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幼馴染でセフレのあの子はボクが先に好きだったのに!

「店長。5番卓のバッシング終わりました」

「ありがと、綾乃ちゃん。ちょっと厨房入ってくれる?」


 ――あれから、10年の月日が流れた。


 ボクは今、喫茶『ふーでぃえ』の二代目店長をやっている。


 大学を出てから一応就職はしたけれど、会社勤めが肌に合わず、結局高校時代にバイトしていたこの店に転がり込んだのだ。

 そして、2年前にここの主であった大叔母が亡くなり、ボクが店を丸ごと相続した。

 大叔母は亡くなる前に「売ってくれてええから」なんて言っていたけれど、ここでの仕事を天職と感じていたボクは、経営ごとまるまる引き継ぐことに決めたのだ。


 幸い駅前の一等地。お客さんに困ることはなかったけれど、それで何とかなるほど商売は甘くない。

 再就職してからは大叔母(ばーちゃん)のコーヒーのブレンドや軽食のレシピと、彼女なりの経営哲学を徹底的に叩きこまれていたので、それを活かしてどうにかこの新体制を軌道に乗せることができた。

 もちろん、周りの協力は欠かせなかった。ばーちゃんの時代からきてくれている常連さんはこぞって店を支えようと通い詰めてくれたし、マリちゃんも真魚ちゃんと二人でよく遊びに来てくれる。のんちゃんや理人さん。……ついでにミズキ先輩まで。

 

「それじゃ、8番卓さんそろそろカフェラテおかわりだと思うから、綾乃ちゃん淹れてみて」

「ええっ?」


 厨房に入ってきたアルバイトの綾乃ちゃんにそっと耳打ちすると、彼女は困惑の表情を浮かべた。


「だ、だって8番卓ってリンネ先生じゃないですか。先生、マスターの淹れたものしか飲まないんじゃ……」


 リンネ先生とは、この店一番の常連客。この街出身の若手ホラー小説家だ。

 客の少なくなったころを見計らって来店し、閉店時間までずっと執筆活動をされている。


「どうせマシンで淹れるんだよ。味の違いなんかわかんないって」

「ですけど」

「いいから、ほらほら」


 と、綾乃ちゃんの背中を押す。

 彼女は渋々といった感じで、エスプレッソマシンを操作し始めた。

 挽きたての豆をフィルターに詰めてセットして、ボタンを押すだけの簡単なお仕事。あとは決まった割合でスチームミルクと混ぜるだけだ。

 こんなの誰にでもできるし、味の違いなんて長年この店で働いているボクにさえそんなにわからないんだから、あんな小説家風情に解るはずもなし。


「できました」

「じゃ、持って行ってあげて」

「……はい」


 綾乃ちゃんは観念した様子で、カフェラテをトレーに乗せてホールへと向かっていった。

 8番テーブル。窓際の席で静音キーボードを叩いている作家先生のところまで、恐る恐る歩いていく。


「お待たせしました。カフェラテおかわりになります」


 綾乃ちゃんはカフェラテをテーブルに置き、代わりに空になったコーヒーカップを引き取ってお盆に乗せる。


「こちらお下げいたします」

「ん」


 同時に、リンネ先生はカフェラテを一口、口に含んだ。


「――っ」


 綾乃ちゃんに、緊張が走る。

 しかし、リンネ先生は眉一つ動かさず、また執筆活動に戻っていった。


 厨房に引っ込んで笑いを嚙み殺しているボクを、怒った綾乃ちゃんが静かにぽかぽかと叩いてくる。


「もう、店長! 人が悪いですよ!」

「ごめんごめん。でも、バレなかっただろ?」

「そうですけど……はぁ、もう二度とやりませんからね」


 ため息をつく綾乃ちゃんを尻目に、窓際の彼女へと視線を送る。

 リンネ先生は相変わらず、黙ってカタカタとキーボードを叩いていた。




 ―――





 看板を『Closed』にし、レジを締める。今日の売り上げを計算して、金庫に突っ込む。最後にセキュリティをオンに。

 毎日繰り返しているこのルーティンにも慣れたものだ。


 勝手口から店を出ると、()()()()()が両腕を組んで待っていた。


「今日、バイトちゃんにカフェラテ淹れさせたでしょ」

「あれ、なんだ。バレてたんだ」


 彼女は「はぁ」と小さくため息をついて、首を振った。


「アンタの態度見てたらわかるわよ。あんまりバイト虐めるんじゃないわよ。ねえ、()()

