◆第17話「そして庶民の味に」
数日後。神殿前の広場に、人々が集まっていた。中央には、麻袋から取り出されたジャガイモが、清潔な布の上に並べられている。緑化したものはない。芽もない。選別された、美しい芋だ。
神官たちが列を成し、聖水を携えて進み出る。
ドミニクスが前に立ち、厳かな声で祈りを捧げた。
「――天空神アストラよ。
この地に新たに芽吹いた作物を、正しき知恵と共に受け入れたまえ」
聖水が、芋に振りかけられる。そして、少量が聖火にくべられた。煙は、静かに、澄んだ色で立ち上った。ざわめきが広がる。
「……拒絶の兆しはない」
ドミニクスが宣言した。
「この作物は、神により清浄と認められた」
その瞬間、広場に安堵と歓声が広がった。
続いて、エリシアが前に出る。手には、蓮の手引き。
「――祝福された作物は、正しく扱われてこそ恵みとなる」
彼女は、一項目ずつ、はっきりと読み上げた。人々は耳を傾け、頷き、記憶しようとする。蓮は、その光景を少し離れた場所から見ていた。
(……よかった)
土を掘り、芽を育て、実を守る。
そして今――言葉が、それを支える。
◆
祝福の儀が終わり、広場が落ち着いた頃、蓮は石段に腰を下ろして息をついた。緊張が解けると同時に、どっと疲れが押し寄せてくる。
「藤村殿」
声をかけられて顔を上げると、リオネルが立っていた。その手には、二つの木製カップ。
「水出しした冷たいハーブティーです。お疲れでしょう」
蓮はカップを受け取り、両手で包み込んだ。涼しさが、指先に染み込んでくる。
「ありがとう、リオネル」
二人は並んで座った。しばらく、沈黙が続く。風が吹き抜け、広場の落ち葉が舞った。
「……あの日のことは」
リオネルが口を開いた。
「言いすぎました」
「いや」
蓮は首を振った。
「君の言う通りだった。僕は、自分の"常識"を、この世界の人たちに押し付けていた」
蓮はカップの中の湯気を見つめる。
「芋の毒性なんて、僕にとっては当たり前すぎて……。でも、知らない人には、命に関わることだった」
「藤村殿は、悪意があったわけではありません」
リオネルは静かに言った。
「ただ善意だけでは、人は守れない。それを、私も学びました」
彼は自分のカップに目を落とす。
「錬金術師は、知識を扱います。知識は、使い方次第で薬にも毒にもなる。だからこそ……私たちは、慎重でなければならない」
「うん」
蓮は頷いた。
「今回のマニュアル、君も目を通してくれたよね」
「はい。とても分かりやすかったです」
リオネルは小さく笑った。
「あれなら、私の祖母でも理解できると思います」
その言葉に、蓮も笑った。
「それは良かった」
二人はカップを掲げ、軽く打ち鳴らした。カチン、という小さな音が、和解の証だった。
「これからも、頼むよ。リオネル」
「はい。こちらこそ、藤村殿」
広場には、祝福を終えた安堵の空気が流れている。次の季節へ向けて、また一歩、前に進む準備が整った。こうして、異世界における“芋”は――ただの外来作物ではなく、名を与えられ、扱いを定められ、祝福された作物として、この国の土に根を下ろしたのだった。
◆
祝福の儀が終わった翌日、宮廷の倉庫では慌ただしい作業が続いていた。麻袋に詰められたジャガイモは、神官立ち会いのもとで改めて仕分けされていく。
「この分は、畑を担当した農夫たちへ」
「こちらは、宮殿兵の食糧庫へ回せ」
「残りは、冷暗所で引き続き保管だ」
ヴァレリオの指示に従い、兵士や文官が忙しく動く。祝福を受けたことで、ジャガイモは正式に「配給可能な作物」となった。まだ珍しい存在ではあるが、もはや“怪しい異物”ではない。畑を耕した農夫たちは、麻袋を受け取ると、信じられないものを見るように芋を眺めていた。
「本当に、分けてもらえるとはな」
「神官様のお墨付き、ってやつだ」
「うまく扱えば、腹いっぱい食える作物、か……」
彼らの表情には、期待と、わずかな緊張が混じっている。あの食中毒騒ぎが、まだ記憶に新しいからだ。蓮は、その様子を少し離れたところから見ていた。
(……配っただけじゃ、広まらないな)
