◆第41話「ポトフの呼びかけ」
広場の中央、古びた井戸のそばに、大きな鉄鍋が据えられた。リオネルが魔法ではなく手作業で集めた薪に火をつける。パチパチという音とともに、赤い炎が頼りなげに立ち上った。
家々の扉は閉ざされたままだ。しかし、窓の隙間や板戸の節穴から、いくつもの視線がこちらを突き刺しているのを肌で感じる。
「……本当に、これで分かってもらえるのでしょうか」
エリシアが不安げに呟く。彼女は村長に拒絶されたショックを隠しきれていない。無理もない。善意で持ち込んだものを「詐欺」と呼ばれたのだから。
蓮は、麻袋からゴロゴロとジャガイモを取り出しながら、静かに答えた。
「彼らは騙されるのが怖いんです。言葉は嘘をつきますからね。でも――」
蓮は腰のナイフを抜き、ジャガイモの泥だらけの皮をスルスルと剥いた。
「料理は嘘をつかない」
現れたのは、乳白色の滑らかな肌。蓮はそれを一口大の乱切りにしていく。ザクッ、ザクッという小気味よい音が、静まり返った広場に響く。
「リオネル、そっちの塩漬け肉、細かく刻んでくれ。エリシアさんは、干し野菜を水で戻して」
「は、はい」
「分かりました」
三人は黙々と手を動かした。これは調理であり、同時に村人たちへの無言の「実演」でもあった。
◆
鍋が熱くなると、蓮は刻んだ塩漬け肉を投入した。ジューッ! 脂が溶け出し、肉が焦げる芳ばしい音が弾ける。その瞬間、広場の空気が変わった。肉が焼ける匂い。それは、貧しい村人たちにとって、強烈な食欲のスイッチだ。
「……いい匂いだ」
リオネルが思わず喉を鳴らす。
蓮はそこに、戻した干し野菜(玉ねぎや人参の類)を加え、軽く炒め合わせる。香りが複雑さを増していく。そして最後に、大量のジャガイモを投入し、井戸から汲んだ水を並々と注いだ。
「あとは、煮込むだけです」
グツグツ、コトコト。 鍋が歌い始める。白い湯気が立ち上り、風に乗って家々の隙間へと入り込んでいく。
蓮が作っているのは、飾り気のない「ポトフ」――ごった煮だ。特別なスパイスも、高級なブイヨンも使わない。塩と、肉から出る出汁、そして素材の味だけ。
しかし、時間が経つにつれ、鍋の中に変化が起きた。秋ジャガイモはデンプン質が多い。煮込むうちに、乱切りにした芋の角が取れ、溶け出し、透明だったスープが白濁してとろみを帯び始めたのだ。
「……見てください、エリシアさん」
蓮が鍋の中を指し示す。
「ジャガイモが溶けて、スープと一体になっています。これが、この芋の力です」
ただのお湯ではない。とろりとした、栄養の塊のようなスープ。 肉の塩気と脂を、ジャガイモが吸い込み、逆にジャガイモの甘みがスープに溶け出す。
その濃厚な香りは、もはや暴力的なまでに村を包み込んでいた。
◆
ギィ……。 どこかの家の扉が、わずかに開く音がした。
見れば、小さな男の子が一人、扉の隙間から顔を出している。痩せた頬、大きな目。その目は、鍋から立ち上る湯気に釘付けだった。
「……母ちゃん、なんか、いい匂いがする」
家の中から、母親らしき声がする。
「見ちゃいけません! あれは魔法使いの罠だよ」
「でも……お肉の匂いだよ……?」
子供だけではない。別の家からも、老人が、若者が、窓から顔を覗かせている。彼らは知っている塩漬け肉の匂いの中に、嗅いだことのない、しかしどこか懐かしく温かい「大地の香り」を感じ取っていた。
それは、彼らが恐れた「魔法の種」や「怪しい薬」の匂いではない。まぎれもない、「夕餉」の匂いだった。
蓮は、お玉でスープをすくい、とろりと落ちる様子をわざとらしく見せた。
「よし、完成だ」
鍋の中には、黄金色のスープと、ほくほくに煮えたジャガイモがたっぷりと踊っている。石ころのようだった芋は、今や湯気をまとう「ご馳走」に変わっていた。
蓮はエリシアに目配せをした。 ここから先は、料理人の出番はない。皆の顔見知りである領主の孫娘でなければできない。
エリシアは頷き、木の椀を手に取った。そして、震える足を叱咤して、最初の一歩を踏み出した。
「……どなたか」
彼女の声は、寒空に凛と響いた。
「どなたか、味見をしていただけませんか。毒など入っていないことを、確かめていただきたいのです」
返事はない。だが、扉の隙間は、さっきよりも少しだけ広く開いていた。沈黙のポトフは、言葉よりも雄弁に、彼らの胃袋と記憶をノックし続けていた。




