文化祭その四 ~校庭屋台村からの校舎裏~
「……いるし」
何故だか行く先々に瑞樹がいる。待ち伏せでもされているんだろうか。
とはいえこちらに気づいている様子はない。彼女は楽しそうな顔で、後輩にいちご飴を奢ってあげているみたいだ。あれで面倒見のいい人物ではある。
気付かれる前に退散退散。なるべく遠くの屋台を目指そう。
それにしても、見渡す限りのメイドだ。クラス単位の出し物の七割がメイドだとは聞いていたけれど、これではまるでメイド養成校。他校の生徒も遊びに来ているはずなのに学生服の割合が半分にも満たない。時折混ざる執事服は清美さんと同じクラスの子だろうか。
メイドたちに混じって奥の方の屋台へと歩いていると、三人組のメイドに声をかけられた。
「ねーねー、お姉さん。カッコイイですね! お一人ですか?」
「お姉さん、どこの学校? それとも誰かのご家族とか?」
「良かったら私たちと一緒に回りませんか~?」
三人はキャッキャッと私を取り囲むようにして、キラキラした視線を向けてくる。
彼女たちに悪気がないのはわかる。純粋な興味と、文化祭という非日常の高揚感がそうさせているのだろう。
丁度一人で退屈していたし、少し話すくらいなら問題ないだろう。私は条件反射で、外向けの人好きのする笑みを浮かべていた。
「知り合いと合流するまでの間なら、構わないよ」
「「「やった~!」」」
と、三人は顔を見合わせ、声をそろえてはしゃぐ。
仲の良い子たちだなあ~なんて、呑気に考えていたその時だった。
不意に右腕がググっと、千切れんばかりの力で引っ張られた。
「ごめんなさ~い。この人、私のツレなの」
「ちょ、瑞樹!?」
「さ~、行きましょうねリヒトく~ん」
瑞樹はわざとらしく甘い声を出して、有無を言わさず私の腕をグングン引っ張っていく。
「ちぇ~っ」と、三人組の残念そうな顔が、あっという間に人ごみの中に遠ざかり、消えていった。
「あんたねえ! いい加減にしなさいよ!」
人気のない校舎裏に連れ込まれるや否や、瑞樹のさっきまでの作り笑いは一転、鬼の形相へと変貌した。
「人のコトをさんざんビッチだなんだ言っておいて、自分こそ軽率なナンパに引っかかってんじゃないのよ!」
「ビッチとまでは言ってないし、別にナンパされたつもりはないんだけど……」
「うるせぇ! 修正してやる!」「うわっ」
瑞樹は私の胸ぐらを掴んで、いきなり殴りかかってきた。反射的に首を逸らしてその拳を躱す。
どうして瑞樹がここまで怒りを見せているのか、私は未だに理解できないでいた。
「別にあの子たち、そういうつもりで私に近づいてきたわけじゃないだろ。ただの学生のノリで――」
「そういう所よ! 大概にせえよこのボケ! 自分の好きな人が、ヘラヘラ笑って知らん女侍らせてるの見たら、誰だって嫌な気分になるでしょうが!」
「なに? キミ、まだ私のことを……」
「違うわボケ! あの子に見られたらとか考えてねぇのかよ!」
「うわ、危なっ」
私は慌てて瑞樹の二発目の拳を手のひらで受け止める。右手にじいんと痺れるような痛みが広がった。本気だ。
「アンタのそういう所に私がどれだけ嫉妬したか! 知らないでしょう!」
顔を殴るのを諦めたのか、瑞樹は代わりに私にしがみつくようにしながら、胸をノックするように強く、何度も叩いた。
ドン、ドン、という鈍い音が、私の心臓に直接響く。
「アンタが誰にでも優しくて、知らん女にいい顔してるの見てたら腹立つのよ! 『友達だから』って言って、私の知らないグループで出かけて、知らん女どもとオールして朝帰りとか……マジで発狂しそうだったんだから!」
「で、でもそれは普通に大学の友達とで――やましいことは何も――」
