◆第25話「線を引く者」
程なくして、グスタフと蓮は税務庁の役所に呼び出された。呼び出しの書状は単純で、二人の名前と出頭日時のみが書かれていた。用件は書いていない。だが明らかだった。
役所の建物は、蓮が想像していたほど威圧的ではなかった。石造りで古く、むしろ修道院に近い雰囲気すらある。だが――中に入った瞬間、空気が変わる。
「……税の匂いがするな」
グスタフが低く呟いた。
「それ、どういう匂いですか」
蓮が小声で聞く。
「逃げ場のない匂いだ」
二人が案内された部屋は広くも豪奢でもない。机と椅子、書類棚、それだけだ。だが、中央の机に座っている男が、その場を支配していた。
「お待たせしました」
徴税官長マルクス。年の頃は四十代半ば。派手さはないが、姿勢と視線に無駄がない。
「お二人とも、初めてですね」
彼は穏やかに言った。
「私はマルクス。徴税官長です」
グスタフは軽く頭を下げ、蓮もそれに倣った。
◆
「本題に入りましょう」
マルクスは前置きを省いた。
「ジャガイモを原料とした発酵飲料についてです」
「エールです」
グスタフが言う。
「職人としての試作だ」
「“エール”かどうか」
マルクスは即座に返した。
「それが、今まさに問題になっています」
彼は書類を一枚取り出した。
「麦芽の使用量に応じた酒税」
「救貧作物としてのジャガイモ」
「修道院の免税特権」
それらを指で軽く叩く。
「この三つが、同時に存在している」
蓮は、黙って聞いていた。
◆
「理解していただきたいのは」
マルクスは声を低くした。
「私は、酒を嫌っているわけではありません」
グスタフが片眉を上げる。
「私は、制度を守る立場です」
「制度、ですか」
「はい」
マルクスは頷く。
「制度は、前例でできています。前例は、安定を生みます」
彼は蓮を見る。
「あなたの酒は、前例がありません」
「……だから、問題だと」
蓮が言った。
「その通りです」
マルクスは即答した。
「良い酒かどうかは、関係ないのです」
◆
沈黙。
グスタフが口を開いた。
「では、どうするおつもりだ」
「まだ、決めていません」
「決めていない?」
「ええ」
マルクスは、わずかに微笑んだ。
「だからこそ、今日は“対話”です」
蓮は、その言葉に少し驚いた。
◆
「まず確認します」
マルクスは言った。
「現時点で、ジャガイモエールを市場に出す予定は?」
「ありません」
グスタフが即答する。
「材料も足りない」
「よろしい」
マルクスは頷く。
「では次。
これを、税を逃れる目的で作りましたか?」
蓮は、真っ直ぐ答えた。
「いいえ。安く作れる酒ができるとは、後から分かりました」
マルクスは、その目をじっと見つめた。嘘を探す目ではない。理解しようとする目だった。
◆
「……正直ですね」
彼は言った。
「それは、評価します」
グスタフが鼻で笑う。
「評価で腹は膨れんがな」
「分かっています」
マルクスは淡々と返す。
「だから、線を引かねばならない」
「線?」
蓮が聞き返す。
「ええ」
マルクスは書類を閉じた。
「今は、何も決めないという線です」
二人は顔を見合わせた。
◆
「暫定通達は、維持します」
「販売も配布も不可、か」
グスタフが言う。
「はい」
マルクスは認めた。
「ですが――」
彼は一拍置いた。
「試作と研究は、止めません」
蓮の目が見開かれる。
「それは……」
「制度を壊すのは、急ぎすぎです」
マルクスは静かに言った。
「だが、可能性を潰すのも、同じく愚かなことです」
◆
彼は立ち上がった。
「時間をください」
「時間?」
グスタフが問い返す。
「はい」
マルクスは二人を見た。
「私が、考える時間です。そして――」
一瞬、視線が鋭くなる。
「あなた方が、次の一手を見せる時間」
蓮は、背筋が伸びるのを感じた。
◆
部屋を出たあと、廊下で二人は足を止めた。
「……敵じゃないな」
グスタフが言う。
「ええ」
蓮も頷く。
「でも、味方でもない」
「一番厄介なやつだ」
二人は苦笑した。
◆
一方、部屋に戻ったマルクスは、窓辺に立った。
「芋の酒、か……」
彼は、独り言のように呟く。
「問題は、酒とは何かじゃない。何を酒と見なすかという定義だ」
制度を守る者として、
そして――変化を止めきれないことを知る者として。
マルクスは、嵐の中心に立っていた。




