認められたい。知られたくない。
「茉莉也ちゃんが会ってくれなくなった!?」
期末テストが終わり、テスト返却期間が終わればいよいよ夏休みに突入しようという時。
スズちゃんはまた放課後の教室で自分の机に突っ伏してさめざめと泣いていた。
「なんで? やっぱりバレてた?」
「わかんない……アプリでメッセしても『先輩のせいじゃないんです。けど少し時間をください。ごめんなさい』って……昨日は部活にも来てなくて……」
「うーん……」
バレたにしても、ずいぶん妙な感じだ。ボクにあれだけ真剣なまなざしでライバル宣言をしてきたばかりだというのに。
「教室に行って会ってみたら」
「会いたくないって言われてるのに行っても大丈夫だと思う?」
「う~ん……」
この場合どうなんだろう。ボクも恋愛経験浅いので正解がわからない。のんちゃんに聞こうにも今日はバイトに行ってしまっていない。
まあ、もしボクとの関係がバレちゃったことが原因なら……ちゃんと責任というか、けじめをつけに行くべきかなあ……。
「……しょうがない。行くか」
―――
「いるじゃん」
茉莉也ちゃんの教室に向かうと、彼女は帰りの準備をしながらクラスの友達らしき生徒と親しげに話していた。
教室の前でじっと待っていると、こちらに気づいた様子で、友達に何か話した後、鞄を持ってボクの方へ歩いてきた。
「桜木先輩、その……わたしに御用でしょうか?」
「うん。ちょっと話せる?」
「はい……実はわたしからも折り入ってご相談があります」
む……。やはりボクとスズちゃんのことで何かありそうだ。
「わかった。場所変えようか。ついてきて」
ボクは彼女を連れて学校を出た。
―――
「あの、なんですかここ……?」
「個室だし、いいかなと思って。カラオケは嫌い?」
ボクは茉莉也ちゃんを連れて、いつものカラオケボックスに来て、向かい合って座っていた。
「……わたし、歌は苦手で」
「そっか。まあ別に歌いに来たわけじゃないからいいよ。ボクに何か言いたいことがあるんでしょ? ボクの話はそのあとでいいから」
「……はい」
茉莉也ちゃんはしばらく俯いていたが、一度深呼吸をして、まっすぐボクに向き直った。
「あの、桜木先輩も……女の子が好き、なんですよね」
「うん。そうだよ」
「……わたし……その……」
あれ? てっきりボクとスズちゃんの関係について何かしらのツッコミが入ると思っていたけれど、どうやら様子が違うらしい。
彼女の目が苦悶に歪んでいる。何か悪いものを吐き出そうとして必死な感じ。
「お母さんに、言おうとしたんです。先輩とのこと……」
「あ……」
――嗚呼、そうか、そっちか。
「でも、直接言うのがちょっと怖くて、最初に聞いてみたんです。女性同士の恋愛について、どう思うかって……そしたら」
彼女の視線が、またどんどん下がっていく。
「お母さん……『なにそれ、気持ち悪い』……って」
「…………。つらいね」
ボクらのようなマイノリティは、以前よりも世の中に受け入れれられやすくなっているという。
多様性の時代だ。でも、すべての人間の価値観がいきなり変わったりはしない。
受け入れられないこと、否定されることもあるだろう。
時に、身内にも……。
「わたし、お母さんに言いたかっただけなんです。憧れの先輩と、恋人同士になれた、って……。なのに……」
彼女の目尻に涙が浮かび始める。
ボクは、彼女の隣に座りなおした。
「わかるよ。ボクも……素敵な恋人ができたらきっとお母さんに自慢したがると思う」
「でも……お母さんがわかってくれないかもしれないって思ったら……急に……」
「うん……。怖いよね。大切な人に否定されるのが何よりも怖いよ」
「わたし……わたし、反論もできなくて……気持ち悪くなんかないって言いたかったけど……言えなくて……」
茉莉也ちゃんの目から大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちていく。
適切なアドバイスなんて出来るはずがない。
周囲の人間からの理解を得られるかどうかは、とても苦しい課題だ。
それでも、ライバルとして、先輩として、少しでも寄り添ってあげたい。
震える彼女の体に手を伸ばし、彼女が泣き止むまでじっと肩を抱いていた。
隣の部屋からは流行りのドラマの主題歌が聞こえてくる。ボク達とは違う価値観を持った人たちの恋の歌が。
少し泣いて、茉莉也ちゃんは落ち着いたようだった。
「ごめんなさい。先輩……わたし、こんなつもりじゃなくて……」
「人に話して、ちょっとは楽になった?」
「はい……でも、これからどうしたらいいのか……」
「まだお母さんに、それについて客観的にどう思うか聞いただけだろう? これ以上は聞かないでおこうよ」
「……」
それでいいの? と彼女は眉を顰める。
「人って案外、自分の身内のことになるとコロコロと意見を変えたりするものさ。キミのお母さんだって、自分の娘がそうなんだと知ったら、あっさり肯定派に鞍替えしちゃうかも」
「……そうでしょうか……」
「そうかもしれないし、違うかもしれない。実際は聞くまでは分からないから、聞くのは先延ばしでいいんじゃない?」
「……あの、先輩はどうなんですか? ご自身のことは」
ちらり、と、茉莉也ちゃんがボクに視線を向ける。
「言ってないよ、両親には。ボクがレズってことはスズちゃんと、もう一人の友達だけが知ってる。スズちゃんがキミに話したから、キミが三人目」
「鈴音先輩は、そんな大事なことをわたしに……?」
茉莉也ちゃんは急に顔をあげて、まん丸な瞳で僕を見つめた。
「キミなら大丈夫だと思ったんでしょ。仲間は多いほうがいいもん」
「仲間……」
その言葉の響きを、茉莉也ちゃんが反芻している。
「キミもそう思ったから、ボクに相談してくれたんでしょ?」
「……それは、そうですけど……」
俯く茉莉也ちゃんの背中を、ボクは優しく撫でる。
「ボクはね、もしボクのお母さんに否定されちゃったら、悲しいけど、それはそれで仕方ないかな、って思ってる」
「え……?」
「結局、親って他人だもん。ボクの価値観とお母さんの価値観は違う。違って当たり前だから、理解されなかったら仕方ない。ボクはボクの人生を生きるんだから、ボクの価値観で生きる。キミもそうすればいい」
「わたしの価値観で……生きる……」
茉莉也ちゃんは顔をあげ、 顔をぬぐった。
「すみません先輩……。ありがとうございます。だいぶ気持ちが楽になりました」
「それは何より」
そう言って、ボクは茉莉也ちゃんに笑いかけた。彼女を顔をこんなに近くで見たのは初めてだ。
長いまつげ、丸っこい目。これまた丸っこい輪郭。ショートヘアの髪は手入れが行き届いていて綺麗だ。
うん、可愛いな、ボクのライバル。
「まあ、ボクで良かったら、これからも話を聞くよ。ライバルが聞いてもいい悩みだったら、だけどね」
「あっ……」
と、茉莉也ちゃんの顔が真っ赤に染まる。
「ご、ごめんなさいあの時は大変失礼なことを……」
さっきまでの涙が嘘のように、茉莉也ちゃんはオタオタし始めた。
「別にいいよ。それより、あんなことを言ったからには、少なくともボクがスズちゃんのことが好きなことに気づいていたんだろ? どうして?」
「え、と、それは……その……」
茉莉也ちゃんの顔がますます赤くなる。
「あの、わたし……先輩から桜木先輩の話はよく聞かされてて……。正直ちょっと嫉妬していたんですけど、とても大切な友達だって言ってて……だから安心していたんですけど」
「うんうん」
「先輩に告白した日に……その」
茉莉也ちゃんの顔は沸騰するように赤くなっていく。もう耳までトマトみたいに真っ赤だ。
「先輩に抱いてもらったんですけど……」
「うん……うん?」
当日……???
「その時の先輩が……とても初めてだとは思えなかったというか、妙に女の子を抱きなれてる感じがしたって言うか……その時はあまり気にしなかったんですけど、今思えばあの時の先輩の体、キスマークみたいのがぽつぽつあって」
「……待って、茉莉也ちゃん、待って」
あいつ――!!
