◆第10話「祝福なき作物」
サツマイモのツル植えを終えた翌日の午後、蓮は官舎の机に向かっていた。
窓から差し込む春の光は穏やかで、畑からは作業を終えた農民たちの話し声がかすかに聞こえてくる。
(次は……里芋だな。水気と肥料の管理が重要で――)
芋類百科事典を開き、該当ページに指を滑らせた、そのときだった。
――コン、コン。
控えめなノック音。
「藤村蓮殿。お時間をいただけますか」
扉の向こうから聞こえたのは、エリシアの声。
だが、どこか硬い。
嫌な予感を覚えながら扉を開けると、そこに立っていたのは彼女だけではなかった。黒衣をまとった男が、半歩後ろに控えている。
「……どなたですか?」
「宮廷神官のドミニクス。あなたに話がある」
年の頃は五十代半ば。灰色の髪を後ろで束ね、鋭い眼光が蓮を射抜く。
エリシアは申し訳なさそうに視線を伏せた。
◆
三人は机を囲んで座った。
ドミニクスは前置きもなく口を開く。
「藤村殿。あなたが所持する“魔導書”と、そこから現れる植物について、我ら神官団は深い懸念を抱いている」
「……魔導書? 百科事典のことですか」
「その書物から、この世界に存在しない作物が現れる。これは召喚魔術に他ならぬ」
蓮は言葉に詰まる。
「正直、僕自身も仕組みは完全には……」
「問題は原理ではない」
ドミニクスは冷ややかに言った。
「問題は、それらの作物が“聖典に記されていない”ことだ」
「聖典……?」
「『天空神アストラの福音書』には、神が人に与えた七大作物が記されている。大麦、小麦、豆、大根、人参、蕪、葡萄。――それ以外を広めることは、慎重であるべきだ」
胸の奥が、ひやりと冷えた。
農民たちが噂していた“教会の教え”が、具体的な形で目の前に現れた瞬間だった。
「でも……芋は栄養もあって、育てやすくて、飢饉のときにも――」
「それはあなたの主張だ」
ドミニクスは言葉を遮る。
「未知の作物が人体に何をもたらすか、長期的影響は不明だ。さらに――」
彼は机の上の百科事典を指さした。
「その書が“邪神の書”である可能性も否定できない」
「邪神……!?」
思わず立ち上がりかけた蓮を、エリシアが小さく制した。
◆
「審問官ヴァレリオ殿は、あなたの農業技術を評価している。踏込温床の成功も認めている」
ドミニクスは淡々と続ける。
「だが、神官団には別の懸念がある。あなたは“土魔法ゼロ”と判定されているにも関わらず、魔道士に匹敵する成果を上げている」
「……努力と知識があれば、できることです」
「その発想こそが危険だ」
鋭い声。
「魔法なき者でも農業が成り立つと知れ渡れば、神と魔法による秩序は揺らぐ。――それを我々は看過できない」
蓮は言葉を失った。
作物を育てているだけで、世界の秩序を脅かす存在になるとは思いもしなかった。
◆
「ドミニクス神官」
沈黙を破ったのは、エリシアだった。
「藤村殿の技術は、魔法を否定するものではありません。併用すれば、より――」
「君は記録係だ」
即座に遮られる。
「神学的判断に口を出すな」
だが、エリシアは怯まなかった。
「記録係として、事実を述べています。藤村殿の作物は試食され、毒性もなく、美味であると記録されています」
「美味ければ神が認めたことになるのか?」
◆
「……よかろう」
気まずい沈黙の後、彼は短く息を吐いた。
「では妥協案だ。あなたの芋が“神に許された作物”かどうか、収穫後に祝福の儀式を行う」
「祝福……?」
「聖水と聖火による浄化だ。神が拒絶の兆しを示せば、その作物は焼却処分とする」
血の気が引いた。
「焼却……そんな……」
「本来なら、今すぐ栽培中止でもおかしくない。だが、ヴァレリオ殿の顔を立て、収穫までは認めよう」
ドミニクスは立ち上がる。
「神に認められた農学士であるなら、恐れる理由はないだろう」
皮肉を残し、彼は去っていった。
◆
重苦しい沈黙が残る。
蓮は椅子に深く腰を落とした。
「……すみません、藤村殿」
エリシアが頭を下げる。
「神官団には、外来の知識を嫌う派閥があります。ドミニクスはその中心人物です」
「……芋は、ただの作物なのに」
「この国では、信仰が“理屈”に勝つことがあります」
蓮はゆっくりと息を吐いた。
「……祝福の儀式、受けます」
「私も、必ず立ち会います」
夜。
月明かりの下、蓮は畑に立っていた。若い芋の葉が風に揺れる。
「……焼かれるかもしれないらしいぞ」
苦笑しながら土に触れる。
「でもさ、ちゃんと育てば、分かってもらえるよな」
遠くで宮廷の鐘が鳴った。
蓮の戦いは、畑の中だけでは終わらない。
信仰と権威――その只中へ、静かに踏み込んでいくのだった。




