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第三話

 火花が散る。弾き飛ばすように、押し返す。

 痩せぎすの吸血鬼の体は、宙で一回転して着地する。


 赤と白が混じる地面の先で、吸血鬼は斬られた自分の手を不思議そうに見つめていた。


 切り離された左の腕が鈍い痛みを発する。しかし、激痛ではないことが、ニーナの異常性を示していた。

 

 呼吸が深いのに、息が白くならない。左腕が驚異的な速度で再生していく。

 痛みが遠のくのを感じ、表情もなくなっていく。


 思考は嫌なほど静かだ。そんな自分に目の前の吸血鬼よりもざわついた。


「おま……お前ぇ」


 手を抑えて呻く吸血鬼を、ニーナは静かに見やる。


 銀の剣で斬られたはずの相手の回復スピードは、異様だった。しかし、ただ物理的に切り離されただけのニーナよりは遅い。

 彼女が動き出したとき、まだ相手の準備は整っていなかった。


 剣を首めがけて振り下ろす。もう、何も感情を乗せることもない。


 その重い一撃を、吸血鬼は寸前のところで躱した。

 喉元に傷がつき、血が垂れる。赤黒い血は、人間のものとは違って淀みが生まれていた。


 自分の血もそうなりつつあるんだと思うと、吐き気がする。それでも表情を崩さずに前へ踏み込む。


「……っ」


 短く息を吸い、治癒した左手を右手に添える。全体重の移動を乗せて、相手の心臓めがけて突き刺した。


「クソが!」


 吸血鬼は抵抗する。生えたばかりの右手で、剣を掴む。

 血が剣の筋を通る。銀色に赤黒い線が一筋作られる。


 剣を振り上げた。指が数本飛んで、雪に新たな血の跡が作られる。

 吸血鬼は大きな痛みの声を上げると、数歩ほど後退した。


 ニーナはそのまま剣に付着した血を払う。態勢と呼吸を整え、踏み込んだ。


「ま、まて!」


 吸血鬼は左手のひらを見せて、ニーナを制止する。


「俺を殺したら、お前の仲間はどこにいるか分からなくなるぞぉ!」


 そんなことかと息をつく。


「知らない」


 彼女はその一言を返し、無慈悲に振り下ろした。

 首がハネ、地面に転がる。充血した瞳が、こちらを見あげていた。


「くそくそくそ! アイツの誘いに乗ってやったのに、全然助けてくれねぇじゃねぇか!」


 悪態をつきながら頭だけ動く姿を見て、吸血鬼の生命力のしぶとさを思い知る。

 彼の口から唾が飛び、首の断面からは血が流れる。

 降り積もる雪は髪に落ち、吸血鬼の肌の白さを際立たせていた。


「美味しい思いをさせてくれるからノッただけだぞ! なんで俺がこんな目に遭わないとならないんだ!」


 彼の声が耳に反響する。冷めた瞳で見下し、剣を突き立てた。


 肉と筋繊維を引きちぎるような感触が、手に伝わる。それが少し不愉快と顔を歪めつつも、剣を引き抜く。


 自分の未来を映したような怪物は、すべてが灰となって消える。

 それは風に乗って散り散りになった。


 肌の突き刺す寒さが戻ってくる。静寂が、自身の鼓動を強調する。

 手は震えてはいなかった。たった今一つの命を奪ったというのに、何も感じなかった。


 剣をしまい、自分の手を眺める。果たしてこの白い手に流れる血はまだ赤いのだろうか。


 風が髪を揺らしたとき、ニーナはアルベルトのことを思い出した。探さないとと静かに歩き始める。

 鼻を動かして、微かの新しい血の匂いを探る。


 彼はすぐに見つかった。村の脇に打ち捨てられるように転がされている。

 腹が大きく空いている。致命傷だ、応急処置くらいでは助からない。


「……ニーナか」


 枯れたアルベルトの声が聞こえる。彼は顔を上げることなく、ただ続ける。


「すまんな……少々手荒になった……」

「何を言ってるの?」


 ガーゼを取り出して、傷口を押さえる。しかし、止まらない。彼の体温もどんどんと低下していってる。

 心は焦っている。普通なら取り乱している。それを客観的に感じながら、彼女は淡々としていた。


「俺は……お前を協会から逃がすつもりでいた……」


 その言葉の意味が分からずに、眉根を寄せる。


 アルベルトは震える手で懐に手を突っ込んだ。短い電信音がして、顔のマスクと首輪が取れる。


「……え?」


 戸惑っていると、ゆっくりと顔を上げる。

 ニーナを見やる瞳が、少し揺れていた。


 彼なりの最大限の笑みを見せていた。口の端は引きつり、まぶたも震えている。しかし、それでもニーナを安心させようという気持ちだけは伝わってくる。


「つめてぇなぁ……」


 ガクリとアルベルトが顔を下に向ける。彼の呼吸に合わせて、白い息が周囲に散る。


「本当に……つめてぇなぁ」

「もういいから……喋らないで」


 それが優しさだったのか、自分でもわからない。

 ニーナの声に、アルベルトが答えなかった。いつの間にか呼吸も止まっていた。

 それでもニーナは処置を続ける。


 いつからか、彼の身体には雪が降り積もっていた。

 その頃には手を止めて、小さく息をつく。


 眼前の同僚の亡骸に、何の感情も浮かばない。そのこと自体悔しいのだが、その悔しさを表現することさえ忘れてしまった。


「そんな……勝手な」


 ニーナの手は完全に止まっていた。

 ただ、風の音を身まで受けて。ただ、雪の冷たさを頬に受けて。アルベルトを見つめていた。


「死んでしまったんだね。彼も」


 唐突な後方からの声に、ニーナは数メートルほど跳躍した。その咄嗟のことが自分の身体能力の向上だということに、遅れて気が付かされた。


 いつの間にか、そこには一人の青年が立っていた。

 スーツ姿に、金髪の短髪が似合う青年だ。

 肌は驚くほど白く、白い息も出ていない。


 青年は立っていた。本当にそれだけだが、脳髄の奥の記憶を引き出させる。


──彼は、一ヶ月前にニーナを吸血鬼にした張本人だ。

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