◆第37話「庶民の味、貴族の味」
王都の冬は、石畳の底から冷えが上がってくる。吐く息は白く、道行く人々は厚手の外套に顔を埋めて足早に過ぎ去っていく。 そんな広場の一角に、奇妙な屋台が現れた。
小さな荷車の上に、鉄製の釜。下からは薪の火が燃え、釜の中には焼けた小石がぎっしりと詰まっている。そして何より、そこから漂う香りが、人々の足を止めた。 焦げた皮の香ばしさと、蜜のような濃厚な甘い匂い。
「……なんだ、この匂いは」
「甘い匂いだな……菓子屋か?」
ざわめく人々の前で、蓮は大きく息を吸い込んだ。隣には、少し顔を赤くしたエリシアが、ハンドベルを構えている。
「せーの、」
「は、はい……!」
チリーン、チリーン。
「い〜しや〜〜きいも〜〜。お芋」
「……やきいも〜……」
蓮の独特な節回しのあと、エリシアが蚊の鳴くような声で復唱する。
「……なんだその歌は?」
子供たちが不思議そうに寄ってきた。蓮は笑って、釜の蓋を開ける。もわっと広がる湯気と共に、甘い香りが爆発的に広がった。
「石焼き芋だよ。温かくて、甘いよ。銅貨一枚だ」
「甘いのに、銅貨一枚!?」
この世界で、砂糖を使った菓子は銀貨が必要な贅沢品だ。銅貨で買える甘味など、干した果物くらいしかない。それとて、銅貨一枚では買えるとは限らない。
蓮は新聞紙……の代わりに古くなったわらで、熱々の芋をくるんで渡した。
「熱いから気をつけて。半分に割ってごらん」
子供が言われた通りに割る。黄金色の中身から湯気が立ち上る。ハフハフと言いながら口に放り込み――目が輝いた。
「――あまーーい!!」
その叫び声が、何よりの宣伝だった。
「おい、俺にもくれ!」
「私にも!」
「家内への土産にする!」
◆
あっという間に行列ができた。 寒空の下、熱々の芋を懐に入れ、少しずつかじりながら歩く。その温かさと甘さは、厳しい冬を生きる庶民にとって、まさしく「魔法」以上の救いだった。
「……売れますね、藤村殿」
エリシアが、忙しく芋を包みながら言う。
「でしょう? 冬の焼き芋は無敵なんです」
だが、その行列を遠くから見つめる視線があった。豪奢な外套をまとった男――王都の菓子職人ギルドの重鎮が、信じられないものを見る目で、庶民が頬張る「土の固まりのようなもの」を睨みつけていたのである。
◆
焼き芋のブームは、瞬く間に王都を席巻した。「安くて甘い」という噂は、庶民から下級貴族の耳にも届き始めていた。 そんなある日、蓮の官舎を訪ねてきた男がいた。
「単刀直入に言おう。あの『サツマイモ』とやらを、私に卸していただきたい」
男の名はガストン。王都でも一、二を争う菓子職人であり、宮廷の茶会にも菓子を納める実力者だ。職人らしい厳めしい顔つきだが、その目は燃えていた。
「焼き芋を食べた。悔しいが……あの甘さは本物だ。砂糖を使わずにあれだけの甘みが出るとは、素材として魅力的すぎる」
「お菓子に使うつもりですか?」
「そうだ。焼き芋は美味かったが、あくまで『野趣』だ。庶民の喰い物としてはあれでいい。だが、私はあれを、貴族の皿に乗る『洗練された菓子』にしたい」
蓮は少し考え、貯蔵庫へ案内した。
「私は、ここにあるサツマイモを焼き芋にして売っています。これなら、きっとお眼鏡に叶うはずです」
◆
数日後。ガストンが再び現れたとき、彼の手には美しい化粧箱があった。
「食べてみてくれ。新作、『黄金のタルト』だ」
箱を開けると、そこにはまるで宝石のような菓子が並んでいた。 サツマイモを丁寧に裏ごしし、高価なバターと卵黄、そして少量の蜂蜜を加えて練り上げ、タルト生地に乗せて焼き上げたものだ。
エリシアが一口食べ、ほうっとため息をついた。
「……上品です。焼き芋の野性味が消えて、滑らかなクリームになっています……でも、奥底にある香りは確かにサツマイモで……」
「紅茶に合いますね、これは」
蓮も舌を巻いた。さすがはプロの仕事だ。
この「黄金のタルト」は、貴族社会で爆発的な人気を博した。砂糖を大量に使わないため、「重すぎない甘さ」として婦人たちに歓迎されたのだ。サツマイモは「下賤な者のための救貧作物」から、一夜にして「大地の恵み、黄金の芋」へと評価を変えた。
◆
だが――光が強ければ、影も落ちる。徴税庁の執務室で、マルクスは一枚の報告書を指先で弾いた。
「……単価が上がっているな」
「はい」
部下が報告する。
「菓子職人が買い付けを始めたことで、サツマイモの取引価格が高騰しています。一部では、麦よりも高く売れると」
マルクスは眼鏡の奥の目を光らせた。
「救貧作物として免税特権が与えられたのは、それが『貧しい者の糧』だからだ。だが、貴族の茶菓子となり、高値で取引されるなら話は別だ」
彼は静かに言った。
「贅沢品には、贅沢品の税を。……藤村蓮を呼べ」
成功が、新たな首輪を招き寄せようとしていた。




