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◆第15話「リオネルの怒り」

 会議が終わり、神殿の廊下に出た瞬間、蓮はようやく息を吐いた。背中に汗が滲んでいる。


「藤村殿」

 エリシアが隣に立つ。

「……持ち出した者、見つかるでしょうか」


「見つけないといけない」

 蓮は言い、拳を握った。

「でも、たとえ見つからなくても……ここで終わらせない。

 ジャガイモは、危険じゃない。大事なのは正しく扱って――」


 その言葉が途中で止まった。

 廊下の向こう、神殿の中庭で、腹を押さえた男が医師に付き添われているのが見えた。顔色は青いが、意識はある。


 その横で、別の男が小さく泣いていた。

 農民の服。見覚えがある気がした。――だが確信はない。


 蓮は視線を逸らさず、心の中でだけ呟いた。

(……頼む。次は、間に合ってくれ)


 祝福は延期された。そして同時に、蓮に与えられた時間も、また削られ始めていた。



 ジャガイモを持ち出した農夫は、程なくして見つかった。そして、その子供も患者だった。


 寝台に横たえられた農夫の少年は、すでに峠を越えている。医師の見立てはそうだったが、それでも部屋に残る苦い臭いと、床に置かれた吐瀉物の桶が、事の重大さを雄弁に語っていた。


 蓮は壁際に立ったまま、何度も拳を握っては開いていた。


 その前に立ったリオネルは、いつもの柔らかな物腰のまま、静かに口を開いた。

「……蓮様。まず申し上げておきますが、私はあなたを糾弾するために、ここに立っているわけではございません」


 声音は丁寧で、語尾も崩れていない。だが、その視線は逃がさなかった。

「しかしながら――結果についての責任から、目を逸らすおつもりであれば、それは看過できません」


 蓮は息を呑んだ。


「芽が出た塊茎、緑化した皮。その毒性について、あなたはご存じでしたよね」

「……ああ」

「“知っていた”どころではないでしょう。それは、常識以前のことだったのではありませんか?」


 その言葉が、胸の奥に突き刺さる。


 リオネルは一歩だけ近づき、声を落とした。

「私は錬金術師として、薬草や鉱物を扱います。乾燥させれば薬になり、量を誤れば毒になる素材を、日常的にです。だからこそ――知っている者が、知らない者に何を伝えなければならないかを、常に考えます」


 指先で、空中に何かを書き示すような仕草をする。

「トリカブトも、ベラドンナも、正しく処方すれば薬効を示します。ですが、村にそのまま置けば死者が出る。ゆえに、容器には印を付け、口伝を残し、扱う者を限定するのです」


 そこで、初めて感情の色が滲んだ。

「では、今回の芋はどうでしたか」


 蓮は答えられなかった。

「作物としての利点、収量、保存性。それらは十分に語られました。ですが、“やってはいけない扱い方”は、誰が、いつ、どこまで丁寧に伝えたのですか」


 敬語のまま、言葉は刃のように鋭い。


「先程あなたは、危険なのは無知だとおっしゃった。しかし、今回、知らなかったこと自体は、罪というわけではありません」

 リオネルは、少年の寝顔に一瞬だけ視線を向けた。

「罪があるとすれば――十分な説明をしなかった側です」


 蓮の喉が鳴った。言葉を選びながらも、リオネルは逃げ道を残さない。

「奇跡を与えるなら、その代償と事故処理まで含めて引き受ける。それが、我々錬金術師の掟です」


 そのとき、横からエリシアが口を挟んだ。

「でも、蓮の説明は記録されています。収穫時にちゃんと——」


「記録に残っても」

 リオネルは、エリシアの方を見て言った。

「記憶に残らなければ、意味はありません。書庫に眠る警告文は、人を救いません。読み上げられず、語られず、繰り返されない注意事項は、存在しないのと同じです。特に食に関わることなら、なおさら」


 その言葉に、エリシアもまた沈黙した。リオネルは再び蓮を見た。


「蓮様。あなたは奇跡を持ち込みました。ですが、奇跡には必ず“副作用”があります。製薬と同じです。効能だけを語り、禁忌を伝えなければ——それは、薬ではなく毒です」


 敬語は崩れない。だが、情け容赦はなかった。


「誰も、あなたが人を害そうとしたとは思っていません。ですが、“知っている者”が正しく使えなかった瞬間に、“知らない者”は命を賭けることになる。その責任は、奇跡を持ち込んだ者にあります」


 沈黙が落ちる。

 蓮は、拳を握りしめていた。ジャガイモの芽は取る。緑になったら捨てる。苦い芋は食べない。それは蓮にとっては子供でも知っている常識だった。だが、それは“分かっている者”の常識だった。


「……僕は」

 声が、わずかに掠れた。

「僕は、当たり前だと思ってました。だから、口頭で簡単に説明するだけで、みんな分かるって……」


「それが、落とし穴です」

 リオネルは、静かに、しかし決定的に告げた。その言葉は、叱責であり、警告だった。


 蓮は、深く息を吐いた。この世界に芋を持ち込んだのは、自分だ。ならば、毒まで含めて——背負わなければならない。


 リオネルは一礼した。


「以上が、私の意見です。厳しい物言いをお許しください。しかし、次に同じことが起きれば……今度は、神官団では済まないでしょう」


 その静かな声が、何よりも重かった。

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