第四話 終話
「どうも、こんばんは」
青年は軽くあいさつをする。頭を下げて、とても丁寧に。
身構えているニーナのことなど、どこ吹く風であった。
彼の赤色の瞳は、何でも見透かすかのような光が宿っていた。立ち居振る舞いは物腰の柔らかな紳士そのものである。
「そんなに牙丸出しで怖い顔をしないでくれ。せっかくかわいいのに」
ニーナは自分の喉の奥が、獣のように鳴っていた。初めて自分の歯が伸びていることに気がつく。
口を閉じ、剣を構え、静かに呼吸をする。
「何をしに出てきたんですか?」
「君に殺されに」
その言葉に、次の言葉が詰まった。
頭の中が静かなのは、吸血鬼自分が吸血鬼だからではない。単純に、彼の言っていることの意味が分からなかったからだ。
「私が……どんな思いを」
目の前の男のせいで、人生を狂わされたのだ。人間として殺されたのだ。
なのに、彼は飄々とした態度で言う。
殺されにだと。バカを言ってもらっては困る。
歯の疼きが止まった。しかし、違和感がある。牙が完全に生えてしまったのだと自覚した。
爪も、鋭く伸びている。
「わかってるよ」
呼吸を荒くするニーナに向かって、彼はただ優しく微笑むばかりだ。
「君が僕のせいでどれだけ苦しい思いをしたのか、わかってる」
「わかってない……わかってない!」
気がつけば剣を握っていた。青年の胸を突き刺していた。
それでも彼は動かなかった。
「なんで、なんでなんでなんで! 私を生き返らせた!」
本当はあの時にニーナは死んでいたのだ。それなのに、自分だけ吸血鬼として生き返らされた。
それは、どれだけの痛みと喪失感が伴ったのか。
「それは、君が僕の妹だったからだ」
青年の口から漏れた言葉が、体の中にスッと入ってくる。
見上げると、彼は優しい瞳でこちらを見ていた。
「君のおかげで、僕は理性を取り戻せた。……そして、後悔に押しつぶされそうになった」
彼の瞳から涙が漏れていた。
「私には、家族はいない……! 村ごと消されたから!」
幼いとき唯一生き残ったニーナは、そのときに協会に保護された。
それから吸血鬼と戦う毎日を送っていた。確かにある心の奥底の憎しみを糧に。
「うん。でも、少し違う。村はすでに吸血鬼に支配されていた。いわば家畜場だった。そして僕は、吸血鬼の生贄にされて死ぬはずだった」
しかし、すべてが狂ったと彼は続ける。
「吸血鬼は末期になると、理性と本能の間を行ったり来たりする。それがとても苦しいんだよ」
小さく息をついて、青年は震える手でニーナの手を包み込む。
「君を生き返らせたのは、僕のわがままだ。君に苦しい思いを強いてまで、生きてほしいという兄のエゴだ」
「そんな勝手な……っ!」
「うん、勝手だよ。そして、苦しみから逃れたいために、妹に殺されに来た。それも勝手だ」
心の底で怒りがふつふつと湧き上がる。
冷えていた感情が、一気に熱を帯びる。
震えるニーナに合わせて、白い息が出た。雪景色に混ざり、兄の顔の前で溶ける。
それでも彼は笑みを崩さない。
「僕は君を愛していた」
愛していたのなら、生き返らせるな。
その言葉を、心の奥底に沈めた。
ニーナは兄から剣を引き抜く。血が、彼女の頬に飛び散った。
剣を怒りのままに振りかぶった。その姿を兄はじっと見つめるだけだった。
「そう、それでいい」
その言葉は、最後までニーナには向いていない。そのことが怒りを加速させた。
力任せのまま、彼女は振り切った。剣は兄の首をハネ飛ばす。
残された彼の身体がゆっくりと後ろに倒れる。
白い雪の中に沈む彼の体を、ニーナはただ見下ろしているだけだった。
景色に溶けるように、灰となって散っていく。その様子を見て、彼女は夜空に向かって泣いた。
しばらく立ち尽くしていた。そんなニーナの耳に入ったのは、何か機械から発せられるノイズだ。
音の正体はすぐに分かった。アルベルトの胸ポケット内にしまってある無線機だ。
『ニーナ・███との接続が切れた』
その無線は淡々と告げる。
『彼女を見つけ次第██せよ。繰り返す彼女を──』
その言葉を聞き、ニーナは剣を落とす。
浅く呼吸をしてから、心拍数を整えた。
乾いた笑みが少し出る。この世界は狂っていると。
「だったら、私は──」
彼女は歩き始める。雪の地面に、彼女の足跡が続いていく。
ここまで目を通してくださりありがとうございます。
次の作品もまた2週間後の金曜日22時に投稿予定です。
今度は “滅んだ世界で生きる4人の少女” のお話になります。
また暇な時に目を通していただけると幸いです




