◆第26話「修道院の申し出」
それは、王都の神殿区にある修道院からの正式な文書によって始まった。
厚手の羊皮紙に記された文字は、簡潔でありながら重みがある。差出人は、修道院長代理――すなわち、修道会を代表する立場の名だった。
徴税官長マルクスは、執務机でその文書を読み終えると、ゆっくりと指を組んだ。
「……ついに、来たか」
◆
数日後、神殿区の一室に、関係者が集められた。修道院側からは、年配の修道士が二名。いずれも神学と医療に通じた人物だ。王国側には、徴税官長マルクスとその補佐。そして、醸造ギルドの関係者。最後に、参考人として呼ばれた藤村蓮とグスタフ。
場の空気は、静かだが張り詰めていた。最初に口を開いたのは、修道士の一人――白髪の男だった。
「本日は、我ら修道院からの“申し出”をお伝えするために参りました」
穏やかな声だが、言葉の一つ一つが慎重に選ばれている。
「近頃話題となっている、ジャガイモを用いた発酵飲料について――」
修道士は続けた。
「我々はこれを、嗜好品ではなく、医療補助の一環として扱うべきだと考えています」
マルクスは眉を動かしたが、遮らない。
「具体的には」
もう一人の修道士が引き継ぐ。
「修道院が責任を持って生産を行い、
病人、負傷者、衰弱した者への薬用酒として使用する」
グスタフは、内心で唸った。
――なるほど、そう来たか。
◆
「修道院が……独占的に?」
マルクスが確認する。
「はい」
修道士は即答した。
「一般市場には流通させません。あくまで、院内管理のもと、医療用途に限ります」
「つまり」
マルクスは言葉を整理する。
「安価なジャガイモエールが、市場で既存の酒と競合することはない、と」
「その通りです」
修道士は静かに頷いた。
「結果として、醸造ギルドの生業を脅かすこともありません」
その一言に、場の空気がわずかに和らいだ。
◆
蓮は、修道士たちの言葉を聞きながら思う。
――これは、守りの提案だ。
広めるためではなく、抑えるための枠組み。
だが同時に、完全な否定ではない。
◆
「免税については、どうお考えですか」
マルクスが尋ねた。
「医療用の薬品として扱う以上」
修道士は落ち着いた声で答える。
「従来の修道院医薬と同様、課税対象外とするのが妥当でしょう」
マルクスは、机に置いた指で軽く叩いた。
「……王国としては」
彼はゆっくりと言った。
「“酒税逃れの抜け道”を許した、とは見られたくありません」
「承知しております」
修道士は深く頭を下げる。
「だからこそ、修道院が前に出るのです」
◆
ここで、グスタフが口を開いた。
「確認させてほしい」
彼は修道士を見る。
「俺や、藤村殿は――関われなくなるのか」
修道士は、少し考えてから答えた。
「技術的助言や、初期の協力については否定しません」
「だが」
彼は言葉を切った。
「生産の主体は修道院とさせていただきたい」
グスタフは、静かに頷いた。
「……職人としての実験、という建前は残るな」
「はい」
「それでいい」
彼は、これ以上を望まなかった。
◆
マルクスは、全員を見回した。
「この提案は……」
彼は慎重に言葉を選ぶ。
「確かに、即時の混乱を避けるには有効だ」
市場には出ない。税収も、現状では減らない。ギルドも、表立って反対しにくい。
「だが」
彼は続けた。
「これは、暫定措置だ」
「異論はありません」
修道士は頷く。
「我らも、永続的な解決だとは考えておりません」
◆
会合が終わり、部屋を出たあと。蓮は、修道院の中庭で足を止めた。
「……守られましたね」
彼が言うと、修道士は微笑んだ。
「ええ」
「でも」
蓮は続ける。
「これは、“閉じ込める”形でもあります」
修道士は、否定しなかった。
「知識は、時として登場するのが速すぎることがあります」
彼は静かに言う。
「世が追いつくまで、守る檻も必要なのです」
◆
その夜、マルクスは報告書にこう記した。
修道院より提案あり。ジャガイモ発酵酒を医療用途に限定し、修道院管理下での生産を条件に免税とする案。当面の混乱回避策として、有効。ただし、問題の先送りに過ぎない。
彼はペンを置き、ため息をついた。
「この案のままでは、いずれ密造のジャガイモエールが出回ることになる。抜本的なルール作りが必要だ…… だが、ひとまずこれで時間は稼げる」




