聖夜
波乱万丈だった二学期もようやく幕を閉じ、ボク達学生は待望の冬休みに突入した。
今日は十二月二十四日。街はイルミネーションに彩られ、クリスマスの活気で華やいでいる。
ボクとスズも、今年は二人きりでささやかなクリスマスパーティーをすることになった。
恋人になって、初めて二人で過ごすクリスマスだ。
昔は『クリスマス? 本場では家族と過ごす厳かな日だよ? 恋人とイチャつくなんて商業主義に踊らされてるだけ』なんて斜に構えてイキっていた頃もあったが、いざ恋人ができてみると、その手のひらはドリルにでもなりそうなくらいクルックルに回る。
ボクは今、あっさりと日本のクリスマスが持つ独特の、浮足立ったピンク色の雰囲気にのまれていた。
恋人がいる人は恋人と過ごしたらいいと思います。幸せならオッケーです。なんてね。
……さて、そんなクリスマスの夕方のこと。
ボクらの間には、ただならぬ緊張感が漂っていた。
「……いくわよ、ネコ」
「うん。スズ……」
覚悟を決めたスズの悲壮なまでの表情に、ボクは固唾をのむ。
恐る恐る、手を伸ばすスズ。
そこは既にマグマのように熱く、静かに、しかし凶暴に煮えたぎっている。
手の震えを必死に抑えながら、彼女は最初の一本目を、その中へと沈めた。
ジュワアア――。
一瞬の間をおいて、景気の良い破裂音と、食欲をそそる香ばしい匂いが一気に狭いキッチンに広がった。
「よし……どんどん揚げてくわよ!」
スズの持つ菜箸によって、天ぷら鍋の油の中に、衣の付いた鶏肉が次々と投下されていく。
半年前から料理を始めたスズ。
だがこれまでは単に味噌汁を作ったり、ボクのお母さんが作ってくれる料理の付け合わせの副菜を用意したりする程度だった。
だが今日、この日。彼女は二人きりのパーティに合わせて、ようやくメインの料理を一から作る決意を固めたのだ。
そんなスズの手料理、記念すべきメインディッシュ第一号に選ばれたのが、この唐揚げである。
少しでもクリスマスっぽい特別感を出したいということで、お肉はチューリップを選択した。手羽先を裏返して骨を出し、持ちやすく整形した、クリスマスオードブルでも定番の骨付き肉だ。
お肉屋さんで買ってきたそれを、二人で下処理して味付けし、片栗粉をまぶして、熱した油で揚げていく。
スズに多少の調理経験があるとはいえ、揚げ物は完全に初めての挑戦だ。油という、一歩間違えば大惨事になりかねない危険物に初心で挑む緊張感は計り知れない。油跳ねの一つ一つが銃弾のように恐ろしい、彼女にとっては戦場なのだ。
やがてセットしていたタイマーが鳴り、ボクがそれを止めると、スズはせっせと揚がったチューリップの唐揚げをバットにあげていく。
こんがりときつね色に揚がった肉の山を見て、スズは安堵の息を吐き、一旦火を止めた。
スズはバットを手に、ボクに向き直る。
「ネコ」
「うん」
ボクは頷いて、揚げたての唐揚げの骨の端を指先でつまむ。
同じようにスズも一つ、手に取った。
お互いに目線を合わせ、頷き合い、まだアツアツのそれを、口に運ぶ。
カリッ、サクっと衣の弾けるいい音。
柔らかな手羽元の肉から、ジューシーな肉汁が染み出して口内を火傷しそうになる。
熱い。でも、おいしい。熱い。おいしい。
はふはふ、と熱さと戦いながら咀嚼する様子を、お互いに見て笑い合った。
「はは。美味しいね。スズ」
「うん。美味しい」
念のためかじった断面も確認する。骨の周りまで綺麗に火が通っていて、赤いところは少しも残っていない。
法月鈴音、人生初めての揚げ物は大成功を収めたようだ。
「よーし、これで油も制したわ! ネコ、次はポテト揚げるから盛り付けよろしく」
「オッケー、任せて」
ボクは大皿を取り出し、ミニトマトの入った彩りのサラダと一緒に、チューリップの唐揚げを盛り付けにかかった。
持ち手の骨の向きをそろえて円形に並べると、料理のレシピ本の参考写真みたいに綺麗で映える。
――本当に、夢みたいな時間だ。
長年想い続けてきたスズちゃんと、やっと二人っきりの恋人になって、クリスマスの夕方にいっしょに料理をしている。
これだけで十分、世界最高の幸せを手にした気分だった。
こんなに尊く、温かい時間を過ごすことが出来るようになるなんて、スズとセフレ関係を始めた当時のボクには想像もできなかったことだ。
あの頃のボクは、下手すればこの爛れた関係のまま、なあなあで一生を終える可能性だって覚悟していたのだから。
スズと体だけの関係を続けて、お互いに相手がいないまま、何となく同居して、そのまま一生二人で過ごす。
今にして思えば、なんて幼稚な妄想だったことだろう。それでも、スズとの恋人関係を諦めてしまっていた当時のボクが、精いっぱいに考えた幸せの形ではあったのだ。
でも今は違う。
ボクらは正面から向き合い、愛し合い、こうして聖なる夜を迎えている。
そして、幸せな時間はまだまだ続く。この後は一緒に映画を観ながら料理を食べ、プレゼント交換をし、その後は――。
「……」
コンロの前に立ち、フライドポテトを揚げるエプロン姿のスズの背中を見て、ボクはゴクリと生唾を飲み込んだ。
料理のために髪をアップにしたスズの、白いうなじが見える。普段は長い黒髪に隠れて見えないその場所が、とても魅力的で、艶やかに思えた。
――今夜。今夜こそは、ボクがスズを抱く。
そのための準備は整えてきた。
スズも当然、いわゆる『性の六時間』をボクと過ごしてくれるつもりでいるだろう。だが今日は、彼女の思惑の逆を行く。
いつもボクがされているように、いや、それ以上の快楽をボクの手でスズに与えてやる。
なんていうと大仰だけれど、要するに、ボクの手で大好きな人を気持ちよくしてあげたくなったのだ。マリちゃんのタチ化報告に触発されたわけじゃないけれど、ボクだってたまにはスズにご奉仕したい。そう、SとはサービスのSなのだ。
それこそがボクの真のクリスマスプレゼントである。
クリスマス。ボクにとっての大勝負が、静かに始まろうとしていた。




