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◆第21話「泡を見ればわかる」

 グスタフは、樽の前にしゃがみ込み、じっと表面を見つめていた。


 石造りの醸造所は夏の熱気を溜め込み、空気は湿っている。

 汗が額から流れ落ちるのも構わず、彼は動かない。


「……来てるな」

 低く、独り言のように呟く。


 量を増やした二度目の仕込みから三日目。

 樽の中では、静かだが確かな動きが始まっていた。


 ぷつり。

 ぷつり。


 小さな泡が、規則正しく浮かんでは消える。


「間違いない……」


 グスタフは、長年エールを仕込んできた職人だ。

 泡の出方、香りの立ち方、表面の張り――

 発酵が“生きている”かどうかは、見れば分かる。


 だが、今回の仕込みは――異様だった。



 麦芽は、いつもの三分の一。代わりに使ったのは、蒸して潰したジャガイモ。最初に藤村蓮から話を聞いたとき、正直、半信半疑だった。


「ジャガイモとやらで酒? 冗談だろう」


 だが、蓮は迷いなく言った。

「麦芽は糖を作るために使うんです。だったら、最初から糖になりやすい原料を使えばいい」


 理屈は、通っている。

 問題は――本当に酵母が動くか、だった。


 結果は、目の前にある。



 グスタフは、そっと蓋を開け、香りを確かめた。

「……甘い」


 麦芽だけのエールとは違う。

 丸みのある、柔らかな甘さ。


 鼻を刺すような刺激はなく、どこか素朴だ。

「悪くない。いや……むしろ、飲みやすいかもしれん」


 彼は小さな柄杓で、少量をすくい、口に含んだ。舌の上で、泡が弾ける。

「……ほう」


 驚きはなかった。納得があった。軽い。だが、薄くはない。腹にすっと落ちる感覚がある。

「兵士向けだな……」


 自然と、そう口をついて出た。



 グスタフは立ち上がり、醸造所を見回す。ここには、長年積み上げてきた技術がある。麦芽の扱い方、温度管理、樽の癖。


 だが――

 それらが、否定されたわけではない。


「……使い道が、増えただけだ」


 彼はそう結論づけた。芋は、敵ではない。道具だ。


 しかも――

 安い、強い道具だ。


「これが出回ったら……」


 一瞬、胸の奥にざらりとしたものが湧いた。市場。ギルド。税。だが、グスタフは首を振る。


「俺の仕事は、うまい酒を作ることだ」


 それだけは、変わらない。



 夕方、藤村蓮が醸造所を訪れた。


「どうですか?」

 少し緊張した顔で尋ねてくる。


 グスタフは、何も言わず、杯を差し出した。

「飲め」


 蓮は一口含み、目を見開いた。

「……発酵、ちゃんと来てますね」

「当たり前だ」


 グスタフは鼻を鳴らす。

「泡を見りゃ分かる。これは……ちゃんとしたエールだ」


 その言葉に、蓮はほっと息を吐いた。

「よかった……」


「だがな」

 グスタフは、少し真剣な声になった。

「これは、面倒を呼ぶ酒だぞ」


「……ですよね」


 二人は顔を見合わせ、苦笑した。



 その夜、グスタフは仕込み帳に、こう書き加えた。


八月某日

ジャガイモ使用の試作エール、発酵良好。

泡、香り、味、いずれも問題なし。

これは“代用品”ではない。

新しい酒だ。


 彼はペンを置き、樽を見た。


 静かに、だが確実に――

 この酒は、世界を揺らす。


 泡立つ表面を見つめながら、グスタフは確信していた。

「……嵐が来るな」


 だが、職人として、後悔はなかった。良い酒ができた。それだけで、十分だった。



 グスタフの「いける」という言葉を聞いて、蓮のマーケターとしての血が騒いだ。商品はできた。次は「市場反応マーケット・レスポンス」の確認だ。


「グスタフさん、ここにある樽の分だけでいいので、兵士たちに振る舞ってみませんか?」

「あ? まだ売り物にはできねぇぞ」

「売るんじゃないです。『試作品の感想を聞く』という名目で、タダで配るんです。いわゆる『モニター調査』ですよ」


 蓮はすぐに、フライドポテトの常連だった非番の兵士たちを数人、裏口から招き入れた。


「……なんだ、この酒。色が薄いな」

「いいから飲んでみてよ。感想を聞かせて」


 兵士たちは半信半疑で口をつける。すると――。


「……うまい!」

「軽いな! 飲みやすい。水代わりにガブガブいけるぞ!」

「これ、いくらになるんだ?」


 蓮はニヤリとして、普通のエールの半値くらいかなと囁く。兵士たちの目の色が変わった。

「半額!? おい、樽ごと売ってくれ!」

「次の仕込みはいつだ!?」


 その熱狂を見て、蓮は確信を得ると同時に、手帳にメモを取る。 『ターゲット層:兵士、肉体労働者。反応:極めて良好。価格感度:高。――爆発的普及の可能性あり』


 しかし、この小さな試飲会での熱狂は、噂となって街を駆け巡り役人を呼び寄せることになるのだった。


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