◆第18話「カラフルな希望と白い真実」
祝福の儀から一週間。フライドポテトは王都の日常を彩る新しい風物詩となっていた。
明るい空の下、屋台から立ち上る香ばしい匂い。子供たちが「熱い熱い」と言いながら頬張る黄金色の芋。その光景を遠くから眺めながら、蓮は満足げに息を吐いた。
「……やった。ちゃんと、根づいた」
エリシアが記録板を抱えて隣に立つ。
「はい。市場での評判も上々です。銅貨一枚で買える食品として、庶民の間に定着しつつあります」
「うん。これで、ジャガイモは『珍しい外来作物』じゃなくて、『日常の一部』になった」
蓮の声には、確かな達成感があった。だが――それだけでは終わらない。彼の頭の中には、すでに次の構想が渦巻いていた。
「……次は、もっと面白いことができるな」
「と、言いますと?」
蓮は、少し楽しげな様子で答えた。
「色ですよ、色。ジャガイモって、実はすごくカラフルなんです」
「カラフル……?」
エリシアが首をかしげる。彼女が知るジャガイモは、泥色の皮に包まれた地味な芋だ。
「そうです。紫色の芋、オレンジ色の芋、黄色い芋――いろんな品種があるんです」
蓮は身振り手振りを交えて語り始める。止まらない芋語りのスイッチが入ったのだ。
「例えば、紫芋でポタージュを作ったら、鮮やかな紫のスープになる。貴族の晩餐会で出したら、きっと驚かれますよ」
「紫のスープですか」
エリシアが目を丸くして言う。
「そんな色のスープ、見たことがありません」
「それから、オレンジのジャガイモでニョッキを作れば、見た目も可愛くて子供たちが喜ぶはずです」
エリシアは、蓮の輝く目を見つめながら、記録板にペンを走らせる。
「藤村殿……またそのテンションですね」
「だって、想像したら楽しいじゃないですか。冬至祭の食卓に、白いスープ、紫のニョッキ、黄金色のフライ……カラフルな芋料理が並んでいる光景」
蓮は両手を広げて、目を細めた。
「この国の人たちは、まだ芋の本当の多様性を知らない。色が変わるだけで、料理がこんなに楽しくなるんだって、教えてあげたいんです」
その言葉に、エリシアも微笑んだ。
「それは……確かに、素敵ですね」
「でしょう? じゃあ、さっそく今日から準備を始めましょう。まずは――」
「準備、ですか?」
「はい。百科事典を開いて、どの品種を先に召喚するか決めないと」
蓮の声は弾んでいた。祝福の儀を通過し、フライドポテトが成功し、次なる展開が見えている。すべてが順調に進んでいる――そう、信じて疑わなかった。
◆
官舎に戻ると、蓮は暖炉の前の執務机に座り、引き出しから『世界芋類大百科』を取り出した。分厚い表紙を愛おしそうに撫でる。
「さてと……」
蓮はウキウキしながら、最初のページをめくった。見慣れた紙の手触り。美しいフルカラーの写真。パラパラとページを送る。
「……ん?」
蓮の手が止まった。
「あれ……? ジャガイモのページ、ここだよな?」
そこには、確かに珍しい色のジャガイモの写真はあった。『アンデスレッド』や『インカのめざめ』などのマイナー品種のページは見つかる。蓮が、今から召喚しようとしている品種だ。しかし、最も一般的な「男爵イモ」や、最初に召喚した「メークイン」が見当たらない。
「おかしいな。見落としたか?」
蓮は一度本を閉じ、深呼吸してから、もう一度最初から丁寧にめくり始めた。目次を見る。……ある。ちゃんと『ジャガイモ(主要品種)』の項目はある。ページ数は、42ページから。
蓮は42ページを開く。
「…………え?」
背筋が、ぞわりと冷えた。
42ページは、あった。ページ番号は、確かにページの下に印刷されている。飛んでいない。破り取られてもいない。
だが――中身が、ない。
そこにあるはずの、ゴツゴツとした男爵イモの写真。特徴を記した解説文。栽培の適正データ。それらがすべて、きれいに消え失せていた。ただの、上質な白い紙が広がっているだけだ。
「な、なんだこれ……印刷ミス……?」
いや、そんなはずはない。この本を初めて手にした時、蓮は穴が開くほど熟読したのだ。あの写真の艶、泥の質感まで覚えてる。確実にそこにあった。
蓮は震える指で、次のページをめくる。43ページ。白紙。44ページ。白紙。45ページ……ここには、まだ召喚していないマイナーな品種の写真が残っていた。
「……召喚したやつだけ、消えてる……?」
嫌な汗が額を伝う。蓮は慌てて、サツマイモのページを探した。春に召喚した「紅はるか」系の品種のページを。群を抜いた甘さの品種だ。ページを開く。 写真は――あった。だが、薄い。まるで、日光に長年晒されたポスターのように、色が褪せ、輪郭がぼやけている。解説文の文字も、かすれて読みにくい。
「……ウソだろ」
蓮は理解したくなかったが、理解せざるを得なかった。この本の写真は、ただの図版ではない。召喚するための「原資」そのものなのだ。
男爵イモやメークインは、春と秋の作付けのために、何度も召喚した。エリシアや農民たちに見せるためにも出した。だから――使い切ったのだ。
サツマイモは、まだ回数が残っているから、薄くなっているだけ。完全に消えたら、もう二度と出せない。
「……カタログじゃなくて……チケット制だったのかよ。のんきに、色付きの芋でパーティ、なんて考えてる場合じゃなかった!」
蓮は椅子に崩れ落ちるように背中を預けた。部屋の空気は暖かいはずなのに、指先が氷のように冷たい。今、倉庫にあるジャガイモ。もし、あれが疫病にかかったら? 冷害で全滅したら? 誰かに盗まれたら? もう、補充はできない。この世界から、その品種は永遠に失われる。
そこにあるのは、「無限の富」などではなかった。一度失えば二度と戻らない、あまりに儚い「一度きりの奇跡」だったのだ。蓮は、白紙になったページを呆然と撫でた。指先に触れる紙の感触は、何も語らない。ただ、取り返しのつかない喪失の事実だけが、そこに横たわっていた。




