◆第3話「スープを粉にせよ ~理論と実践の狭間で~」
年が明けて、十二月末に急ごしらえしたフリーズドライ(真空凍結乾燥)工場の稼働から三ヶ月後。生産された「乾燥マッシュポテト」は順調に麻袋に積み上がっていた。だが、試食をした蓮は、自身の官舎の執務室で腕を組んで唸っていた。
「……味気ない」
お湯で戻したマッシュポテトは、確かにイモの味だ。食料としては申し分ない。だが、それだけだ。塩を振れば食えるが、食事としての満足感が圧倒的に足りない。
「やはり、スープが欲しいですね」
隣で試食していたエリシアも同意する。
「冷えた体には、温かくて味のある汁物が一番です。ですが、乾燥イモと一緒に液体のスープを持ち歩くわけには……」
「だから、スープも粉にするんだ」
蓮は即答した。
「フリーズドライと同じように、スープの水分だけを抜いて粉末にする」
工場長のリオネルが顔をしかめる。
「スープを凍らせて、またあの減圧乾燥を? できなくはないですが、液体を凍らせてから真空にするのは効率が悪すぎます。それに、脂分が多いスープは凍りにくい」
「違うよ、リオネル。液体には液体のやり方がある」
蓮は、新たな図面を机いっぱいに広げた。そこに描かれていたのは、巨大な円筒形の塔のような設備だった。
「『スプレードライ(噴霧乾燥)』という技術だ」
蓮の説明はこうだ。まず、濃縮したスープを塔の頂上から霧吹きのように細かい霧状にして散布する。同時に、塔の下部から高温の熱風を吹き上げる。すると、落下する微細なスープの液滴は、熱風と接触した瞬間に水分を奪われ、底に落ちる頃にはサラサラの「粉」になっている――という理屈だ。フリーズドライが「氷と真空」の技術なら、スプレードライは「霧と熱風」の技術である。
「必要なのは、スープを微細な霧にする『風魔法』。そして、その霧を一瞬で、かつ焦がさずに乾かす『火魔法』だ」
リオネルは図面を睨みつけ、指でこめかみを押さえた。
「……藤村殿。理屈は分かります。水溜りが夏の日差しですぐ乾くのと同じ原理を、一瞬で行うわけですね。ですが……」
彼は重々しく首を振った。
「魔法技術的な難易度が桁違いです」
「難しい?」
「ええ。『熱風で乾かす』と口で言うのは簡単ですが、火加減を少しでも間違えれば、スープは一瞬で炭になります。逆に温度が低ければ、生乾きのベトベトした液体が床に落ちて腐るだけです。スープの霧、一粒一粒に対して、焦げず、かつ完全に乾くギリギリの熱量を与え続ける……。そんな芸当、爆炎を操るような戦闘用魔道士には不可能です」
「だから」
蓮はニヤリとした。
「また『落ちこぼれ』を探そう。今度は、火の」
◆
翌日、新たな求人が出された。
【急募:火属性魔道士。条件:爆発魔法が使えない方。火力が弱く、お湯を沸かす程度しかできない方。長時間、とろ火を維持できる方】
やってきたのは、ガントという中年の男だった。彼は背中を丸め、自信なさげにボロボロのローブを纏っていた。
「……あの、私は冒険者ギルドで『種火』と馬鹿にされていまして……。焚き火の着火くらいしか能がないのですが……」
蓮は彼の手を見た。指先には、ライターの火のような小さな炎が揺れている。その炎は、決して大きくならないが、驚くほど安定して揺らぎもしなかった。
「素晴らしい。君は『ヒーター』だ」
「ひ、ひーたー……?」
「君のその安定した弱火が、最高のスープを作るんだ」
そしてもう一人。以前採用した「突風の少年」とは逆に、「霧のような繊細な風」しか操れず、攻撃力皆無で悩んでいた風属性の少女ミリアが、「噴霧係」として配置された。
◆
