◆第40話「凍てつく拒絶」
王都を出てから五日目。景色は一変していた。石畳の街道はいつしか途切れ、踏み固められただけの土の道が続いている。周囲には枯れ木が目立ち、降り積もった雪がまばらに大地を覆っていた。
リオネルが御者台で手綱を握り、荷台には蓮とエリシア、そして山積みの麻袋が揺られている。
「寒くなってきましたね」
蓮が襟元を合わせながら言うが、エリシアは白い息を吐きながら黙って窓の外を見つめていた。その横顔には、帰郷の喜びよりも、どこか張り詰めた緊張感が漂っている。
「もうすぐです。この丘を越えれば、かつての祖父の領地ロミナ地方のリド村が見えてきます」
彼女の声はわずかに震えていた。今回、蓮は公務ではなく休暇を取り、私的な立場でエリシアに同行していた。目的は一つ。収穫したばかりの秋ジャガイモを、冬の備蓄としてこの村に届けることだ。
やがて馬車が丘を越えると、灰色の空の下に小さな集落が現れた。家々は古びており、屋根には雪が積もり、修繕の跡が痛々しい。煙突から細く煙が上がっているのが、そこで人が生きている唯一の証だった。
「……静かですね」
リオネルが馬の速度を落としながら呟く。
村の入り口に馬車が止まると、家々の隙間から村人たちが顔を覗かせた。しかし、誰一人として近づこうとはしない。その目は、来訪者を歓迎するものではなく、警戒と拒絶の色を帯びていた。
◆
「……私が、話をします」
エリシアは意を決して荷台を降りた。蓮とリオネルも後に続く。
エリシアが広場の中央に立つと、一軒の家から、杖をついた老人がゆっくりと姿を現した。村長のハンズだ。
「……どなたかな。旅の方とお見受けするが、この村には売るものも、もてなす宿もありませぬぞ」
しわがれた声が、冷たい風に乗って届く。
エリシアはフードを外し、深く頭を下げた。
「ハンズ、私です。……エリシアです」
老人の目が大きく見開かれた。
「エリシア様? おお、エリシアお嬢様でございますか!」
その声に、周囲の家々から村人たちが恐る恐る出てきた。
「領主様の孫娘だ」「生きておられたか」と、ささやき合う声が聞こえる。だが、そこにはかつての領主を迎える温かさはなく、どこか気まずいような、重苦しい空気が漂っていた。
「よくぞ……ご無事で。王都で文官になられたと聞いておりましたが」
「はい。今日は、あなたたちにお持ちしたものがあって参りました」
エリシアは蓮を振り返り、頷いた。蓮は荷台の覆いを外し、麻袋の一つを開けた。
「ジャガイモといいます。王都で育てた新しい作物です。冬の間も保存がききますし、栄養もあって――」
蓮が笑顔で袋の中身を見せた、その瞬間だった。
◆
ザッ。村人たちが、一斉に後ずさった。
「……なんだ、それは」
「土の塊か……?」
「石ころみたいだぞ……」
ハンズ村長の表情が、すっと能面のように冷たくなった。
「……お嬢様。これは、何でございますか」
「ですから、ジャガイモという芋で……とても美味しいのです。これを食べて、冬を乗り切ってほしくて」
エリシアが必死に説明しようとするが、ハンズは首を横に振った。
「お嬢様。お気持ちはありがたい。……ですが、お引き取りください」
拒絶の言葉は、氷のように冷たかった。
「え……? でも、ハンズ、食料が足りていないのでしょう? これがあれば……」
「いりません!」
老人が声を荒げた。その剣幕に、エリシアが言葉を失う。
ハンズは悲痛な顔で、地面を杖で突いた。
「……あの飢饉のあと。この村に何人の商人が来たと思いますか。『すぐに育つ魔法の豆』『撒くだけで実る奇跡の粉』……。藁にもすがる思いで、私たちはなけなしの金を払いました。生きるために」
村人たちが俯く。
「ですが、どれもインチキでした。豆は芽も出ず、粉はただの砂。……私たちは、もう何も持っていないのです。騙し取られる金も、期待する心も」
ハンズの視線が、麻袋の中のジャガイモに向けられる。
「その汚れた土の塊も、どうせ『魔法の種』なのでしょう? 見たこともない、聖典にもない、怪しげな根っこ……。そんなものを食うくらいなら、私たちは泥水をすすってでも、知っている麦だけを信じて死にます」
◆
エリシアの顔から血の気が引いていく。
「ち、違います……! これは詐欺ではありません! 本当なんです、信じて……!」
だが、彼女が叫べば叫ぶほど、村人たちの心は閉じていくようだった。飢えと絶望に漬け込まれ、何度も裏切られた人々の傷。それは、善意の言葉だけで癒せる深さではなかった。
「……お帰りください」
ハンズは背を向けた。
「私たちは、今のままで十分です」
村人たちも次々と家の中へと戻り、扉を固く閉ざしていく。広場には、蓮とエリシア、リオネル、そして麻袋に入った泥だらけのジャガイモだけが取り残された。
北風が吹き抜け、エリシアの頬を涙が伝う。
「……どうして。私は、ただ……」
蓮は、彼女の肩にそっと手を置いた。
「……仕方ないですよ、エリシアさん」
「藤村殿……」
蓮は、誰もいなくなった家々の扉を見つめ、静かに言った。
「逆の立場なら、僕だって信じません。こんな泥だらけの石ころみたいな芋、いきなり『美味しいから食え』って言われても、恐怖しかない」
蓮は麻袋の中のジャガイモを一つ手に取った。無骨で、土にまみれ、決して美しいとは言えないその姿。
「言葉じゃ無理だ。理論も、身分も通じない」
「では……諦めて帰るのですか?」
リオネルが不安そうに尋ねる。
蓮は首を振った。そして、少しだけ悪戯っぽく、しかし力強く笑った。
「いいえ。言葉が通じないなら――『胃袋』に訴えるまでです」
蓮はリオネルに向き直った。
「リオネル、薪を集めてくれ。あと水もだ。 ここで飯を作る」
「……え? ここで、ですか?」
「ああ。一番わかりやすい言葉で、説得するんだ」
凍てついた村の広場で、蓮の攻勢――いや、調理が始まろうとしていた。




