調子に乗って一線を超えすぎちゃったときの対処法
チャイムを鳴らすと、スズちゃんがすぐに出てきた。
「ネコ! 待ってたわよ~。ほら、入って入って」
なんだろう、今日のスズちゃんは普段よりテンション三割増しだ。
ウッキウキで私の手を引いて、リビングに案内する。
「見てよネコ! 私、ついにやったわ!」
スズちゃんは得意げに台所を指さした。
普段は炊飯器かケトルしか使われることにないその場所はきれいに整頓されていた。流し台にはまな板や包丁、三角コーナーには野菜のきれっぱしが捨てられている。そして、コンロの五徳の上には蓋がされた雪平鍋が一つ。
「なんと、初料理! お味噌汁を作りました!」
と、スズちゃんは腕を組んでどや顔で宣言した。
「ええっ!? ホントに!?」
そう言われて、初めて気が付いた。スズちゃんははいつもの私服――オフホワイトのフリルブラウスと、ベージュのフレアスカートの上に、真っ白なエプロンを付けている。
そういえば……と思い出す。14回目の告白失敗のあの日、スズちゃんはレシピ本を買っていて、料理をしたいと言っていた。
その時は、家にまともな調味料がなく、キッチンも使われておらず埃がたまっており、鍋なども古かったので、しばらく保留にされていたのだ。
「今日は掃除やら買い出しで忙しかったから、それ一品だけだけどね。はじめてにしては上出来だと思うわよ~。ほら、おかず頂戴、ネコ。すぐ支度するから座って待ってて」
スズちゃんはボクから袋を受け取ると、すぐさま食卓の準備を始めた。
鼻歌を歌いながらタッパーからお皿に今日のおかずを盛り付ける。
今日は豚バラと茄子の甘辛炒め、筑前煮とほうれん草のお浸し。レタスとミニトマトのサラダ。
そこに、スズちゃん渾身の一品、大根のお味噌汁が加わった。
「ほら、食べて。感想聞かせて」
「……うん」
スズちゃんはまるで小さな子供みたいにニコニコしながら、ボクがお椀を手に取るのを見守っていた。
味噌のいい香り。大根は短冊切りでキレイに切りそろえられている。
一口すすると、味噌のコクとうまみ。大根の甘みが口の中いっぱいに広がってくる。
「……美味しい」
「ホント!? 良かった~。やっぱレシピ通りに作るのが最強だわ~!」
スズちゃんが今まで見たことないくらいはしゃいでいる。
「ホントにおいしい。初めてとは思えないよ」
「でしょう? ほんだしの力は借りたけど、我ながらナイス出来栄えだと思うわけよ」
ボクの反応に満足したのか、スズちゃんは自分も一口味噌汁を啜る。
「うん……うまくいってよかった。やっぱり初めてはあんたに食べてほしいなって思ってたから」
「そうなの? 茉莉也ちゃんじゃなくて?」
「そりゃあ、いつかはサプライズで作ってあげるつもりだけどね~」
ボクの質問に、スズちゃんはニヤケながら答える。
「だって、この家を出るまでは一緒に晩御飯食べるんだから。それまで一番食べてもらう人にちゃんと味を認めてもらわないと」
その言葉に、ボクは自分の頬の力が抜けていく感じる。
ボクはてっきり、スズちゃんは自分のためにご飯を作れるようになりたいんだと思っていた。
それだけじゃなかったんだ。自炊できるようになったからって一人で食べるつもりなんかなくて、最初からボクの分も一緒に作ってくれるつもりで……。
「親同士の決め事だからって、私はちゃんと感謝してんのよ。おばさまにも、あんたにも……。これからは、ちょっとずつ返していくからね」
スズちゃんはお椀を置いて、ボクにまっすぐな視線を向ける。
「私なんかといつも一緒にごはんを食べてくれて、ありがとう」
そう言って、微笑むスズちゃんは――とても、綺麗だった。
