文化祭その三 ~映画研究部発表上映『鏡の中』~
「まったく、大学生にもなって高校生に叱られることになるなんてね」
「キミのせいだろう。いや、あんなところで説教を始めてしまった私の非も認めるが」
私こと長谷川理人と、かつての恋人、朝霞瑞樹は、文化祭の客として訪れた高校の廊下を、逃げるように少し速足で歩いていた。
先ほどの執事喫茶での一件。現役高校生たち(特にあの天使のような顔をした一年生)に諭され、私たちはすごすごと退散することになったのだ。
「だいたい君がややこしいフり方をするから悪いんだよ」
「あなたがいつまでも未練たらしかったからでしょう。ろくすっぽ話をしなかった私も非も認めてあげますけど」
「それにしては偉そうだなキミは」
「すみませんねえ! こういう性分なの」
肩を怒らせながら、瑞樹は私の少し前を歩く。その背中は相変わらず自由奔放で、私の神経を逆なでするのお上手だ。
「というか、どうしてついてくるの」
不意に瑞樹は立ち止まって、振り返っては私を睨み付ける。
「べつに。この先で待ち合わせているだけだよ」
「ああそう。私もこの先で吹部の後輩と約束があるんです」
「そうかい。じゃあお先に」
立ち止まった瑞樹を追い抜いて、私は先へ歩を進める。
もう関わることもないだろう。そう思って通り過ぎた瞬間だった。
「ちょっと、待ちなさいよ」
早足で歩く私を、今度は瑞樹が追いかけてくる形となった。
「なんだよ、私に用はないんだろ」
「ないけど。……貴方、待ち合わせってさっきの子でしょ?」
「そうだけど、何」
「ちゃんとその気、あるんでしょうね」
「……どういう意味だよ」
今度は私が立ち止まる番だった。
振り返ると、瑞樹は真剣な眼差しでこちらを見据えていた。先ほどまでのふざけた態度は消え失せている。
「そのまんまの意味よ。『まだ付き合ってない』って、どういうこと?」
「そのまんまの意味だよ。私たちはまだそういう関係じゃない」
「はぁ? 何、私にフラれて怖くでもなった?」
「何が、言いたいんだよ」
瑞樹の挑発的な言葉に、苛立ちよりも先に図星を突かれたような居心地の悪さを覚える。
「待ってると思うわよ、あの子」
どきり、と心臓が嫌な音を立てた。
「君に、なにがわかるんだよ。……あの子はまだ同性同士の恋愛に迷ってる。慎重になるくらいでちょうどいいんだ」
「だっさ。意気地なし。やっぱお前顔だけだな」
「キミねえ……さっきの続きがしたいの?」
「してやろうじゃないのこの唐変木。私を落とすのに必死だったあの時のバイタリティはどこへやったのよ」
「はぁ!? 誰が――」
「私のことノンケだと思ってたでしょ、あの時」
「――ッ」
言い返す言葉が、喉元で詰まった。
確かに、あの時の私は瑞樹がストレートだと思っていて――それでもどうしても諦めきれずに必死にアプローチしていた。今の慎重な私とは、まるで別人のように。
「ねえ、リヒトくん。私はね、あの日水族館で楽しそうに会話しているあなた達を見て、『ああ、この二人なら大丈夫だな』って安心してたのよ。それが何? のんびり悠長に華の女子高生の青春を浪費させてる訳?」
「私は別に、そんなつもりは……」
「うっさい」
びし、と瑞樹は私の胸を人差し指で差した。鋭い爪先が、私の優柔不断な心を突き刺すようだ。
「あんなかわいい子を失望させたら許さないからね」
そう捨て台詞を残して、瑞樹はそのまま踵を返し、早足で歩き去っていった。
人混みの中に消えていくその後ろ姿を、私はしばらくその場で見送ることしかできなかった。
別に、待たせているつもりはない。思わせぶりな態度でキープしているつもりも、もちろんない。
大切だからこそ、慎重になっているだけだ。
けれど――瑞樹の言う通り、それが私の「臆病さ」の言い訳になっているとしたら?