「先輩とえっちしてたの! どう考えても桜木先輩ですよね!」
――自爆してんじゃねぇか!!!!
「…………………」
あまりの展開に、ボクは頭を抱えるしかなかった。
どこでバレたどころか、最初からバレてたわ。
「あの日はそのことに思い至ったので、つい――」
「ああ、うん。だいたいわかりました……」
「……っていうか、今でも時々えっちしてませんか?」
「――それもバレてんの!? なんで!?」
「はぁ……」
やっぱり、と茉莉也ちゃんが項垂れる。
「今のはカンでしたけど……。お二人のことを見てたら、なんとなくそうかなって」
しまった、罠だったか。
「それは……ごめんなさい」
流石にこれはボクの落ち度。
うっかり墓穴を掘った。素直に謝るしか選択肢がない。
「……先輩に浮気されたのはショックです。でも、わたし、ちょっと罪悪感みたいなものもあります。お二人が昔から仲良しなのは知っていたのに、わたしが突然告白して、桜木先輩から鈴音先輩を奪っちゃったのかも……って。これじゃフェアじゃないと思って」
「キミ、結構損な性格してるって言われない?」
「それは否定しません。でも正直、お二人の関係性をナメてたと思います。もし鈴音先輩に『桜木先輩ともう会わないで』なんて言ったらきっと、わたしの方が捨てられちゃいます。だから、もう桜木先輩と直接戦って決着をつけるしかないと思ったんです」
茉莉也ちゃんの目に、あの時と同じ力強さと決心が戻ってきていた。
「そっか……。でも、そう言われたらボクも負けられないな。ボクはスズちゃんと生まれたときから一緒に生きてきた、いうなれば姉妹以上の半身だ。ぽっと出の後輩なんかに負けないよ」
「でも先に告白して、先に恋人になったのはわたしです」
「あ、ちなみに元カノです」
「ぐっ……でも今はわたしが恋人です」
「この前スズちゃんとセックスしたときおなかにすごい噛み跡つけられてさ……まだこの辺ちょっと赤いんだよね」
ボクがブラウスをめくってお腹を見せると、茉莉也ちゃんの顔はまた真っ赤に沸騰した。
「ええええっちなエピソードまで現恋人を上回らないでください!」
「これでもまだスズちゃんに愛想つかさないんだ。そんなに好きになったの?」
アウト寄りの挑発だったと思うけど、茉莉也ちゃんは意外にも食いついて乗っかってきた。
「それは……はい……」
「いつから? 何かきっかけとかあったの?」
茉莉也ちゃんは恥ずかしそうに口元を抑えながら、話し始める。
「その……オカルト研究部に入ったの、最初は別の先輩目当てだったんです。占いが得意な先輩がいて、その人とお近づきになれたら……って、でも、人気すぎて全然近寄れなくて、別にオカルトが好きだったわけじゃなかったからだんだん孤立し始めたんです。そんなわたしに鈴音先輩が声をかけてくれて……。オカルトに詳しくないことを話したら、いろいろ教えてくれて……。別に映画好きなだけでもいいんだよ、ってホラー映画を見せてもらったりしているうちに、とっても素敵な先輩だなって思うようになって……」
真っ赤な顔で、でも優しくて穏やかな表情で言葉を紡ぐ彼女を見ていると、本気でスズちゃんに惚れているんだな、ってことがよくわかる。
ああ、そういう所だよな。そうやってコマすんだよな~スズちゃんは。
「わかったよ。じゃあ、ボクとキミは今日から正式に恋のライバルってことで」
「む……待ってくださいよ、わたしが恥ずかしいエピソードを話したんですから、桜木先輩も鈴音先輩が好きになった時のエピソードを話すべきです」
そう言ってぐいっ、と茉莉也ちゃんが迫ってくる。
「切っ掛けかあ……ううん」
そう言われても、ずーっと好きだったからなあ……切っ掛けなんてあったかなと、顎に手を当てて思案する。
そう言えば、はっきり自覚したのはあの時かも。