「あんたは最近なんだか元気なかったみたいだけど、これでちょっとは――って、どうしたのよ、ネコ」
「あ、あれ……」
気づいたら、ボクはボロボロと目から涙を零していた。
「ちょっと、大丈夫? 実はおいしくなかった……?」
「そうじゃないよ……ちゃんと美味しい……。ただ、嬉しくて……ボク……ボクも、一緒にご飯食べれて嬉しいから……」
泣きながらご飯を食べ始める僕を、スズちゃんはしばらく不思議そうな顔をして眺めていたが、やがて柔らかな笑みを浮かべて、自分も続きを食べ始めた。
―――
いつものように食器を片付けた後、いつものようにソファに並んでテレビを観る。
いつものこと――でも、なんだか久しぶりな感じだ。
さっきはスズちゃんに思わぬ不意打ちを食らったけれど、今度はボクのターンだ。
やっぱり、ボクはスズちゃんのああいう所が大好きなんだ。
だから今日はやっぱり行くところまで行こうと思う。
「スズちゃん、今日、泊っていい?」
「えっ――と、いい……けど」
ボクの言葉に、スズちゃんは目をパチパチさせる。
「泊まる、だけ……よね……?」
首をかしげるスズちゃんに、ボクはぐい、と体を寄せる。
「今『いい』って言ったよ……?」
「ちょっと……近いんだけど……」
スズちゃんのおでこに、こつん、と自分のおでこを合わせる。
「だってさ、スズちゃん……付き合う二日前までしてたのに、恋人ができたからって急に手も触れられなくなったらボク……寂しいよ?」
「それは……でも倫理的にアウトだし……」
顔をそらして逃げようとするスズちゃんを、強引に抱き留める。
「未成年でしてたのがそもそも倫理的にアウトじゃん。恋人でもないのに」
「そ、そうかもだけど」
最悪もっと強く抵抗されて拒否されるかも……と思ってたけど、予想に反してスズちゃんは顔を赤らめて目をそらすだけだ。その気になればスズちゃんの方が力があるはずなんだけど。
まるで付き合ったとき、初めてキスしようとした時みたい。幸せだったあの時の記憶がよぎる。
正直ダメ元だったけど、これ、いけるのでは?
「だって、告白された時、ボクに何も言ってくれなかったじゃん……スズちゃん……。親友なのに……。知らない人と二人で先に進んで……ボクのこと置いて行っちゃうなんてヤダよ……」
そんなふうに囁いてみる。スズちゃんの腕にこもる力が弱くなっていく。
ちょっとずるいかなと思いつつ、もう一押しいく。くっつけていたおでこを離して、瞳を潤ませる。
「それとも、ボクのことはもういらない……?」
スズちゃんを誘惑するための演技――でもないな、これはボクが心の底で本気で怖がっていたことだ。
おかげで効果はてきめんみたいだけど。
「~~~~っ」
葛藤しているのか、スズちゃんは目を閉じて唸っていたが、やがて意を決したかのように抵抗をやめた。
ばたり、とソファの上に寝っ転がり、ボクがその上に覆いかぶさる。いつもの逆だ。
「わかったわよ……正直言うと可愛い後輩に告白されて浮かれて……あんたと今まで関係持ってたのををうやむやにしようとしてた……。あんたを傷つけるつもりはなかったの……。してあげるけど、流石にちょっとルールは変えさせて。今日からはキスなし。私の体に痕をつけるのもナシ」
びっくりするくらいあっさりと、スズちゃんはボクを受け入れてくれた。
「うん……。へへ、ありがと……。」
「はあ……ほんっとに内緒にしててよ」
言いながら、スズちゃんはボクの体を抱き寄せた。
―――
終わった後、ボクらはソファに座りこんだまま、お互いの体を寄せ合っていた。
「はぁ……流石に罪悪感が……」
「大丈夫だってば。バレなきゃいいんだから」