ポケットの中のスマートフォンが震えた。
メッセージアプリの通知だ。画面には『野々宮清美』の文字と、『もうちょっとで着きます』というメッセージ。
私は小さく深呼吸をして、喧騒の中へと足を踏み出した。
―――
「……いるし」
清美さんとの待ち合わせ場所である視聴覚室の近くまで辿り着くと、瑞樹もまた教室前で吹奏楽部の後輩たちに囲まれて談笑していた。
彼女は私を一瞥すると、もうこちらには興味はないとばかりに後輩たちを促し、一緒に視聴覚室に入って行った。
「リトっちお待たせ〜」
そのまま外で待っていると、やがて執事服のままの清美さんがやってくる。
今日一日はこの格好で過ごすらしい。普段の愛らしい私服姿もいいが、この少し背伸びしたような男装も、彼女の快活なキャラクターによく似合っている。
「やあ、ごめんね。さっきは騒がしくしてしまって」
「いやあちょっと意外でしたわ。リトっちってあんな風に喧嘩するんすねえ」
やっぱりちょっと印象が悪かっただろうか。清美さんは苦笑していた。
「お恥ずかしい。もし清美さんに手を出されたらと思ったら、気が気じゃなくて」
瑞樹には『そうじゃない』なんて言ったけれど、あの時の私の本心はこっちが八割近くを占めていた。まだ交際してもいない相手に独占欲が芽生えている事実を、必死に隠そうとしている自分がいた。
「あは。嬉しいけど、自分の身くらいは自分で守れますよ」
「そうはいかない。私の方が年上なんだから、ちゃんと守るよ」
守りたいのは年上だからか?
今更そんな自問自答をしている時点で、瑞樹の言う通り、やっぱり私は臆病になっているのかもしれない。傷つくのも、傷つけるのも怖いから、「守る」という大義名分を盾にしているだけなんじゃないか。
「あ、てかあの人いるじゃないですか。時間変えます?」
空いていた扉から視聴覚室の中を覗いた清美さんが、どうやら瑞樹のことを見つけてしまったらしい。あいつめ、後輩と一緒に最前列を陣取っている。
「構わないよ。向こうももう、突っかかって来たりはしないだろう」
何より、今この場を離れて、あいつから逃げ出すみたいになるのが嫌だった。
私は視聴覚室に入り、清美さんと共に少し後ろ寄りの中央の席を確保する。
「この映画、あーしの友達が作ったんすよ、ほら、さっき会った三人。まあ下級生の子は友達の友達っすけど」
「あの三人、映画研究部なんだ」
執事喫茶で出会った(というか諭された)三人を思い出す。
黒髪ロングの美人さんと、ショートヘアのボクっ子と、天使のような笑顔の一年生。
最初は言い争っていたみたいだけど、あっという間に収まってこちらの仲裁に動いてくれた。清美さんがいい友人関係に恵まれていることがよくわかる。
「正確には部員はネコっちだけで、あとの二人は助っ人……あ~ネコっちっていうのは、あの人懐っこい感じのショートヘアの子で、黒髪ロングの子がスズっち。後輩の子は茉莉也ちゃんっす」
「ふむ……」
脳内で顔と名前を一致させる。
そういえばあっちはあっちで浮気とかなんとか騒いでいた気がするけど、一体どういう関係なんだろう。友達同士のじゃれ合いなのか、それとも――。
――などと、他人の事情など考えても仕方ない。
私がいま注力すべきは隣の彼女、清美さんとどうなりたいか、だ。
「あいつら、珍しく今回の文化祭張り切ってたみたいで。毎日頑張ってたんですよ。ダチとしてはその成果を見届けてやらんとなぁって」
清美さんははにかむような笑顔を見せる。友達のことを誇らしげに思っているようで、なんだかこっちの胸まで温かくなってくる。
「それは楽しみだね。すごい出来になっていそうだ」
「やーまあ、言うて高校生が作ったやつなんで、そんな本格的な感じじゃないと思いますけどね~」
高校生の作る映画のクオリティ……自分たちの学校はどうだっただろうか。確か最後の母校の文化祭で見た映画はサスペンスで、よく言えば学生らしさ全開の演技と、誰でも思いつきそうなチープなトリック。それでも作ったこと自体に意義があるような、そんな「青春の思い出づくり」の域を出ない作品だった気がする。
そのうち、視聴覚室の照明が落ち、上映開始のブザーが鳴った。
スクリーンでCM代わりにループ再生されていたこの学校の紹介映像が終わり、金蓮花高校の校章が映画会社のロゴのように映し出される。
真っ黒な背景に無機質なBGMとともに表示されたタイトルは、『鏡の中』
本編が始まると、すぐに先ほどの一年生が映し出される。
どうやら、いじめっ子と賭けをして夜の学校に侵入するストーリーのようだ。
演技は……おや、思ったほど悪くないな。
いや、むしろ――。
特に相手役のボーイッシュな子(さっきの三人組にはいなかった子だ)の演技は、群を抜いて上手だ。はっきりしたセリフの抑揚に、豊かな感情表現。元子役タレントか何かだろうか。一年生(茉莉也ちゃんと言ったか)の可憐な演技と相まって、画面に引き込まれる。
シーンが切り替わり、夜の学校。
BGMはなく、虫の鳴き声だけというのがなんとも不気味だ。静寂が、逆に緊張感を煽る。
――出た、幽霊。
え、なんか演出すごくないか?
