◆第24話「ギルドからの正式抗議」
役人が去ったあと、醸造所には再び静寂が戻った。樽の中では、変わらず、泡が立っている。
「……ギルドだな」
グスタフが言った。
「ええ」
蓮も頷く。
「直接来ない。でも、動いた」
「いつものやり方だ」
グスタフは肩をすくめる。
「表では騒がず、裏で線を引かせる」
蓮は、通達を見つめながら静かに言った。
「でも……これで、はっきりしました」
「何がだ」
「これは、ただの酒じゃない」
蓮は顔を上げた。
「制度の問題になった」
グスタフは、しばらく考え、ゆっくり頷いた。
「……ああ。もう、職人の手だけで済む話じゃねぇな」
◆
その日の夜、グスタフは仕込み帳の余白に、短く書いた。
八月某日
財務局より暫定通達。
この酒は、まだ酒と認められていない。
だが、恐れられている。
彼は帳簿を閉じ、樽を見た。泡は、今日も変わらず、力強く立っている。止められているのは、流通だけ。発酵そのものは、誰にも止められない。
それを皆が知っているからこそ――この酒は、危険なのだ。
◆
翌日のことだった。 醸造所の扉が、強く叩かれた。
「グスタフ・ミュラー殿。話がある」
低く、よく通る声だった。グスタフは一瞬だけ目を閉じ、深く息を吸ってから扉を開けた。そこに立っていたのは、醸造ギルド長ハインリヒ。その背後には、数名のギルド役員と、記録係らしき男が控えている。
「……ついに表に出てきたか」
グスタフは小さく呟いた。
◆
応接用の長椅子を挟み、向かい合う形で席が設けられた。藤村蓮も同席している。ハインリヒは前置きなく切り出した。
「本件について、ギルドとして正式に抗議する」
「抗議、ね」
グスタフは腕を組んだ。
「何についてだ」
「貴殿の工房で行われている“ジャガイモエール”なるものだ」
ハインリヒの声は硬い。
「我々はこれを――脱法的な手段で作られた密造酒と判断する」
空気が、一段冷えた。
蓮は、内心で思う。
(無茶だ。理屈としては、あまりに苦しい。)
◆
「密造、とは」
グスタフが静かに問い返す。
「どの法に反している?」
「酒の定義だ」
ハインリヒは即答した。
「酒とは、麦芽を用いて醸造されるもの。それ以外は、酒ではない」
「ですが」
蓮が口を挟む。
「発酵して、酔う飲料である以上――」
「だからこそ問題なのだ」
ハインリヒは遮った。
「酒でありながら、酒としての課税も規制も受けない。それは、制度の抜け穴を突いた不正だ」
グスタフは、ため息をついた。
「……理屈として、無理があるな」
ハインリヒの目が細くなる。
◆
「だが」
グスタフは続けた。
「お前さんの言いたいことも、分からんでもない」
彼は、ゆっくりと言葉を選んだ。
「だから言っておく。これは、市場に出す酒じゃない」
「……何?」
ハインリヒが眉をひそめる。
「今、残っているジャガイモはごくわずかです」
蓮が補足する。
「とても大量生産できる量じゃありません」
「試作だよ」
グスタフは、はっきりと言った。
「職人として、可能性を試しているだけだ」
その言葉に、ギルド側がざわつく。
◆
「試作、だと?」
ハインリヒは、苛立ちを隠さなかった。
「だが、結果が出ている以上――」
「結果が出たからこそ、慎重になっている」
グスタフは一歩も引かない。
「今ここで、市場だの価格だのを持ち出す気はない」
沈黙。ハインリヒは、しばらくグスタフを睨みつけ――やがて、視線を逸らした。
「……決着をつけるには、材料が足りない、か」
「そういうことだ」
グスタフは頷いた。
「今はな」
◆
ハインリヒは立ち上がった。
「本件について、我々は引き続き注視する」
「好きにしろ」
「だが、忘れるな」
ギルド長は言い残す。
「これは、始まりに過ぎない」
彼らが去ったあと、醸造所には重い静けさが残った。
◆
「……正面衝突は避けられましたね」
蓮が言う。
「ああ」
グスタフは苦笑した。
「だが、向こうも分かってる。今のところは、殴れないってだけだ」
「それでも」
蓮は通達の紙を思い出しながら言った。
「時間は、稼げました」
グスタフは樽に手を置いた。
「十分だ。職人にとってはな」
泡は、今日も静かに立っている。
誰もが分かっていた。この話は――まだ終わっていない。




