第二話
アルベルトは車を運転している。白い雪景色に、ライトが当たっていた。
助手席に座るニーナがつまらなさそうにため息をつく。
「どうした、考え事か?」
「いや……ちょっときつくて」
ニーナの口元は金属製のマスクで覆われている。自分では取り外せないものだ。
首にも金属の輪がつけられていた。それは、アルベルトの命と連動しており、彼が生命活動を停止したら致死量以上の毒が流し込まれる。
吸血鬼であるニーナは藻掻き苦しみ、最後は絶命する。
「こんなものつけるくらいなら、私を使わなければいいのに……」
「協会は人手不足だ。吸血鬼化したハンターの手でさえ借りたいんだとよぉ」
「……猫の手のほうが安全じゃない?」
ニーナの軽口にアルベルトは笑った。それ以上は何も言わない。
「ま、今日は近隣村の簡単な見回り程度だ。職場復帰にはちょうどいいだろ?」
「簡単な……ね」
窓の外を見る。白い地面が続いている。
道路脇の森は、やけに静かで重い空気が流れている。見ていると吸い込まれそうなほどだ。
ふと、彼女の奥歯が軋んだ。雪の白に混じって、赤色が見えたからだ。それは車が村に近づくほどに多くなっている。
無意識に爪が伸びてるのに気がついて、手元を隠した。
「……簡単なって言ったよね?」
「おう、いつも通り近況を聞いて、周りを見回って帰ってくるだけだ」
アルベルトは笑いながらきっちり説明してくれる。
気づいていない。
「その程度じゃ済まないと思う……」
「……何?」
彼の笑顔が消えた。
ニーナは落ち着かせるように、呼吸を深くする。指の爪を何とか戻した。
血はさらに増えている。鼻の先を匂いが掠めていると錯覚するほどに。
血の跡は森の奥に消えていっていた。しかし、道路には一切の痕跡はない。そのことが、相手の狡猾さが伺えた。
道路の先の景色は、怪物が大口を開けて待っているかのように思える。
「これ、応援を呼んだほうが良いかもしれない」
ニーナのはっきりした宣言に、アルベルトは車を止めた。
一瞬の静寂が、周囲を包み込む。ちらつく雪と車のライトが、その先の暗闇を強調させていた。
「わかった。一回戻ろ──」
アルベルトの声が、衝撃と音で消えた。体全体が浮き、頭を横の窓に打ちつける。
霞む視界の先の割れたフロントガラスの奥に、ボロ布を纏った痩せ細った男がいた。ボンネットの上に立ち、笑っている。
口の端や体の所々に血がついていた。肌は嫌うに白く、肉もついていないほど骨が浮き彫りになっている。それなのに目だけは酷くギラついている。
「……くっそが!」
アルベルトは、拳銃を取り出した。戸惑いもなく、吸血鬼に向かって発射する。
銀の弾丸は、脇腹と肩を貫通する。肉がえぐれて血が周囲に散らばる。それでも、彼の笑みは消えない。
ただの吸血鬼ではない。その証拠に、傷がもう治りかけている。銀を打ち込まれて、回復速度が低下するはずなのに。
「あっはははははは!」
吸血鬼が狂気じみた笑みを漏らす。
フロントガラスを手で突き破ってくる。そのままアルベルトの喉元を鷲掴む。
苦しそうな声を漏らすアルベルト。掴まれた喉は皮膚が沈み、鬱血していた。
「はな──……」
声が途切れた。気がついた時には、二人とも姿は消えていた。
静寂がニーナの耳に残る。突き破られたフロントガラスから、雪がチラチラと車内に入り込んでくる。
冬の寒さが頬を刺す。心の温度は一段と冷える。
アルベルトが連れ去られた。そのことがあとから脳内にジワジワと浸透する。
しかし、彼はまだ生きている。ニーナが生きていることがその証拠であった。
耳につくのは首輪の警告音。それが肌を泡立たせる。
探しに行かないとと、車の外へと出た。
雪は地面を白い絨毯に変えていた。それは永遠に続くかと錯覚させるほどであった。
※※※※※※※※※※
村中が血まみれだ。雪のせいか赤が余計に極まって見える。
村人の姿はなかった。風の音が異様に響き渡る。
ニーナは生きている。呼吸をして、立っている。頬にかかった髪の毛を、耳にかけなおした。
血の匂いで奥歯が疼く。落ち着けと、太腿を殴った。今はアルベルトを助けるのが先だ。
協会へはもう連絡してある。応援を送るとだけ言われた。大丈夫かなんて一言も尋ねられていない。
大きく息を吐いてから、剣を握る。対吸血鬼用の銀の剣だ。
銃は持っていない。支給されていないから
一歩、前へと踏み出す。靴底で雪のつぶれる音が鳴った。
一ヶ月前に対峙した吸血鬼ほどではないが異様だ。
村に入るまで痕跡を悟らせなかったのも、銀の弾が効かなかったのも、協会近くの村を狩場にしたのも。何より、アルベルトを殺さず人間たちをおびき寄せる罠にしているのも。
きっと彼女の手に余る敵だ。それでも、前に進まないといけない。
ニーナは一ヶ月前に人間として死んだ。そしてもう一度死にたくない。
歩みは重かった。前に進むごとに血の匂いが濃くなるからだ。口につけられたマスクの奥で、喉が鳴る。
呼吸が自然と震える。声も自然と漏れる。
「何だぁ? 同業じゃねえかぁ?」
不気味な声が聞こえてきた。男でも女でも、大人でも子どもでもない。
体の芯から、震えさせるような声だ。
「……アルベルトを返して」
それでも彼女は前を見る。目をさらしたらだめだと本能が言っている。
「人間の心配とは、おかしなやつだぜぇ?」
クツクツと嘲る笑いが、耳にへばりつく。
その態度だけで、自分は格下と思われているのだとわかる。
「それとも、自分の餌を取られてご立腹なのかぁ?」
「違う……アルベルトは餌じゃない」
「吸血鬼と人間が仲良し……こりゃあ傑作だあ!」
静かなはずの村が、騒ぎ立っている錯覚を感じた。
心のざわめきがこれ以上踏み込むなと、警告している。
「あぁ〜」
そんな彼女を嘲り笑うように、吸血鬼は続ける。
「お前は協会に管理されてるわけだぁ?」
その言葉が、彼女の奥底を抉った。
グラリと揺れる視界。浅くなる呼吸。体勢を崩しそうになるのを、剣で地面を刺して支える。
「なんであれ──」
ふっと、すぐ背後から声が聞こえる。振り返った頃には、左手が飛んでいた。
宙を舞う血が自分のものであると気がつくのに、一コンマほど遅れる。
「俺の狩場を侵すやつは、ぶっ殺す」
先ほどまでの嘲り笑う声ではない。冷酷な狩人の声だ。
ひゅっと喉の奥から声が漏れた。脳が高速回転を始める。
右手の剣を、相手の攻撃に合わせて滑り込ませる。腹部を突き刺そうとした手を、寸前のところで止めた。




