文化祭その八 〜真・メイド喫茶〜
「わたしね、しょうらいはマオのおヨメさんになる〜」
なんて、幼稚園児の戯言を真に受けたわけじゃない。
けれどこの十年間。その言葉を意識しない日はなかった。
茉莉也にふさわしい相手になるために。茉莉也を守ってあげられるような強さを身につけるために。
ガキだったオレの頭に思いついたのは、アクション映画に出てくるような、強い男の真似をすることだけだった。
結局のところ、どれだけ男らしさを意識したところで、生来女であるオレ――谷頭真魚が身につけられたものは、雑な男口調とボーイッシュなファッション。それから無駄に有り余る体力だけだった。
いや、もう一つあるにはある。仮面をかぶって違う自分に成ろうとした努力は、確かな演技力を産んだ。あのむくつけき姉君が、運動部に入ろうとしたオレを無理やり映研にブチ込んだのは、オレのそういう性能を見抜いていたからに違いない。
一方茉莉也のほうは、幼少期の約束なんてすっかり忘れちまったらしく、オレの知らないところで上級生の彼女を作っていた。
まあ、それはいい。茉莉也さえ幸せならいい。そんなふうに自分を納得させようとしていた。気づけば茉莉也はその先輩と過ごす時間が多くなり、オレとの時間はどんどんなくなっていったけれど、それも仕方ないと無理やり自分を抑え込んだ。
でもその先輩が二股していることを噂で知ったときは、居ても立ってもいられなかった。
よく確かめもせず喧嘩を売りに行き、二股相手の方に盛大に誤爆したのが、ついこの間のことだ。
それからのオレは……結局、中途半端な立ち位置にいる。
茉莉也はまた友達としてオレとの時間も大事にしてくれるようになったけれど、それだけだ。
言うべきことは茉莉也にも先輩にも言えていない。そもそも言うべきかどうかもわからない。
だって、茉莉也は今十分幸せそうだから。
結局のところオレに、あの三人に介入してどうこうする力なんかないんだ。
先輩たちが茉莉也を幸せにしてくれるなら、オレの気持ちなんか必要ない。
オレはただ、幼馴染の親友として見守ってやればいい。
それだけで十分なはずだ。
――はず、だったのに。
「楽しいね、真魚」
「お、おう」
オレはなんで茉莉也と一緒に文化祭をまわっているんだろうか。
いや嬉しい。嬉しいよ? でもなんで?
クラスと部活の店番両方やるから文化祭を遊べる時間は限られてるじゃん。
先輩たちと遊ばなくていいの? そんな貴重な時間をオレに使っちゃうの? なんで? どーして!?
どうせオレなんか要らないんだから、今更期待を持たせるようなことしないでおくれよ。
……などと口走ろうものなら即座に天罰が降りそうな幸運に、なすすべもなく、流されるしかない。
「『悪徳ご主人様からの脱出』面白かったねえ。メイド系出し物で一番凝ってたかも」
「ああ、うちが『メイド縁日』とか言う意味わからん出し物してるのが恥ずかしくなるくらいにな……」
「えー、いいじゃん。縁日も楽しいよ」
隣を歩く茉莉也は、ニコニコと天使のような笑顔を浮かべていて、本当に楽しそうだ。
きっとオレがどんな今気持ちで隣を歩いてるかなんて、微塵もわからないだろう。
この状況を素直に喜べないオレもオレだけどさ。
「それじゃ、いよいよ今日の本命だね」
「あーあ。来ちまった……」
辿り着いたのは三年D組の教室。ウチの学校は三年生だけ人数が多くて四クラスあるのだ。
来年には消滅してしまう『D』という称号を掲げたこのクラスこそは、メイド過多の中で唯一、正当なメイド喫茶の権利を勝ち取ったクラスである。
なお、入るのに気が進まない理由は、ここがオレの姉の所属するクラスであるためだ。
「お疲れ様で〜す」
扉を開けると、おおよそメイド喫茶とは思えないご挨拶でメイドたちが出迎えてくれた。
お客として中にいるのも、様々なクラスのメイドたち。
制服を着ている生徒や他校の生徒は一人もいなかった。異様な空間だ。
「お疲れ様で〜す」
状況が理解できていないオレの横で、茉莉也は中に入るなり元気な挨拶を返した。順応早すぎないか。
「いや、なんで『お疲れ様です』なんだよ。普通『お帰りなさいませ』とか言われるんだろ」
「何を言っているの真魚。ここにお嬢様はいないでしょう」
答えたのは、上等なクラシカルロングのメイド衣装に身を包んだオレの姉、谷頭由比。
メイド長の如き貫禄で、彼女はオレたちの真正面に堂々と仁王立ちしていた。
「ここはメイド喫茶。即ちメイドが喫茶する場所。ここに来たメイドは等しく、お給仕から解放された束の間の時間に、疲れをお茶とお菓子で癒すのよ」
なんだかよくわからんけど、要するにメイドが多いことを逆手に取った、メイドのための喫茶店ということらしい。
オレたちもまた、クラスの衣装そのままでやってきた和風メイド。お嬢様ではなく同業者として扱われる、ということらしい。
「さ、というわけでお席に案内するわ。ご同業の皆さん」
「はーい」
上機嫌で姉のあとに続く茉莉也。最初からコンセプトを理解していたんだろうか。なんか釈然としない。