片手で額を抑えるスズちゃんの肩に、ボクは頭をちょこんと乗せる。
「ボクはちょっと背徳感があってよかったよ。初めての時みたいにドキドキしちゃった」
「エロネコ……。誰があんたをこんな風にしちゃったのかしら」
「そりゃ一人しかいないでしょ」
はあ、とスズちゃんは深くため息をつく。
「……あんたも早く恋人作りなさいよね」
「……恋人かあ……」
のんちゃん、ごめん。せっかくアドバイスくれたけど、本当は言われた通りじっくり行くつもりだったんだけど……
やっぱり、我慢できないや。
「ボクは、スズちゃんが好きだよ」
「……っ」
スズちゃんは見る見るうちに真っ赤に染まっていく顔を、勢いよくそらした。
「アホ、バカ、なんで今言うの……?」
我ながらタイミング最悪だよね。わかってる。でも……。
「ごめん。今日のスズちゃん見てたら、やっぱり誰にも渡したくなくなった」
「私、恋人いるのよ……」
「知ってる。だから、返事はしなくていいよ。となりじゃなくても、近くにいさせてくれたらそれでいいからさ」
「あんたはもう私のこと、恋愛対象として見てくれないと思ってたのに……だから……」
「そうだね」
と、ボクはスズちゃんの肩を抱き寄せる。
「あの時はケンカするのとか、お母さんにバレるのとか色々と怖くて、ひどい振り方しちゃった。本当はずっと後悔してた」
「ばか……アホのエロネコ」
「うん。馬鹿でごめんね」
「……最悪だわ……もう……」
スズちゃんはもう一度大きくため息をついて、両手で顔を覆った。
「ちょっと、今の私の正直な気持ちを一旦言うから聞いてもらっていい? ドン引きしてくれていいから」
「うん。なあに?」
五秒の沈黙。そして。
「……とりあえず……その……今はなんていうか……ええと。うん。いったんキープでいい……?」
「ぶっは」
あまりにも最低すぎて噴き出してしまった。
「あっははは! スズちゃんマジで言ってる?」
「違うのよ……私の中でのあんたの存在が大きすぎて……もしここで断ってあんたが離れてったり疎遠になったりしたら私多分心に穴が開いて死ぬのよ……そういう意味ではアンタのこと愛してるんだと思う。それがちょっと恋愛的なものなのか、友愛なのか、今の私の中ではごちゃごちゃしてて今もうよくわかんなくなってて」
「うん」
「でも、あんただってあの子の代わりにはならないって言うか……私、こんなことしちゃったけどあの子のことはちゃんと好きだから今決めるのはマジで無理って言うか」
言ってることはマジで最低だと思うけど、まあ……結構うれしかった。
「返事はいらないって言ったでしょ。今まで通り一緒に学校に通って、一緒にゴハン食べてさ、たまに性欲処理に付き合ってくれたらいいよ」
「最後のがなければ健全な友達関係なのに」
スズちゃんはがっくりと肩を落とす。
「ボクだってスズちゃんが離れたら死んじゃうからさ」
「じゃあなんで私のことフッたのよぉ……。それがなきゃずっとあんたと恋人だったわよぉ」
「スズちゃんが浮気したのが悪いよね。それで今度はボクに浮気しちゃったね」
「うわあああああ」
スズちゃんは耐えられなかったのか、ソファからごろごろ転がり堕ちていった。
「なんで!? こんな浮気性モブ顔女のどこが好きなのよ」
「スズちゃん自分の容姿を卑下するけど、顔はクラスの中でも上澄みでしょ」
「顔!? 顔なの!? そりゃパパとママの子だから本当は遺伝子には自信あるけど!」
スズちゃんは転がりながら足をバタバタさせる。
ギャグ漫画みたいなリアクションがシュールでなんだか面白い。
「あとは優しいところ。人に何か貰ったら貰った以上のものを必ず返そうとしてくれるところ。自分の欲望に忠実なのに時々変に他人に気を使って妙な空回りするのも面白くて好き」
