◆第27話「巡る季節と先送りできないもの」
季節の移り変わりは人の意志とは関係なく進む。九月に入り、蓮の実験農園は秋ジャガイモの植え付け時期になった。
王都では、相変わらずジャガイモエールを巡る議論が続いていた。徴税官長マルクスは曖昧な態度を崩さず、醸造ギルドは水面下で圧力をかけ、修道院は「医療用途」という言葉を盾に動き始めている。誰もが結論を先延ばしにし、様子見を決め込んでいた。
だが、畑は待ってくれない。秋ジャガイモは、早く植えすぎると暑さで病害虫のリスクが増えるし、遅すぎるとイモが十分に大きくならないうちに冬が来る。今を逃せば、よい秋ジャガイモは育たない。
「……議論は止まってるけど、土はちゃんと季節を覚えてるな」
蓮は、畑に立ち、土をすくって指先でほぐしながら呟いた。昼間の暑さはまだ残っているが、朝夕の風は確実に秋の気配を帯び始めている。
エリシアは記録板を抱えながら、畝を見渡した。
「こうして見ると、不思議ですね。政治の話は堂々巡りなのに、畑はやることがはっきりしている」
「自然は迷わないですからね。今植えろ、って時期になったら、植えるしかない」
秋ジャガイモは春植えとは少し性格が違う。生育期間は短く、霜が降りる前に収穫する必要がある。その分、手際と管理が重要になる。
種芋をみてエリシアが言う。
「今回使うのは、この前収穫した小ぶりの芋ですね」
「ええ。芽がしっかりしていて、病気の兆候がないものだけ選びます」
エリシアは、ふと顔を上げた。
「もう、あの本からは出せないんですよね」
「ええ。だから――慎重に」
蓮は籠から種芋を取り出し、一つ一つ確認していった。この小さな塊に、すべてが懸かっている。芽の色、張り、皮の状態。農民たちは、その丁寧さをじっと見守っていた。
「藤村殿は、芋を見る目がある」
「目というか、経験ですね。失敗もいっぱいしてきましたから」
蓮は、種芋を半分に切り、切り口を乾かすために並べていく。
「秋ジャガイモは、腐りやすいんです。だから、切り口を乾かすのが大事で……」
「それも記録しておきます」
エリシアは即座にペンを走らせた。
畝は春よりもやや低めに作られた。秋雨で水が溜まりすぎないようにするためだ。
「深さは10センチ程度。あまり深く植えすぎると、成長が遅れます」
蓮が説明すると、農民たちは黙々と同じ動作を繰り返す。今では、彼の指示に疑問を挟む者はほとんどいなかった。
リオネルが、少し離れたところから様子を見ていた。
「……不思議なものですね」
「何がですか?」
「ジャガイモを植えているだけなのに、国の税や宗教まで絡んでくる」
「それだけ影響力があるってことですよ」
蓮は土を被せながら、静かに言った。
「食べ物は、社会の根っこですから。安くて腹いっぱいになるものほど、揉めるんです」
最後の畝を整え終えたとき、日が少し傾いていた。汗を拭いながら、蓮は畑を見渡す。
「……これで、あとは育つのを待つだけですね」
「はい。次の収穫は、霜が降りる前……十一月半ばでしょうか」
「その頃までに、エールの話も片付いてるといいんですけど」
エリシアは小さく首を振った。
「分かりません。ただ……」
「ただ?」
「藤村殿が、畑を止めなかったことは、きっと意味があると思います」
蓮は少し驚いて、彼女を見た。
「意味、ですか」
「ええ。誰かが議論している間も、誰かが食べ物を作り続けなければ、冬は越せませんから」
その言葉に、蓮はゆっくりと頷いた。
「……そうですね。少なくとも、畑は裏切らない」
夕暮れの風が、植えたばかりの畝を撫でていく。まだ何も芽は出ていないが、その下では、確かに新しい季節の準備が始まっていた。
人の世界がどう転ぶにせよ、秋は来る。
そして、土の中では――次の答えが、静かに育ち始めているのだった。
◆
蓮たちが秋ジャガイモの植え付けをしているちょうどその時、マルクス徴税官長は、書類から目を離し、外を眺めていた。執務室の窓は高く、分厚い石壁に穿たれている。
夏の盛りは過ぎ、陽光の色がわずかに柔らいでいる。遠くの畑では、刈り取りを終えた麦の切り株が乾いた金色を帯び、風に揺れていた。あとひと月もすれば、葡萄畑が色づき、果樹園では林檎や梨が収穫される。
――収穫祭の季節が、確実に近づいている。
「もうすぐ秋だな」
独り言のように呟いてから、マルクスは机の脇に控えていた部下へ視線を向けた。若い徴税補佐官で、まだ現場経験は浅いが、真面目さだけは取り柄の男だ。
「今年も、例年どおり動く。収穫祭に向けて、各地の作柄を洗い直せ。麦、葡萄、豆、それから家畜――特に豚と羊だ。量と質、両方だ」
「は、はい。どのあたりから回りましょうか」
「南部の葡萄畑を優先しろ。雨が少なかったからな。あと、今年は新顔が多い。妙なものが増えた」
部下は一瞬ためらい、慎重に言葉を選んだ。
「ジャガイモ、でしょうか。他にも別の種類の芋があるとか。それに、例のエールの件も」
「ジャガイモエールの件は、まだ“議論中”だ」
低く、しかし断定的に言った。
「修道院、醸造ギルド、財務府……どこも譲らん」
マルクスは一瞬眉をひそめたが、すぐに表情を引き締め、窓の外、遠くの丘陵地帯に視線を向ける。
「それはともかく、王都とその周辺は、今年も豊かだからいい。問題は北部と東部の辺境だ。報告では、冬を越せない村が出る恐れがあるという」
「北部、ですか」
部下が羊皮紙に書き込む音が、静かな部屋に響く。
「麦の不作に加えて、家畜の疫病も広がっている。例えば――」
マルクスは机上の地図を指で叩いた。
「北部のロミナ地方周辺は深刻だという話だ。あそこは、かつての領主が没落して以来、立て直しの目処が立っていない。免税措置は当然としても、冬が気になる」
人は、問題を見なければ、先送りできる。書類を積み上げ、議論を棚上げし、決裁を保留にすればいい。だが――季節だけは、待ってくれない。彼は机に戻り、書類の山に指先を置いた。
「今年は“見聞”を重視しろ。
数値だけでなく、現場を見ろ。農民が何を育て、何を売ろうとしているのか。
徴税は、紙の上ではなく、畑と酒樽の前で決まる」
「……承知しました」
部下は背筋を伸ばし、深く頭を下げた。
マルクスは再び窓の外を見た。遠くで、畑を耕す人影が見える。季節は巡り、種は蒔かれ、実りは避けられない。
(ジャガイモエールの件も、同じだ)
いまは先送りできても、秋が来れば、収穫があり、判断を迫られる。制度が追いつこうと、追いつくまいと――現実は、必ず先に進む。
「……人の都合では、季節は止められんか」
そう呟き、マルクスは机に向き直った。




