表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/46

◆第20話「泡立つジャガイモ」

 あの恐怖の夜から、三日が経った。


 蓮は今、次なる目的を果たすため官舎の門に立ち、深く息を吸っていた。足元には、倉庫から運んできたジャガイモが籠いっぱいに入っている。もう、無限には召喚できない。だからこそ――今あるこの芋を、ひとつも無駄にしてはならない。


「種は尽きる。でも、芋は増える。この矛盾を、力に変える――」


 それが、これからの蓮の戦いだった。蓮は籠を持ち上げ、門の外へと歩き出した。



 フライドポテトは、すでに庶民の味として定着しつつあった。蓮の次の関心は、自然と"飲み物"へ向いていた。

(主食と保存食、次は……酒だ)


 彼がジャガイモを持って向かったのは、宮廷の外れにあるエールの醸造所だった。麦芽の甘い香りと、木樽の湿った匂いが混じる、活気のある場所だ。


「藤村殿といったな? 今日はまた、妙なモノと話を持ってきたな」


 迎えたのは、醸造所の親方グスタフ。腕の太い、現場叩き上げの職人である。


「妙、というほどでもないですよ」

 蓮は笑いながら言った。

「麦芽に、蒸したジャガイモを混ぜてエールを仕込めないか、と思いまして」


 グスタフは一瞬、黙った。

「……ジャガイモを、酒に?」

「はい。デンプンは糖になりますし、麦芽の量を減らせます」

「つまり……」

「安上がりのエールです」



 グスタフは腕を組み、天井を見上げた。

「理屈は……分からんでもない。麦芽の糖化力は強い。芋を蒸して潰せば……いけるかもしれん」

「でしょう?」

 蓮は少し身を乗り出す。

「味は軽くなると思いますが、その分、庶民向けになります」


「……問題は味より、別のところだな」

「税、ですよね」


 グスタフは苦笑した。

「さすが、分かってるじゃないか」


 この国では、酒は重要な税収源であり、使用する原料とその量にしたがって課税される。エールならば麦芽の量で税額が決まる。

「麦芽が減れば、税も減る……そう思う役人が出る」

「逆に、芋を“新しい原料”として課税しようとするかもしれない」

「どっちに転んでも、面倒だ」


 蓮は頷いた。

「だからこそ、まずは“試作”です。少量で」



 数日後。蒸したジャガイモを潰し、麦芽と混ぜた仕込みが始まった。麦芽の酵素がデンプンを糖に変えるスピードは早く、一日あれば十分である。

「……うむ、甘いな」

 グスタフが指で掬い、舐める。

「確かに糖ができている」

「これに酵母が働けば、ちゃんと酒になりますよ」


 酵母を加えてからの発酵も、順調だった。泡立ちは穏やかだが、確実に進んでいる。1週間後、できあがった最初のエールは、淡い金色。麦芽100%のものより、やや軽い。


「……飲めるな」

 グスタフが言った。

「いや、悪くない。腹に残らん分、何杯でもいけそうだ」


「ですよね」

 蓮は内心でガッツポーズをした。



 ――だが、問題はすぐに表面化した。


「ジャガイモを使ったエールだと?」


 税務官の声は、冷ややかだった。

「それは、従来のエールとは別物では?」

「……試作品です」

 グスタフが慎重に答える。


「別物なら、別の課税が必要だ」

「新しい酒だとすれば、認可もいる。何をどのようにして作っているのか、明らかにしてもらいたい」


 話はあっという間に広がった。


「芋を酒にするなど聞いたことがない」

「税を逃れるための抜け道では?」

「祝福された作物を、酒に使うとは不敬では?」

「いや、それは違う。酒は我らの修道院でも作られていて、病人に与える重要な薬でもある。不敬ということにはならない」


 醸造所の前に、噂を聞きつけた役人と神官補佐が集まり始める。蓮は、頭を抱えた。

(……来たな。食い物より酒のほうが、面倒ごとが多い)



 その夜、官舎でエリシアが記録をまとめながら言った。

「藤村殿……これは、少々厄介かもしれません」

「分かってます」

 蓮は苦笑した。

「酒は、文化と税と宗教が全部絡む」


「ですが……」

 エリシアは少し声を落とす。

「もしこれが認められれば、麦の不作の年でも酒が造れます」


 蓮は、ゆっくり頷いた。

「ええ。だから……引き下がる気はありません」


 机の上には、淡く泡立つジャガイモエールの試作品。

 それは、安く、軽く、飲みやすい酒だった。


 だが同時に――

 税と秩序を揺るがす、危険な泡でもあった。


 ジャガイモは、ついに食卓だけでなく、酒場と財務台帳にまで入り込もうとしていた。そして蓮は、まだ知らない。この一杯が、次なる争点になることを。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