「もういい、もういいから!」
相当恥ずかしかったらしく、スズちゃんは顔を真っ赤にしたまま立ち上がり、「お風呂、今日は先にお風呂入ってくるから」とそのままお風呂場に向かっていった。
ボクはスズちゃんの背中を見送ってから、ソファに体を横たえた。
「やったよ、のんちゃん」
まあ、のんちゃんはここまでになるのは想定してなかったと思うけど……。
本当はもっと早くこうすべきだったんだろうな。恋人ができちゃう前に。
茉莉也ちゃんには悪いことをしたと思ってる。でも、スズちゃんはキミの恋人のままでいることを選んだんだから、文句ないよね……? な~んて言ったら最悪殺されるかな。
もしバレたら……って考えると怖いけど、それよりも自分の気持ちをやっと伝えられたことの充足感があった。
その日のボクは、久しぶりにスズちゃんのベッドの上で寝た。久しぶりにいい気分だった。
一方スズちゃんは来客用の布団に繭のようにくるまっていた。
―――
次の日。ボクとスズちゃんはいつものように並んで登校する。
スズちゃんは……まあ……眠れなかったんだろうなあ。目の下にクマを作っていた。
「うぅ……私今日からどんな顔してあの子に会えばいいのよ」
「普通にしてなよ? 気づかれるよ?」
「バレたらあんたも一緒に死んでね……」
スズちゃんが光の消えた目をして言う。
「いいね。最高にLoveって感じ」
くだらない話をしているうちに、学校まであと数メートルのところにたどり着く。
誰かが校門横の塀の前で立っているのが見えた。人を待っているみたいだ。あれは――……
「あ、茉莉也ちゃん」
「嘘!?」
間違いない。茉莉也ちゃんだ。誰を待っているんだろう……と思っていたら、こちらに気づいて駆け寄ってきた。
「鈴音先輩! 桜木先輩! おはようございます」
彼女はボクらの前に立ち止まると、丁寧にお辞儀をした。
ボクはその時に初めて彼女の顔を認識した。
一緒に晩御飯を食べたときは自分を取り繕うのに精いっぱいで、顔を覚える余裕なんてなかったからだ。
童顔で、くりっとした目の少女は、あどけない笑みを浮かべて、ショートヘアの髪を風に揺らしている。
「お、おはよう。茉莉也」
どもるなスズちゃん。コイツもしかして隠し事向いてないのか? と若干不安になりながら、間が開かないようボクも挨拶を返す。
「おはよう、茉莉也ちゃん。スズを待ってたの?」
「いえ、私、桜木先輩を待っていました」
「ボク?」
「ハイ!」
そう言って、彼女はボクの正面に立つ。
一転、真剣な瞳で僕を見つめてきた。
「桜木先輩。私、貴女には負けませんから!」
「!?」
「へぇ……」
その一言に、思わず顔に笑みが浮かんできた。
「それでは、失礼します! 鈴音先輩、また放課後!」
お辞儀して、彼女は校門の中に走って消えていった。
「ね、ネコ……今の、今の何……?」
「さあ……? ボク、ライバル宣言されちゃったのかな」
「ええっ……もうバレたの!? バレる要素あったの!?」
「なかったと思うよ。昨日のはね……」
あるいは、女のカン的なものが働いたのかもしれない。
彼女なりに何か思う所があったんだろう。
それはそれとして、勝っているはずの彼女にライバル宣言されたのは素直にうれしい。
「わ、私の学園生活……どうなっちゃうの……?」
スズちゃんは動揺しっぱなしだ。三行半突きつけられたわけじゃないんだから堂々としていればいいのに。
「さあね~。なるようにしかならないよ」
ボクはスズちゃんの背中を押しながら校舎へと向かう。
これからは、思っていたよりずっと、楽しいことになりそうだ。