「あの子、リンネ先生にあこがれてるんだよ。ちょっとでもお近づきになりたいんじゃないかと思って」

「はあ、アンタまで『先生』はやめてよ。調子狂っちゃう」

「ごめんごめん。()()


 ボクはスズの腕に抱き着いて、そのまま大通りに向かって歩き始めた。

 ボクらの左手の薬指には、おそろいのペアリングが輝いている。


 スズは大学在学中に書いたホラー小説がちょっとしたヒットを飛ばし、今や小説だけではなく、漫画の原作も手掛けている知る人ぞ知るホラー作家となった。

 目標にしていた脚本家にはなれなかったが、彼女は物語の原作者の立場を手に入れたのだ。

 まだ映像化するという夢はかなっていないが、彼女ならいつかたどり着けるとボクは信じている。


 さっきの綾乃ちゃんのように、ホラー好きの若い子にもファンが多い。

 ペンネームは『宝月リンネ』……本名の法月鈴音から漢字と読み方を変えただけの安直な名前だったが、リンネという響きが輪廻転生を思い起こさせるからか、ホラーファンからは受けがいいらしい。


「ともあれ、今日もお疲れ様。スーパー寄って帰りますか、ネコ」

「リンネ先生も執筆活動お疲れ様です。じゃ、今日はボクがご飯作るよ。リクエストある?」

「先生はやめてってば。……そうねえ」


 スズは少し空を見上げ、いたずらっぽく微笑んだ。


「じゃあ、久しぶりにアンタの作った『牛のしぐれ煮』が食べたいわ」

「お安い御用だよ。とびっきりのやつ、作るからね」


 二人で、夜の商店街を歩き出す。

 人影はまばらで、吐き出す息はどこまでも白い。けれど、腕を組んだ場所から伝わってくるスズの体温が、冬の夜風を優しいものに変えてくれる。


「そういえば、真魚ちゃんがアメリカ行っちゃったんだってね」

「ああ、茉莉也が飲んだくれながら通話かけて来たわ。死ぬほど嘆いてたわよ。家族に会いに行くための旅行ってだけなんだから、一緒に行けば良かったのに」

「そう簡単に長期間休めないでしょ。学校の先生なんて」


 マリちゃんは今、母校である金蓮花高校の教壇に立っている。

 あっちはあっちで苦労があるようだが、最近真魚ちゃんと同棲を始めたようで、順調ではあるみたい。

 心配しなくても、真魚ちゃんならマリちゃんを世界一幸せにしてくれるだろう。


 ……いいや、二番だけどね。だって――。


「ね、スズ」

「なあに」


 ボクの方を向いて、微笑むスズ。何年たっても、その笑顔はボクの胸をときめかせてくれる。


「ボク、今、世界で一番幸せだよ」


 そう言うと、彼女は少しだけ顔を赤らめて、さらに強くボクの腕を引いた。


「……奇遇ね。私もよ」


 冷たい空気の中で、二人の影が街灯に照らされて伸びていく。

 その影は、どこまでも寄り添って離れない。


 太陽みたいに明るい現在(いま)をボクらは生きている。


 その実感がおなかの底から湧いてきて、胸があったかくなったボクは普段のお礼なんかを口走っていた。


「ボクは昔からスズが好きだった。ボクを受け入れてくれて、ボクと一緒になってくれてありがとう」

「私だって。紆余曲折あったけど、初恋が叶ってよかったわ」

「フフ、間に何があっても初恋は初恋か。絶対ボクの方が先に好きだったけどね」

「いやいや、私の方が先に好きだったわよ」

「いや、絶対ボクでしょ」

「わたしです。アンタ私のこといつ好きになったのよ」

「お父さんが帰って来なくて泣きわめいてたらキスして慰めてくれた時」


 本当に小さな時だったけど、今でも鮮明に思い出せる。あの瞬間、ボクはこの女の子に恋をした。


「そこよ。私はアンタが好きだったからチューしてあげたの」

「えっ」


 なんですと。


「えっ、じゃあスズの切っ掛けって?」

「アンタが泣きわめいてたあの時、絶対私がこの子を守らなきゃって思って」

「タッチの差じゃないか! もう」


 交際を始めてから十年目にして、衝撃の事実が発覚した。

 幼馴染でセフレだったあの子は、ボクが先に好きになったと思っていたのに。

 あの子の方が、ボクを先に好きになってくれていたなんて。

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