彼の頭の中では、すでに次の段階が動き始めていた。
◆
一方、宮殿の兵舎では、別の意味でざわめきが起きていた。
「今日の食事に、新しい作物が出るらしいぞ」
「祝福されたとかいう……あの芋か?」
「腹持ちがいいって話だが……」
兵士たちは半信半疑で、配膳を待っている。そこへ、厨房から香ばしい匂いが漂ってきた。
「……なんだ、この匂い」
「油の音がするぞ」
鉄鍋で熱された油。そこに、細長く切られたジャガイモが投入される。
じゅわっ――
耳に心地よい音とともに、黄金色に揚がっていく芋。その様子を、蓮は腕を組んで眺めていた。隣には、調理を任された料理人と、興味津々の兵士数名。
「調理法としては、これが一番分かりやすいです」
蓮は言った。
「薄く切って、油で揚げて、塩を振るだけ。素材の味がそのまま分かる」
「……それだけで?」
「それだけです」
無類のイモマニアであり、同時に食品メーカーのマーケティング部門にいた男の勘が、はっきりと告げていた。最初は、難しい料理を出してはいけない。
未知の食材は、
・見た目が分かりやすく
・匂いが良く
・味が直感的で
・失敗しにくい
この四条件を満たす必要がある。
(フライドポテトは、最強なんだよ……)
◆
皿に盛られた揚げたてのジャガイモが、兵士たちに配られた。
「……さて、どんなものか」
最初に口にした若い兵士が、目を見開いた。
「……うまい」
「なんだこれ……外がカリッとして、中が……」
「ホクホクだ……!」
次々に手が伸び、皿はあっという間に空になっていく。
「塩だけで、こんなに……」
「肉がなくても、満足感があるな」
年配の兵士が、しみじみと呟いた。
「……腹に、どっしり来る。行軍前の飯に向いてる」
その言葉に、周囲が頷く。兵士の食事としての評価は、非常に高かった。揚げたての芋の香りと、兵士たちの笑顔。それは、蓮がこの数ヶ月ずっと目指してきた光景だった。
だが――ふと、蓮の鼻先をかすめた油の匂いが、記憶の底にある別の景色を呼び起こした。
それは、プラスチックのトレーに乗った赤い紙ケースや、ハンバーガーショップの喧騒。あるいは、『今回の新商品は、若年層をターゲットに――』と、蛍光灯の下、ホワイトボードの前で熱弁を振るっていた上司の顔や、会議室の少し埃っぽい空気。仕事帰りの駅前で、なんとなく買って帰ったポテトの、紙袋の中で湿気った少し頼りない感触。
(……懐かしいな)
目の前の光景は、中世のような石造りの兵舎と、鎧を着た男たち。自分が作ったフライドポテトは、ここで絶賛されている。成功だ。間違いなく、この世界での足場を固めた。
なのに、胸の奥に小さな穴が開いたような気がした。あの日々の会議も、満員電車も、もうここにはない。自分は今、まったく違うルールの盤上にいて、たった一人でサイコロを振り続けているのだ。
「……藤村殿?」
料理人に声をかけられ、蓮はハッと我に返った。
「あ、すみません。ちょっと……昔のことを思い出して」
「昔? ああ、故郷の料理でしたな」
料理人は豪快に笑った。
「故郷の味を再現できて、感無量って顔をしてましたぜ」
「……ええ、まあ。そんなところです」
蓮は曖昧に笑って誤魔化した。そう、これは再現だ。そして、ここには「オリジナル」を知る人間は自分しかいない。その事実が、成功の喜びの中に、孤独感という少しだけ苦い塩味を混ぜていた。
◆
数日後。街の下町でも、同じ料理が広まり始めていた。
油と塩さえあればできる。難しい調理器具も、特別な香辛料もいらない。市場の片隅で、簡易的な屋台が立つ。
「祝福された芋の揚げ物だよ!」
「一皿いかがだ!」
最初は警戒していた通行人も、漂う匂いに足を止める。
「……食べてみるか」
「神殿で認められた作物だろ?」
一口食べて、表情が変わる。
「……なんだこれ」
「うまいじゃないか」
その日のうちに、評判は広がった。
「ジャガイモの揚げ物、食ったか?」
「油と塩だけなのに、妙にクセになる」
「腹持ちがいいぞ」
誰もが、同じ名前で呼び始める。
「――フライドポテト」と。




