第一部◆最終話「春を待つ種芋」
翌朝、村の空気は昨日までとは打って変わって、穏やかなものになっていた。広場に集められた村人たちは、蓮の指示に従って、麻袋を村の共同倉庫へと運び込んでいく。
「いいですか、大事な約束事は三つです」
蓮は、倉庫の前で村長ハンズと数人の若者に向き合い、指を折って説明した。
「一つ、光に当てないこと。光に当たると緑色になって、毒ができます。二つ、凍らせないこと。毛布や藁をかけて、温度を保ってください。三つ、春になったら種芋として植える分を、必ず残すこと」
エリシアが、あらかじめ用意してきた羊皮紙の「マニュアル」をハンズに手渡す。文字が読めない村人のために、絵図も添えられたものだ。
「ここにも書いてあります。困ったときは、これを見てください」
「……ありがたい。この紙も、芋と同じくらい大切にします」
ハンズは羊皮紙を震える手で受け取り、懐深くへと仕舞い込んだ。倉庫の奥、暗がりに積まれた麻袋。それはもはや、忌むべき「魔法の種」ではない。冬を越え、春を呼ぶための「命の糧」だった。
◆
昼過ぎ、蓮たちの馬車は出発の時を迎えた。荷台は空っぽになり、車体は驚くほど軽い。村の入り口には、ハンズをはじめとする村人たちが総出で見送りに来ていた。
「お嬢様! 春になったら、また来てください!」
「芋の花が咲いたら、見に来てくれよな!」
昨日、最初にスープを飲んだ少年が、大きく手を振っている。その頬には血色が戻り、昨日のような虚ろな影はもうない。
「ええ、必ず。……約束します」
エリシアは馬車の窓から身を乗り出し、大きく手を振り返した。リオネルが鞭を鳴らし、馬車がゆっくりと動き出す。車輪が雪を踏みしめる音が、心地よいリズムを刻む。
村が小さくなり、やがて丘の向こうに見えなくなるまで、エリシアはずっと後ろを見つめていた。
◆
街道に戻ると、車内には静かな時間が流れた。
「……荷物がなくなって、馬車が軽くなりましたね」
蓮が何気なく言うと、エリシアは窓から視線を戻し、穏やかに微笑んだ。
「はい。でも……私の心は、もっと軽くなりました」
彼女は胸に手を当てた。
「あの村に行くのが、ずっと怖かったんです。祖父の記憶と、救えなかった過去が重たくて……。でも、ようやく……前に進めた気がします」
蓮は頷いた。エリシアの過去の清算。それは、ジャガイモという作物が、単なるカロリー源を超えて、人の心を救った瞬間でもあった。
(……『うまく活用しろ』か)
蓮はふと、以前夢で見た「編纂者」の言葉を思い出した。あの言葉は、単に「効率よく生産しろ」という意味ではなかったのかもしれない。人の手に渡し、根付かせ、未来へ繋ぐ。そこまでやって初めて「活用」なのだと。
種は手渡された。リド村の畑に春が来れば、彼らは自分たちの手で芋を植え、育て、収穫するだろう。もう、蓮がいなくても大丈夫だ。
「……私の役目は、種を蒔くことまで、ですね」
蓮が独り言のように呟くと、エリシアがきょとんとした。
「何か言いましたか?」
「いえ。……ただ、まだまだ忙しいひは続くだろうなと思って」
◆
蓮は背筋を伸ばし、エリシアを見た。
「帰ったら、すぐに来年の計画ですよ。エリシアさん」
「はい。まずは?」
「白いサツマイモの増産です。種芋は少ないですが、春からツルを増やしていけば、秋にはそれなりの量が確保できるはずです。マルクス殿との約束通り、救貧作物として広めないと」
「そうですね。あの甘い焼き芋も魅力的ですが、白い芋も大事な戦力です」
エリシアは楽しそうに記録板を取り出し、ペンを構えた。
「それから、サトイモの薬用利用の経過観察に、ジャガイモエールの蒸留実験の続き……あ、そうだ」
蓮は思い出したように指を立てた。
「あの村のポトフ、美味しかったでしょう?」
「ええ、とても」
「次は、あの中にもっと根菜をを入れたいんです。ジャガイモと根菜は相性抜群ですから」
「根菜なら王都の市場にありますね。それとも、また、新しい作物ですか?」
エリシアとリオネルが顔を見合わせて笑った。 「藤村殿といると、退屈する暇がありませんね」
馬車は王都へ向かって進む。 空からは白い雪がちらつき始めているが、雲の隙間からは確かな光が差し込んでいた。冬は始まったばかりで、まだまだ続く。だが、あちこちの蔵の中で、手渡された種芋たちが静かに眠り、来るべき春を待っている。
異世界に「芋」という名の希望を植えた青年と、それを記録し支えた人々の物語は、ここでひとつの区切りを迎える。しかし、彼らの畑はまだ広がっていく。新たな季節と共に、また新しい芽が顔を出すその日まで。
(第一部 完)
ここまでお読みいただきありがとうございます! 明日、朝7時から第二部、加工食品・工場建設編として『異世界イモ政治経済学2 ~良かれと思ってイモを加工食品にしたら~』がスタートします! いよいよ即席麺の開発や、いろんな魔道士たちとの出会いが待っています。