「恋愛と友情をきっちり切り分けられるのはいいことだと思ってた! でもそんなん、私からしたら関係なかった! ずっと嫌だった! しまいにゃ本当に愛されてるのか不安になった! 私の貞操観念云々言う前に、自分がもっと恋人の立場に立って考えることを覚えろよこのドアホ!」
叫ぶ瑞樹の瞳には――涙が浮かんでいた。
知らなかった。彼女がずっと、そんな風に思っていたなんて。
知らなかった。私が「公明正大」だと信じて大事にしていた友情が、一番大切な彼女を傷つけ、孤独に追いやっていたなんて。
知らなかった。一方的に別れを告げられたと思っていた原因が、完膚なきまでに自分の配慮のなさだったなんて。
ショックで全身の力が抜けるとはこのことだろうか。私は今、膝から崩れ落ちないように立っているだけで精いっぱいだった。
「ご、ごめ――」
「謝るな! このクソボケが!」
瑞樹はもう一度、私の胸を拳で強く打った。胸の痛みが物理的なものなのか精神的なものなのか、もうわからなくなる。
「新しい恋人に私と同じ思いさせたら、ぶち殺すからね本当に」
そう吐き捨てて、瑞樹は私の体をドンと突き飛ばした。
「それだけ。……いつか言ってやろうと思ってたのよ。いい機会だったわ」
そうして背を向け、去ろうとする瑞樹の背中に向けて、私は――。
「ごめん……」
――ただ、情けなく謝ることしかできなかった。
「ああもう! 謝んなっつってんでしょうが! もういい、今ここで殺す」
「へぇ!?」
まって今のはそういう流れじゃなくないか!?
「死ぃいいいいいいねぇええええええええ!」
涙目のまま突進してきた瑞樹が、大きく拳を振りかぶる。ダメだ、今度こそは避けられない。
私にできることは、目を閉じて身をすくませることだけだった。
「――?」
だが、覚悟していた衝撃は来なかった。
恐る恐る目を開けると、瑞樹の拳は私の顔数センチ手前でぴたりと止まっていた。
「ていっ」「あだっ」
直後、おでこに鋭い痛みが走り、私は思わず体をのけぞらせる。拳ではなく、強烈なデコピンが私の額を襲ったのだ。
「バ~カ。どんな理由があれ、浮気しまくってた私の方がクソなんだから、あんたが謝る必要なんかないのよ」
「で、でもその原因を作ったのは私だったってことだろう」
「後輩に言われたわ。『試し行為する暇があったらちゃんと会話すればよかったのに』って」
瑞樹は自嘲するような、けれどどこか憑き物が落ちたような笑みを浮かべた。
「というわけで、元恋人からのアドバイスでした。以上終わり。バイバイ」
瑞樹は踵を返し、手をひらひらと振りながら屋台の方へ戻っていく。
このまま別れてしまえば、もう二度と、こんな風に話すことはないかもしれない。
「ま、待って瑞樹」
私は思わずその背中を呼び止める。
「……何?」
瑞樹は首だけで振り返る。
「その……ハクは元気?」
意表をつかれたように、瑞樹はしばらく口をぽかんと開けた。
数秒そうした後、小さく、優しくため息をついて、言った。
「元気よ。私の顔を見たら威嚇するようになっちゃったけどね。そっちこそ、クロエは大事にしてるんでしょうね」
「うん。元気だよ。餌の食いつきが良すぎるから、与えすぎないようにするのに苦労してる」
クロエとハク。私たちが付き合っていたころ、いっしょに飼育を始めたベタの名前だ。
ハクは私が選び、クロエは瑞樹が選んだ。
その頃は、互いの分身のような存在だと思っていたけれど、今はただの、それぞれの家で生きる大事なペットだ。
「そう。良かった、それじゃ」
「……うん。それじゃ、また学校で、朝霞さん」
「はぁ!?」
瑞樹は完全にこちらに向き直って、心底呆れたような表情で私を見た。
「どうせ会うだろう。ドイツ語履修してるんだから」
「……そうね。そうだったわ」
瑞樹はふっと笑い、再び踵を返した。
そして、もう一度だけ首だけでこちらを振り返った。
「またね、長谷川さん」
そう言い残して、今度こそ彼女は私の前から去っていった。