工場の隣に、急造の実験用タワーが建設された。高さ五メートルほどの木の筒だ。「では、第一回実験を開始する!」蓮の号令と共に、実験が始まった。
「ミリア、噴霧開始!」
「は、はいっ!」
塔の上部で、少女ミリアが震える手でスープの入った桶に風魔法をかける。黄金色のスープが、霧吹きのように細かくなって塔の中へ散布された。
「ガントさん、着火!」
「う、うむ……!」
塔の下部で、ガントが両手をかざす。彼の掌から熱気が立ち上り、塔の中へ吸い込まれていく。
ジュッ……!塔の中から、何かが焼ける音がした。そして次の瞬間、排気口からモクモクと黒い煙が噴き出した。
「うわっ! 焦げ臭い!」
リオネルが慌てて防護結界を展開する。塔の底を開けると、そこには粉末スープではなく、真っ黒に炭化した「謎の物質」がこびりついていた。
「失敗だ……。温度が高すぎる」
蓮が咳き込みながら言う。ガントが青ざめた。
「す、すまない……! 一生懸命、熱を送らねばと思って……」
「じゃあ次は弱めで!」
二回目。今度はガントが恐る恐る熱を送る。結果は――塔の底に、ドロドロに煮詰まったスープの池ができただけだった。
「今度は乾燥不足だ……」
三回目、四回目、五回目。結果は惨敗だった。焦げるか、濡れるか。その中間の「乾燥」というポイントに、どうしても着地できない。夕方になり、実験場には大量の失敗作と、焦げたスープの匂いが充満していた。
「……無理です」
ガントが膝をついた。その手は魔力枯渇で震えている。
「私には無理だ……。やはり『種火』ごときが、高度な加工など……」
ミリアも泣きそうな顔だ。
「私が……霧の粒をもっと揃えられれば……」
リオネルが、厳しい顔でデータを記録した羊皮紙を睨んでいた。
「藤村殿。……変数が多すぎます。霧の粒子の大きさ、落下速度、熱風の温度、風量。これらが完璧に噛み合わなければ、スプレードライは成功しません。人間の感覚だけで調整するのは、限界があります」
蓮も唇を噛んだ。現代の工場なら、センサーとコンピュータが制御してくれる。だがここには、彼らの「感覚」と「魔力」しかない。理論は正しい。だが、それを現実に落とし込むための「橋」が足りない。
「……今日はここまでだ」
蓮が苦渋の決断を下そうとした時、ガントがふらりと立ち上がった。
「もう一度……もう一度だけ、やらせてくれ」
「ガントさん? でも、もう魔力が……」
「俺は、ずっと『役立たず』と言われてきた」
ガントの煤けた顔に、鬼気迫る色が宿っていた。
「冒険者パーティでは『火力が足りない』とクビになり、鍛冶屋では『鉄も溶かせない』と笑われた。……でも、あんたは言ったな。『その弱火が必要だ』と」
ガントは、自分の掌を見つめた。そこには、頼りなく、しかし決して消えない小さな炎があった。
「俺の火が、何かを生み出せるなら……ここで諦めたら、俺は一生『種火のガント』のままだ。……頼む、工場長。数値をくれ。俺がどのくらいの熱を出せばいいのか、正解を教えてくれ!」
その熱意に、リオネルが目を見開いた。そして、彼は自分の頬をパンと叩いた。
「……私が甘かった。職人がここまで腹をくくっているのに、技術屋が諦めるわけにはいきませんね」
リオネルは羊皮紙をめくり、猛烈な勢いで計算を始めた。
「藤村殿、現代の知識で補足を! 熱力学の計算式が必要です!」
「分かった! 飽和水蒸気量と熱交換率の概算を出す!」
夜の帳が下りる中、工場の明かりだけが煌々と輝いていた。煤だらけの男たちが、黄金の粉を求めて、再び塔へと向かう。それは、魔法使いが初めて「工業」という未知の魔物に挑んだ、長い夜の始まりだった。




