◆第4話「黄金の霧と種火の魔道士」
深夜の実験場。周囲は静まり返っているが、実験タワーの周りだけは熱気と緊張感に包まれていた。リオネルの目の下には濃いクマができ、蓮のシャツも煤で汚れている。だが、彼らの目は死んでいなかった。
「……見えてきました」
リオネルが、数式で埋め尽くされた黒板を指差した。
「失敗の原因は『温度のムラ』です。ガントさんの火は安定していますが、塔内部で熱気が対流し、場所によって温度差が生まれています。そのせいで、一部は焦げ、一部は乾かない」
「対策は?」
蓮が問う。
「旋回流です」
リオネルが答える。
「熱風を真っ直ぐ吹き上げるのではなく、螺旋状に回転させながら送り込む。そうすれば、遠心力で霧が壁に触れるのを防ぎつつ、均一に熱を当てられます」
リオネルは、ガントとミリアに向き直った。
「ガントさん、あなたの『種火』を、風魔法に乗せて回転させます。出力は今の6割。ただし、絶対にそれを維持してください。少しでも温度が上がれば焦げます」
「……6割の維持。やってやる」
ガントが脂汗を拭う。
「ミリア君。君は霧を可能な限り細かく、そして『ゆっくり』落としてくれ。滞空時間が長ければ、低い温度でも乾く」
「は、はいっ! 頑張ります!」
条件は出揃った。あとは、それを実行できるかだ。それはもはや、個人の魔法の腕前だけの問題ではない。三人の魔道士が、一つの巨大な「機械」の部品となり、呼吸を合わせるセッション(合奏)だった。
「最終実験、開始!」
蓮の合図と共に、ミリアが杖を振る。塔の頂上から、これまでで最も繊細なスープの霧が舞い降りる。同時に、ガントが魔力を練り上げる。彼は目を閉じ、意識を炎と同化させた。爆発はいらない。破壊もいらない。必要なのは、赤子が眠るゆりかごのような、優しく、持続する温もり。
「……今だ、回せ!」
リオネルが補助魔法を起動し、ガントの熱気を螺旋状にねじ曲げる。ゴオオオッ……!塔の内部で、熱の竜巻が生まれた。だがそれは荒れ狂うものではなく、整然とした黄金の螺旋階段のようだった。降り注ぐスープの霧が、熱の階段に取り込まれる。ジュワ……ジュワ……。微かな音が響く。焦げる臭いはない。生臭い湿気もない。漂ってくるのは――香ばしい、コンソメの香り。
「温度安定! 排気湿度、低下! ……いける、いけるぞ!」
リオネルが計器を見ながら叫ぶ。ガントは歯を食いしばっていた。魔力が枯渇しかけている。視界が霞む。だが、彼は炎を消さなかった。
(俺の火だ。俺の火が、今、スープを黄金に変えているんだ……!)
「乾燥終了! ……取り出し!」
塔の底にある取り出し口が開かれた。蓮、リオネル、ガント、ミリア。四人が固唾を飲んで覗き込む。
サラサラ……。そこには、一粒の焦げもなく、湿り気もない、美しい黄金色の粉末が積もっていた。照明の光を反射して、まるで砂金のように輝いている。
「……できた」
蓮が、震える手でその粉を指ですくった。舐める。濃厚な肉と野菜の旨味が、口の中で爆発的に広がる。
「成功だ……! 完璧な乾燥スープだ!」
「やった……やったぁ!」
ミリアが座り込んで歓声を上げる。リオネルも、いつもの冷静さをかなぐり捨ててガッツポーズをした。
「理論値通り……いえ、それ以上です! 人力の魔力制御が、計算を超えました!」
そして、ガント。彼は、自分が作り出した「黄金の粉」を呆然と見つめていた。蓮が、お湯の入ったカップを持ってきた。粉末をスプーン一杯入れ、かき混ぜる。ふわりと湯気が立ち上り、粉は一瞬で元の美味しいスープへと戻った。
「ガントさん。飲んでみてくれ」
渡されたカップを、ガントは両手で包み込んだ。温かい。震える手で一口飲む。
「……うまい」
涙が、スープの中に落ちた。
「俺の火だ……。俺の『種火』が、こんなに美味いものを作ったんだ……」
これまで「火力不足」と罵られ続けてきた自分の魔法。冒険者の役には立たず、魔物の皮一枚焦がせなかった魔法。だが今、その魔法は、最新鋭の技術を実現する「心臓部」となった。破壊のための爆炎ではなく、誰かのお腹を満たし、温めるための、優しい炎。
「ありがとう、工場長……。俺を、拾ってくれて……」
男泣きするガントの肩を、蓮は強く叩いた。
「礼を言うのは僕の方だよ。君がいなければ、この技術は絵に描いた餅だった。君はもう『落ちこぼれ』じゃない。この工場の『乾燥主任』だ」
リオネルも、ミリアも、互いに顔を見合わせて笑った。一人ではできなかった。天才と呼ばれるリオネル一人でも、理論を知る蓮一人でも、スープは焦げていただろう。不器用な風と、弱すぎる火と、頭でっかちな理論。凸凹な彼らが組み合わさり、互いの欠点を補い合ったとき、魔法は「奇跡」ではなく「技術」へと進化したのだ。
「……さあ、みんな。夜食にしよう。メニューはもちろん、世界初の『特製コンソメスープ』だ!」
蓮の声に、全員が笑顔で応えた。
工場の煙突から、うっすらと白い蒸気が上がり始めた。それは、王国の食卓を変える革命の狼煙であり、同時に、社会からはみ出した者たちが、自分の居場所を見つけたことを高らかに告げる旗印でもあった。スープの温かさは、彼らの冷え切っていた自尊心をも、優しく溶かしていったのである。
◆
こうして、蓮の工場には二つのラインが完成した。【フリーズドライ(氷×風)】の固形食ライン。【スプレードライ(火×風)】の粉末スープライン。ここから生み出される製品は、『お湯さえあれば、いつでもどこでも温かいポタージュが食べられる』という、この世界における兵站と冒険の常識を覆す「戦略物資」となろうとしていた。




