◆第22話「半値のエールの衝撃」
その知らせは、真夏の午後、醸造ギルドの集会所に落ちた。
都市中央にある醸造ギルド会館では、珍しく窓がすべて閉め切られていた。
「――グスタフのところで、例の“芋酒”が完成したそうだ」
報告役の男がそう告げた瞬間、部屋の空気が一変した。
「完成、だと?」
「まさか……まだ試作段階ではなかったのか」
「味は? 売り物になるのか?」
十数人のギルド幹部たちが、一斉にざわめき立つ。だが、次の一言が、彼らを沈黙させた。
「……価格の試算が出ています」
男は、羊皮紙を机の上に置いた。
その中央に、大きく数字が書かれている。
《想定販売価格:通常エールの約五割》
「――な……」
「半値、だと……?」
誰かが乾いた笑いを漏らした。
「冗談だろう。麦芽を使っている以上、そんな価格になるはずが……」
「いえ」
報告役は首を横に振った。
「麦芽の使用量が、通常の三分の一以下です」
「そんな量では、発酵するはずがない」
「粗悪品ではないのか?」
複数の声が重なったが、報告役の青年は首を振る。
「……発酵しています。問題なく。試飲した兵士たちから聞き取った限り、味も……少なくとも、粗悪ではありません」
沈黙。
部屋に、重苦しい空気が立ち込める。ギルド長ハインリヒは羊皮紙を取り、数字を睨みつける。原料比率、仕込み量、発酵期間―――どこにも誤りはない。ジャガイモエールは、麦芽の一部を蒸したジャガイモで代替している。発酵に必要な糖は確保しつつ、課税対象となる麦芽を極端に減らすのだ。
◆
「馬鹿な……」
年長のギルド員が頭を抱えた。
「課税は麦芽の量に応じて、だ。それが王国と我々の……百年続いた取り決めだぞ」
別の男が、荒々しく机を叩いた。
「だからこそ、計算が合ってしまうんだ! ジャガイモは大麦よりずっと安い。そのうえ課税対象ではない。少なくとも現時点では。」
「……同じ酒なのに」
誰かが呻く。
「税を三分の一しか払わずに、同じ量を売れる」
「いや、それ以上に厄介だ」
別の者が続けた。
「安ければ、量が出る。兵士も、日雇いも、皆そっちに流れる」
ハインリッヒが、低い声で言った。
「――市場が、壊れる」
それは誇張ではなかった。酒は嗜好品であると同時に、日常の糧でもある。半値の酒が出回れば、高い酒は売れなくなる。
「グスタフは……裏切ったのか?」
「いや、あいつはただ依頼を受けただけだ」
「問題は……芋だ」
ギルド長が言う。全員の視線が、一点に集まった。
「ジャガイモは……救貧作物だ」
苦々しい声が漏れる。
「王国が栽培に前向きの態度を示している。当然だろう。そして祝福の儀もすんでいて、市場に流通させることに問題はない。飢饉対策として栽培されることを考えれば、価格統制も、重い課税も、ありえない」
「つまり……」
若いギルド員が青い顔で呟いた。
「材料費も税金も抑えた酒が、合法的に作れる」
誰も否定できなかった。
「放っておけば、他の醸造所も真似する」
「いや、もう始まっているかもしれん」
ギルド長は、ゆっくりと立ち上がった。
「徴税官に話を通す。これは、我々だけの問題ではない。現時点で幸いなのは、ジャガイモという作物が試験栽培段階で、そんなに大量にはないということだ。今日明日に市場が崩壊することはない。だが来年には……」
会議室を重苦しい沈黙が支配した。
◆
同じ頃、王国の徴税局でも、別の会議が開かれていた。
「……なるほど」
中年の徴税官長マルクスは、報告書に目を落としながら呟いた。
「麦芽課税を基準にすれば、確かに半値以下になる。問題はジャガイモか」
「ですが」
部下が続ける。
「ジャガイモ自体に高い税をかけるのは困難です。ご存知のようにあれは救貧作物ですから」
マルクスは、顎に手を当てた。
「価格を吊り上げれば、民の反発を招く。それに教会も黙ってはいないだろう」
「では……どうなさいますか」
「新しい酒には、新しい税率を」
彼は、淡々と言った。
部下が息を呑む。
「新税……ですか」
「ジャガイモエールは、既存の定義に当てはまらない」
彼は、ふと窓の外を見やった。
「ならば――新しい定義を作る」
だが同時に、彼は理解していた。
「拙速に決めれば、反発を生む。遅れれば、既成事実が積み上がる」
しかも――
この酒の背後には、教会と、あの異邦人、藤村蓮がいる。
「救貧、宗教、農業……」
徴税官長マルクスは小さく息を吐いた。
「全部絡んでいる」
報告書の最後に、彼は一文を書き加える。
『本件は、単なる新酒ではない。税制の根幹に関わる問題である。早急に、上級官僚――財務大臣への報告を要す。』
こうして――
ジャガイモエールは、まだ市場に一滴も流れていない段階で、王国の制度そのものを揺るがし始めていた。嵐は、静かに、しかし確実に近づいている。




