◆第14話「祝福の直前に」
神殿は石造りの重厚な建物だった。入口には黒衣の神官が並び、蓮を無言で通す。案内されたのは、祈りの間ではなく、会議室のような場所だった。長机の奥に、審問官ヴァレリオが座っている。隣には、宮廷神官ドミニクス。そして数名の神官、医師らしき男、書記役の者たち。
空気が、硬い。
「藤村蓮」
ヴァレリオが静かに名を呼んだ。
「状況は聞いたな」
「……はい。芋で……食中毒が」
「死者はない。症状も重篤ではない」
医師が口を挟む。
「嘔吐、腹痛、眩暈。半日で落ち着いている。だが――原因が問題だ」
ドミニクスが椅子をきしませ、前へ身を乗り出した。
「そして、それが“聖典に記されぬ作物”であることが、さらに問題だ」
蓮は息を吸い、ゆっくり吐いた。
ここで反発すれば、彼らの思う壺だ。
「まず……申し訳ありません」
蓮は頭を下げた。
「僕が管理していた作物で事故が起きた以上、責任は僕にあります。保管が完璧だったと言い切れない」
エリシアが小さく身じろぎした。だが、蓮は続けた。
「ただ、確認させてください。倒れた方が食べたのは――倉庫に保管していた新ジャガイモ、ですよね?」
医師が頷く。
「そうだ。皮ごと煮たと言っていた。味が苦かったとも」
蓮の心臓が沈む。
「……苦い、ですか」
蓮は視線を上げた。
「それは、重要な手がかりです。ジャガイモは、日光に当たって緑色になった部分や、芽の部分に毒が増えます。苦味は、その兆候です」
神官の一人が眉をひそめる。
「毒が“増える”? 最初から毒ではないのか」
「違います」
蓮は、言葉を選びながら答えた。
「ジャガイモそのものは、きちんと扱えば安全です。ただし――扱いを間違えると、危険になる」
ドミニクスが冷たく言い放つ。
「結局、危険ではないか。祝福の儀は取りやめにせざるを得まい」
「危険なのは“作物”ではなく、“無知”です」
蓮は、声を荒げずに穏やかに言い切った。
室内が一瞬、静まり返る。
ヴァレリオが言った。
「……説明せよ。どういうことだ」
◆
蓮は深く息を吸った。
この世界の人々にとって、「毒」とは多くの場合、呪いと紙一重だ。科学の話は通じない。だが、理屈は理屈として伝えるしかない。
「まず、ジャガイモは土の中で育つ作物です。土の中では安全です」
「だが掘り出せば土の外だ」
「はい。掘り出した後、日光に当てると芋の皮が緑色になります。植物が光に反応して変化するからです。そのとき、体に良くない成分も増えます」
医師が頷きかける。
「……光が薬にも毒にもなる、という考え方はある」
蓮はそれに乗った。
「さらに芽です。芽が伸びるのは、芋が次の命を作ろうとしている証です。その部分に、体に良くないものが集まる。だから芽は取り、緑色になった部分は削り落とす。苦い芋は食べない。――この三つが基本です」
神官の一人が口を挟んだ。
「藤村殿。あなたは以前、同じことを農民に言ったと言うのか」
「言いました。倉庫で、皆の前で」
エリシアが小さく頷いた。記録の裏付けがある、という無言の援護だった。
ドミニクスが苛立たしげに指を鳴らす。
「だが事故は起きた。つまり、その作物は民に扱いきれぬということだ。ならば――祝福の前に焼却すべきではないか」
蓮の背中に冷たいものが走った。
ここで否定されれば、芋畑は終わる。蓮も終わる。
だが、蓮は頭を下げなかった。
「焼却するのは……早すぎます」
「何?」
「事故が起きたからこそ、必要なのは――禁止ではなく、正しい扱い方の共有です」
蓮は、机に手を置いた。震えを抑えるために、指先に力を入れる。
「僕は管理不行き届きを認めます。倉庫に保管されていたジャガイモの麻袋が、外に持ち出された可能性があります。もしそうなら――それは僕の監督の甘さです」
ヴァレリオの目が細くなる。
「麻袋が……?」
「はい。祝福前に食べた者がいる。そうでなければ、こんな時期に“苦い芋”が出回るはずがない」
ドミニクスが顔をしかめた。
「祝福前に口にした……不敬だ」
蓮は、そこを突かない。
代わりに、静かに言った。
「だからこそ、祝福の儀を――お願いします」
その言葉に、数人がざわめいた。
「祝福が必要なのは、ただ“神に認められる”ためだけではないはずです」
蓮は続ける。
「民が安心して食べるため。噂が広がる今こそ、儀式が必要です。もしここで祝福を延期し続ければ、芋は『危険なもの』として固定されます」
医師が低い声で言った。
「……確かに。恐怖は病を生む」
蓮はその言葉に頷いた。
「祝福の場で、僕が改めて注意事項を説明します。芽と緑化の危険、保存の仕方、苦い芋は食べないこと。――記録官エリシアも、文書として残せます」
エリシアが前に出て、きっぱり言った。
「記録は可能です。すでに藤村殿の注意は文書に残っています。今回の件を踏まえ、より分かりやすい形に整えます」
ドミニクスは不機嫌そうに唇を歪めた。
「……君は相変わらず、藤村殿に肩入れする」
「私は事実に肩入れします」
ヴァレリオが、机を軽く叩いた。音は小さいのに、場が静まる。
「よし。結論を出す」
ヴァレリオは蓮を見る。
「祝福の儀は、延期する。――ただし中止ではない」
蓮の胸が、かすかに息を取り戻す。
「事故の原因を確定せよ。誰が芋を持ち出し、どのように調理したか。医師と共に調べる。
藤村蓮、お前は“危険が管理可能である”ことを、言葉ではなく手順で示せ」
「……はい」
「そしてドミニクス殿」
ヴァレリオは隣の男にも視線を向けた。
「“邪神の書”と断ずるには早い。今は冷静に、事実を積み上げるべきだ」
「……承知はいたします。ただし――」
「ただし、何だ」
「祝福の儀は“安全”の証明ではない。神の許しの儀礼だ。そこを混同するな」
蓮は、そこで一度だけ頷いた。
「分かっています。だから僕は、祝福を否定しません。
僕がやるのは、扱い方を整えることです」
室内の空気が、わずかに変わった。
敵意は消えない。だが、議論の形は保たれた。