要するにあれだよな。一般的なメイド喫茶のサービスは受けられないと言うことだよなこれ。くそう、せっかく来たんだからこの傲慢なる姉上に美味しくなる呪文とか言わせるつもりだったのに。
そしてオレたちは窓際の二人席に案内された。
「はい、メイド用メニューよ」
メイド長もとい姉から渡されたメニューを開く。
そこには「メイドビュッフェ 1500円」とだけ書かれていた。
「いやメイドビュッフェってなんだよ」
「そのまんまの意味よ」
姉は教室の端に作られた大きなテーブルを指差す。
そこにはサンドイッチのような軽食から洋菓子まで充実したメニューがずらりと並べられていた。
紅茶だけでなくコーヒー、オレンジジュースまである。
執事喫茶は紅茶一種類とケーキ二種類しかなかったらしいのに。三年生ともなると予算も多いんだろうか。
いや、よく見るとこの店、店員の数が極端に少ない。姉と同じメイド服はほかに二人だけだ。席について接客をしなくていいし、食べ物もセルフサービスだからホールの人数を減らして衣装代を節約しているのか。
やってること滅茶苦茶なのになんだか合理的に感じてしまう。姉らしいやり口だ。
それにしても千五百円か。あれだけ充実したビュッフェなら仕方ないけど、文化祭の出し物にしては少し割高だなあ。
とはいえここまできて何も注文せず出て行くわけにもいかない。昼飯も食ってないしちょうどいいや。
「しょうがない、茉莉也。いっぱい食って元取ろうぜ」
「だね。どれも美味しそう」
オレたちはメイドビュッフェを二つ注文し、席を立った。
トレーに紙皿を置いて、改めて並べられた品々を眺める。
二種類のサンドイッチやシーザーサラダ、唐揚げやフライドポテトにたこ焼きまである。喫茶店っていうよりカラオケのフードメニューって感じだなこれ。
お菓子はミニケーキが三種類ほど。あとはベビーカステラ、市販品のゼリーにプリン。この文化祭の食はここだけで完結しそうだ。
思い思いの料理をとり、自分たちの席に戻る。昼飯のつもりで取ったのでオレのトレーは軽食中心の茶色いラインナップ。
一方茉莉也のトレーはスイーツバイキングばりにお菓子が並べられていた。
「真魚、揚げ物ばっかりだと太るよ?」
「今のおめーにだけは言われたくねえよ」
砂糖と油、どっちが太りやすいんだろうな、この場合。
「ん〜美味しい」
茉莉也はケーキを一口食べて、落ちそうになった頬を抑える。愛らしい笑顔は小動物のようだ。
ほんと、うまそうに食うよなこいつ。見ているだけでこっちの幸せメーターも溜まっていく感じがする。
「真魚、食べないの?」
「あぁ、食うよ。食う」
いかんいかん。思わず見惚れてしまってた。
オレは誤魔化すように四角く切られたハムサンドにかじりつく。
そうして二人で食事を進めていると、ガラガラと教室の扉が開いた。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
姉の澄んだ声が響く。
「へ?」と教室入口へと目を向けると、制服姿の桂樹先輩がちょっと戸惑った様子で入ってきた。
ガタガタ、と、他のテーブルに座っていたメイドたちが一斉に立ち上がる。何故か、茉莉也まで。
「え、何?」
「真魚、メニューちゃんと読んでないの?」
茉莉也がメイド用メニューを開いて、突きつけてきた。
ええと、なになに?「食事中に『お嬢様』『お坊ちゃま』『旦那様』『奥様』『その他メイド服を着用されていない方』が入店された場合、接客を手伝ってくださったメイドは500円引き」って……えぇ~?
そんなんアリかよ、と思いつつオレも慌てて立ち上がった。通りでちょっとお高めの値段設定だったわけだ。割引前提かよ。
「お席へご案内しますお嬢様」
「お荷物をお預かりしますお嬢様」
「肩をお揉みしますお嬢様」
「え、ええ? ええ~っ?」
桂樹先輩はワタワタしながら、バラエティー豊かなメイドたち(本来客のハズだろ)に囲まれておもてなしされている。
客を働かせて人件費を節約し、さらに割引で客の満足度も上げる。恐ろしい……。合理性の塊だ。
こんなん絶対姉が発案者だろ。
そう思ってメイド長の方に目を向けると、ああやっぱり『してやったり』の顔。
ホント、末恐ろしい姉だ。
状況に圧倒されっぱなしの桂樹先輩に、茉莉也と一緒にメニューを渡して注文を受けた。これだけでオレたちのお会計もそれぞれ五百円引きとなった。
『メイド用』ではない一般客用のメニューはメイドビュッフェとは完全に分けられており、オムライスなどメイド喫茶らしいラインナップが並ぶ他、チェキなど一般的なメイド喫茶サービスが受けられるらしい。
そしてオムライスを注文した桂樹先輩は、寄ってたかって唱えられる「おいしくなる呪文」の波状攻撃を受けて混乱の極みに達している。
何だろうこの状況。お嬢様一人に対してメイドが多すぎる。
……こいつら全員五百円引きとなるわけだが、ホントに採算取れてるんだろうか?
疑問に思いつつ、オレたちはこの愉快な、そして姉の掌の上で転がされているだけのメイド喫茶を楽しむのであった。




