第一話
ニーナは小さく息を吐く。白い頬は血に塗れ、右手に持った剣の先を地面に擦りながら歩く。
右足は重く、引きずっている。
それでも前に進む。
吸血鬼を倒し、人類の安全圏を確保する。任務は早期に片付く予定だった。
しかし、結果は数十人いた仲間たちはたった一体の吸血鬼に殺された。
視界が一瞬で赤に染まり、気がつけば自分も上半身だけとなり倒れていた。
それでも自身が動けてる理由はわからない。身体は気がつけば回復していった。
いや、本当はわかっている。自分はもう、逸脱してしまっていることを。
深々と降る雪が、辺りを静寂に落とす。月明かりを反射して、輝きを見せる。
ニーナの歩いた軌跡に合わせて、血の跡が落ちる。
震える呼吸は、白い息となって宙に溶けていく。
「なんで……──」
広がる村の地獄絵図。白と赤のコントラストが広がる。
誰も気配がない場所で、彼女は膝をつく。
「なんでなんでなんで、私だけ!」
血の匂いが嫌に鼻についた。渇きを主張するように、喉が鳴る。
「なんで私だけ、生き返らせた!」
涙は出ない。
自身の異様な肌の白さが、もう人間には戻れないことを示唆していた。
※※※※※※※※※※
吸血鬼は人間を餌としている。これは話し合いでどうにかできるというレベルではなく、本能として確立されている。
例えば、人間に他の生命を食べるのをやめろと言っても無理だ。生きるためには、植物を含めた数多くの生命の摂取が必要となる。
吸血鬼の命の源は、人間の血に混じっている魔力らしい。
「はい、異常なし。ちゃんと手渡された血液パックは全部飲んでくださいねぇ」
柔らかい口調で、白い衣服を纏った女性がいう。
吸血鬼を狩ることを生業にしている人間たちの協会。そのお抱え看護師だ。
「ありがとうございます……」
深々と頭を下げる。上から一週間に一回受けるように言われている定期検診を終わらせたところだ。
結果は全部健康値。吸血鬼であると判断された以外は問題ない。
「ニーナちゃん、笑わなくなったよねぇ。こういうときこそ笑顔だよえ・が・お!」
持っているペンで、ビシッと刺される。
そんなことを言われたところで、愛想笑いさえ漏れない。やはり自分が人間でなくなった事実は重い。一カ月経とうとも、心に深い影を落とす。
確かに以前のニーナなら、まだ微笑むくらいはしていた。しかし、自身が恨んでいる吸血鬼になったというのに笑えという方が無理がある。
ニーナがため息をつくと、看護師が椅子に深くもたれかかった。
「まぁ、無理もないけどさぁ。配給される血液はしっかり摂取してよねぇ」
「分かってます……」
「本当かしらぁ。末期になったら、あなたを殺さないといけないんだからね?」
看護師が手の中にあるペンを回す。それがとても目について仕方ない。
動きを追いかけていると、彼女はペンを机の上に置いた。
「聞いてる?」
ズイッと乗り出して、顔を近づけてくる。彼女の瞳は少し透き通っていた。
まっすぐこちらを心配してくれているのは伝わる。そのうえでいつも通り接しようとしてくれているのだ。
「血の味に……なれなくて」
「まぁ、皆最初そういうわねぇ。で〜も〜、吸血鬼にとって渇きは死活問題」
また彼女がペンをくるりと回した。思わず乗り出して、ペンを手に取る。
そのことに特段驚いた様子もなく、「ふ~ん」と彼女が納得するような声を漏らした。
「視覚過敏の初期状態ね。ま、しばらく我慢できてたから問題ないでしょう」
「……試してたんですか?」
指に力が入る。黒いペンが小さく音を立てて、ヒビ割れた。
思わぬことに、慌ててペンを放す。人さし指の先が、微かに震えている。
机の上に転がったペンは、折れていた。
「あのねぇ、こうやって試さないと隠す人がいるの」
先ほどと同じ軽口だが、彼女の声は低い。足を組み替えて、腕を組む。
「例えば、聴覚過敏」
そう言って天井を指差す。彼女の動きに合わせて、見上げた。
天井に合わせて白色に塗り替えられていたが、そこにはスピーカーのようなものが埋め込まれていた。
「あそこから、定期的に人間には聞こえない音が流れてる」
続けて彼女は説明する。
「嗅覚過敏。まぁ、ここまでくると末期近くだけど」
そう言って看護師は、机の下から皿を取り出した。何か得体のしれない赤黒いものが盛り付けられている。
その形容しがたいグロさに、思わず顔を背けた。
「これ、吸血鬼たちの好きな臓物」
この匂いを嗅いだ吸血鬼はどうなるのだろうか。そのことを尋ねる勇気は、ニーナにはなかった。
試されていたことに、微かな沈黙を落とす。曇天に濁った瞳を、看護師に向けた。
「私が襲ってきたら……どうしてたんですか?」
「何も? 殺すだけだよぉ。私も吸血鬼ハンターの一人だし、何よりこの部屋は君を処理するための場所でもある」
「そこまで……」
「そこまでするのよ。い〜い? 君は吸血鬼で私たちは人間」
その言葉の隔絶が、さらに重くのしかかる。なのに心臓の鼓動は一定の間隔を奏でている。
かつては自分もそちら側に立っていたはずなのに。
「そもそもの話、君はもう監視対象。危険度は四六時中測られるし、処分命令も上を通す必要がない」
瞳は揺れるが、彼女を責める気にはなれなかった。
当然の処置だ。誰だってそうする、自分だってそうする。だからこそ、行き場のない怒りで拳を強く握る。
「……っ」
手のひらに微かな痛みが走る。手を開けてみると、自分の爪の形に肌が削れていた。
爪が鋭く伸びていた。先につく血が、指に垂れる。それを見て、泣きそうになる。
「体の一部変異ありっと」
看護師の淡々とした口調が耳に残る。
※※※※※※※※※※
寝転びながら揺れるランプを目で追う。灰色の天井は、冷たい質感を返してくる。
部屋には窓さえない。家具もベッドしか置いていない。唯一の入り口は、鉄格子で閉じられていた。
時々外から悲鳴のような笑いのような声が聞こえる。それは壁に跳ね返り、ニーナの脳内をかき乱す。
呼吸をする。白い息が中空に溶けていった。
手のひらを上げる。白い手に透き通る血潮が、自分は生きていると伝えている気がした。
伸びた爪は、どうやら自分の意志で引っ込めることができるようだ。
喉の奥が締め付けるように鳴る。奥歯が疼く。視界が徐々に薄暗くなるのを自覚して、呼吸も浅くなる。
手探りで脇においてある血液パックを取った。
袋を破り、衝動的に血を流し込む。のどに絡みつくような熱さと、鼻に纏わりつくような鉄錆の匂い。
体が受け付けないようにむせ返し、口元をぬぐう。
何か自分が悪いことをしたのではないかという気分に落ちる。
施設に拾われ、吸血鬼ハンターとして暮らしている日々の中では、それより下があるとは思わなかった。
大きく息をつくと同時に、ドアがノックされる。小窓が空いて、一人の男が顔を覗かせた。
「よーう、ニーナ」
「……アルベルト」
快活そうな青い瞳が、こちらを見ている。笑顔で見える歯は、嫌みなほど白い。
「……なに?」
「仕事だってよ」
その言葉に、ニーナはゆっくりと立ち上がる。