「小学校の低学年の頃だったかなあ……ボクの両親とスズちゃんの両親は一緒に海外で仕事してて、ある時ボクが、パパが約束の日に帰ってこなかったことにすごい怒って、泣きながら部屋で大暴れしてたんだよね。そしたら突然スズちゃんが入って来て、ボクの唇にちゅーって」
「おぉ……」
「『パパの真似、ママはね、パパがこうしたら泣き止むの』って……あの時かなあ。スズちゃんのこと大好きになったの」
「なんか……いいですね。鈴音先輩、その頃からかっこよかったんですね」
茉莉也ちゃんが目をキラキラ輝かせながら、両手で自分の口元を覆っている。
いいのか、ライバルのエピソードなんだけど。
あとスズちゃんのお父さんお母さんごめんなさい。ついでに恥ずかしい秘密をバラしてしまいました。
「それじゃ、今日はこのへんにして、もう出ようか」
「あ、桜木先輩、待ってください。最後にもう一つだけ」
立とうとする僕を、茉莉也ちゃんが制する。
「んん、なあに?」
「その……現恋人からすると、やっぱり知らないところでえっちされてるのはちょっと嫉妬してしまうというか」
「ああ……まあ、そっか」
「でもお二人の場合、やめてって言ってもこっそりしてそうな雰囲気がありますし」
茉莉也ちゃんがすごく苦々しげな表情を浮かべる。
「まあ~~~~~~多分、するね」
これは半分嘘。流石にボクから誘わない限りスズちゃんはしないと思う……。まあ言わないでおくけど。
「そこで、提案があります。あのですね」
ごにょごにょ……と、茉莉也ちゃんがボクの耳元であることを囁いた。
「……茉莉也ちゃん、キミって結構……」
「……言わないでください。ちょっとは自覚あります」
ともかく、面白そうだったので、ボクはその提案に乗ることにした。
―――
「ねえ! ちょっと、何、二人ともどうしたって言うのよ」
その夜。ボクと茉莉也ちゃんは二人がかりでスズちゃんのことを組み敷こうとしていた。
「いや~、実は茉莉也ちゃんとボクでいろいろ話し合ってさあ……。結論から言うと、セックスするときは三人でしようってことになって」
「はあ!? 過程をすっ飛ばしすぎじゃない!?」
「観念してください、先輩。元はといえば幼馴染をセフレにしたり、告白してきたばかりの後輩に手を出したのが悪いんです」
ボクがスズちゃんを羽交い締めにして、茉莉也ちゃんが服を脱がせる。
「だ、だとしてもこんな無理やりはダメでしょ!?」
「観念しなよスズちゃん。結局全部バレちゃった上で、こうしたら許してくれるって茉莉也ちゃんが言うんだから」
「か、勘弁してぇ~っ」
夜の住宅街に、スズちゃんの悲鳴が響き渡った。
―――
終わった後、スズちゃんは疲労と放心で、お風呂に入ることも忘れて気絶するように眠り転げてしまった。
ボクと茉莉也ちゃんといえば、スズちゃんのベッドでお互いに向かい合いながら寝ころんでいた。
「うぅ……なんだかすごかった……」
と、茉莉也ちゃんはまだ余韻に浸っている。
「やっぱキミ、結構スケベだよね」
「それは……はい……自覚はあります」
茉莉也ちゃんは枕を抱きしめて、うつ伏せになって顔を伏せる。
「まあ、ボクとスズちゃんも大概だし……案外これでなるようになったってことなのかも」
「……あの、先輩」
もじもじと、茉莉也ちゃんは少し顔を上げて、ボクへ視線を向けた。
「その……鈴音先輩みたいにあだ名でお呼びしてもいいですか? お二人があだ名で呼びあうのがちょっとうらやましくて……」
恥ずかしかったのか、彼女は視線を泳がせる。
「わかった。いいよ、マリちゃん」
「マリちゃん……?」
「茉莉也だから、マリちゃん。ボクからもそう呼ぶ」
「……ハイ、ありがとうございます! ネコ先輩」
気に入ってくれたのか、マリちゃんは嬉しそうに笑った。