向かってくる幽霊は体全体にノイズがかかっているようで、それなりに大きく映されているのに、はっきりと輪郭を視認することが難しい。不意に消えたり、現れたりする「間」の演出が、生理的な恐怖を誘う。
待ってこれ、本当に作ったの高校生か? UTubeで話題になるような、プロ顔負けの短編ホラーを観ている気分だ。
おお、ボーイッシュな子が幽霊と対峙するシーン。ちゃんとCGも使っているのか。
もう終盤かな? 逃走シーンのカメラワークも手ブレを効果的に使っていて臨場感がある。追いかけてくる幽霊が怖い。顔と口が真っ黒に塗りつぶされているというシンプルな加工なのに、それだけでここまで恐怖感を煽られるとは。
――ええっ、ラストそんなのアリ!?
ヒロインの子、鏡の中のやつに入れ替わられてた。
鏡の中から助けを求めるヒロインが、どんどん血まみれに染まっていく……。どうやって撮ったんだろうこれ。
ああもう助からないんだこの子……。でも周りは入れ替わりに気づかないまま、日常に戻っていく。
……うわぁ、後味が悪めのやつだ。すごいバッドエンド。でも、最高に面白い。
「す……すごかったね」
明るくなった後、私はちょっと興奮気味に隣の清美さんの反応をうかがった。
「っすね……。あーしちょっと舐めてました。高校生でここまでの撮れちゃうんだ。すげー……ってかこえぇ! 怖くなかったっすかリトっち」
清美さんはちょっと青ざめている。無理もない。本当に怖かったもの。
「私もだよ。でも、なんか出来がすごすぎて恐怖より先に関心が来ちゃった」
高校生でもガチればあんなすごい映画が撮れるんだなあ。本当にすごい。何ならもう一回見たいくらいだ。
「すごいね、キミの友達」
「そう言ってもらえると……あーしのことじゃないのに照れちゃうな。でもなんか、部長さんがすごい人らしくて、演出とかもその人が三徹してぶっ倒れるくらいこだわったらしいっすよ」
「なるほど。きっと未来の映画監督なんだろうね」
天才はいるのだなあ。恐らく三年生だろうか、たった一つ下の子がこれほどの才能を持っているという事実はなかなか衝撃的だ。きっと明るいぞ、日本映画の未来。
「さて、次はどうしようか」
「そうですね。あーしのおススメは――」
「のんちゃーん! いた~!」
清美さんの言葉を遮るように、生徒が一人、息を切らして視聴覚室に駆けこんできた。
「浅井っち、どしたん?」
浅井と呼ばれた生徒は、右腕に『文化祭実行委員』の腕章をつけている。清美さんも実行委員なので、何らかの事情で応援を呼びに来たんだろうか。
「自由時間中にごめん! ちょっとこっちでトラブって……人手が足りないの! ごめんけど一緒に来て」
「え、マジか……でも……」
清美さんは困ったようにこちらに視線を向けてくる。私との時間を気にしてくれているのがわかって、それだけで十分だった。
「いいよ、行ってきな。実行委員の仕事なんだろ?」
私は笑って、清美さんの背中を優しく叩いた。
「マジごめん! ソッコー終わらせて戻ってくるから!」
「本当にごめんなさい! なるべくすぐにお返ししますから!」
と、二人そろって深々と頭を下げたかと思えば、次の瞬間には弾ける様に飛び出して行ってしまった。
去り際の彼女達の声が聞こえてくる。
「で、何が起きたのレイっち」
「生物部の展示でコオロギが大量脱走して~!」
「はぁ~!?」
……なんか、思ったよりどえらいことになってるな。
青春だなあ。
「さて、どうしようかな……」
映画をもう一度見てもいいが、次の上映までは三十分もある。他のことで時間をつぶすべきだろう。
そういえば、と瑞樹のいた最前列の辺りに視線をやるが、彼女とその後輩たちは既にいなくなっていた。
……べつに、居たからと言って用もないが。
小腹もすいたことだし、校庭の出店の方に寄ってみるのがいいだろう。




