が……まるで生きているように写実的で」
「これは“写真”っていって、僕の世界の技術なんですが…… まぁ、今は説明しても信じてもらえませんよね」
「信じたいとは思っています。見たことのないものを、私は記録し、学ぶのが好きですから」
エリシアが微笑むと、蓮は少しだけ心が軽くなった。ページをめくると、サツマイモの写真が現れた。
鮮やかな赤紫色の皮、ほくほくとした感じの断面。
「藤村殿……この下の文字は、なんと読むのですか?」
エリシアが写真下の文章を指で示す。
「これは“サツマイモ”です。僕の好きな芋の一つで ――」
その瞬間だ。百科事典のページが、ふわりと柔らかい光を放ち始めた。それと同時に、蓮の意識が一瞬薄れる。そして ――
「っ……!?」
「な、何事ですか!?」
エリシアが椅子から立ち上がり、蓮も目を丸くした。光はページから溢れ、部屋の空気が震える。
次の瞬間――
ぽんっ。机の上に、サツマイモの“種芋”としか思えない芋が数個、転がり落ちた。
「……召喚魔法……?」
エリシアが震える声で呟く。
蓮は呆然としながら、机の上の芋を手に取る。
「いや、いやいや……そんなバカな…… でもこれ、確かにサツマイモの種芋だけど……」
「藤村殿、これは……あなたが“名前を呼んだ”直後に起きました」
エリシアは動揺しながらも冷静に観察していた。
「試しに、違う芋も呼んでみるとか……?」
「い、いや、危なくないかな……?」
しかし蓮は興味に勝てず、次のページにあるジャガイモの写真を指さす。
「じゃあ……これは、“ジャガイモ”」
瞬間、再び光が走り、ぽんっと数個の種芋が出現した。エリシアは口元を押さえる。
「藤村殿……! あなたの書は……“植物召喚の魔導書”なのですか……!?」
「いや、違……違うはずなんだけど……!」
さらに蓮は、芋の花のページを開く。
「これが……ジャガイモの花」
ぽわんっ――と今度は紫の可憐な花が落ちてきた。二人は顔を見合わせた。
「……もう、こうなったら全種類いきますか」
「いきましょう」
二人は思わず意気投合してしまった。
こうして蓮とエリシアは、百科事典に載っている芋類・花類の名前を片っ端から読み上げ、そのたびに光が走り、少量のサンプルが机の上に転がり落ちた。結果、机の上は“芋祭り”となった。
「す、すごい量ではありませんが……確かにすべて違う種類の芋です……」
「これは……農業革命どころじゃない……!」
◆【召喚の法則を検証する日々】
その後の数日間、蓮とエリシアは百科事典の“召喚能力”について地道に検証を行った。
判明したことは三つ。
①召喚できるのは植物のみ
写真に写っている人物や農機具などは、召喚できず、植物の写真について名前を読み上げたときだけ、その品物が召喚される。
②召喚できる量は少量のサンプルのみ
どんな芋でも、“数個”が限界。花も“一輪か二輪”。大量召喚はできない。
③召喚は写真の下の文字を読むと発動
蓮だけでなく、エリシアが読んでも発動した。※ただし発音が正確でないと発動しないらしい。
④同じ品種は一度召喚すると“24時間待ち”
連続で呼ぼうとしても、光が微かにゆらめくだけで何も起きない。
「……どうやら、この本には“制限”があるようです」
「うん。もし無限に呼べるなら危険すぎるし……まぁ、このくらいがちょうどいいのかも」
蓮はサンプルの芋を並べながら、じっと見つめた。
(これだけの種類の芋……この世界で全部育てられたら ―― 農業は、確実に変わる)
そしてエリシアもまた、蓮と同じものを見ようとしていた。
「藤村殿……この本は、あなたへ“試練”を与えているのかもしれません。少しずつ種を与え、育てさせ、確かめさせる……そういう意志を感じます」
「試練、か……。 でも、それなら――やってみる価値はあるよね」
こうして、蓮とエリシアの前に、新たな“芋世界”が広がり始めた。しかしこのとき二人は、写実の書が「与える」だけでなく「試す」存在でもあることに、まだ気づいていなかった。




