文化祭前夜
「あ、やっぱり?」
「「「「「やっぱり!?」」」」」
由比先輩の言葉に、映研同好会の三名および助っ人二名の声が、寸分の狂いもなくぴったりと揃った。
「ウフフ。じつはね、ちょっとホラー表現に凝りすぎたなって思ってたのよ。徹夜テンションって言うのかしら……一徹目から興が乗っちゃって……本当はとっくに完成してるのに、ああでもないこうでもないと試行錯誤を繰り返してたら私の趣味全開になっちゃった」
由比先輩は、悪戯が成功した子どものように悪い笑顔で、得意げに事の顛末を語る。
言われてみれば、ここ数日の作業はほとんど同じシーンの演出をどうするか、という細部に終始していた。先輩なりの並々ならぬこだわりがあるのだろうとは思っていたが、その実態は、監督としての責務を超えた個人的な熱狂だったのだ。
ボクはこの部活にはアホしかいないんだな……と、今さらながら確信した。
「とにかく、流血とかの表現を抑えて、マイルドにすれば問題ないということね、文化祭委員さん」
「ええと、はい。体育館行事は保護者の方や他校のお客さんなんかも集まりますし、ホラー苦手な人があれ見たら、正直トラウマになっちゃうと思うんで、もう少し表現を抑え気味にしてもらえると助かります」
のんちゃんの言葉に、試写会で見た映画の表現を改めて思い返す。
今や制作側に立ってしまったボクは、そこまで怖いと感じなくなっていたのだが、確かに鏡の中のミサキが血に染まるシーンなど、演出が過激な部分があったかもしれない。
何より部長がノリノリで楽しそうだったから、ブレーキを掛けられなかったんだよなあ。
「ふふ、そういうことなら問題ないわ。もう一徹もすれば十分間に合うでしょう。今から帰って、すぐにでも取り掛かるわ」
由比先輩は自信満々にそう宣言し、椅子から勢いよく立ち上がった。そして――
「あら――?」
ふらり、と、まるで背後の糸が断ち切られた操り人形のようにバランスを崩した。体が横向きに、ぐらりと傾ぐ。
「先輩!?」「ねーちゃん!」
ボクが動くより一瞬速く、真魚ちゃんが飛び出し、先輩の細い身体を抱きとめた。
「何やってんだよ、大丈夫かねーちゃん?」
真魚ちゃんの腕の中で、由比先輩はピクリとも動かない。
「ねーちゃん。ねーちゃんってば……。ねーちゃん?」
真魚ちゃんの顔から血の気がサーッと引いていくのがわかった。青ざめた彼女の傍で、ボクらはただ立ち尽くし、目の前の光景を呆然と見つめるしかなかった。
「ねーちゃん? 由比姉ちゃん!?」
悲鳴にも似た真魚ちゃんの絶叫が、部室に虚しく響いた。
―――
「まあ、うん。若いとはいえ、三徹したらああなるわよ」
遠ざかるサイレンの音とともに、由比先輩が救急車で運ばれていくのを、ボクらは保険医の久利先生と一緒に見送った。
救急車には真魚ちゃんと、駆けつけた顧問の文倉先生が付き添いで乗っていった。
「たまに文化祭張り切りすぎる子はいるけど、ここまでのは先生初めてだわ」
先生は呆れを通り越し、どこか感心したような表情だ。
「それじゃ、あなた達ももう帰りなさい。部長さん、ただの過労だと思うから、三日もすれば帰ってこられるわ。文化祭には間に合うでしょ」
そう言って、保健室に戻っていく先生の言葉に、残されたボクらは重い顔を見合わせた。
「三日……」
映画の提出期限は二日後。肝心の監督であり編集責任者が倒れてしまった今、映像の修正は不可能だ。このままでは、提出すら危うい。
「ごめん、あーしらが急にあんなこと言ったから……部長さん、ショック受けちゃったんかな……」
のんちゃんは目尻に涙を溜め、自分の責任だと体を抱きしめる。
スズがそっとのんちゃんの肩に手を置いた。
「そんなことで倒れるタマじゃないわよ。過労だって言ってたでしょ。部長の自業自得。それより、いち早く情報を伝えてくれて、本当にありがとうね」
スズはのんちゃんの肩を軽くポンポンと叩き、やわらかく微笑んだ。
「浅井さんも、ありがとう。映画のことは私らで何とかするから気にしないで。あなたたちは、あなたたちの仕事に戻って頂戴」
「ありがとう、法月さん。こっちでも色々動いてみる。助けが必要ならいつでも言ってね」
浅井さんはスズの空いている方の手を両手で包み込むように握った。スズが力強い眼差しで頷くと、浅井さんは安心したように手を離し、のんちゃんと一緒に校舎に戻っていった。
「でも、どうしましょうスズ先輩……。私たちだけで映像の特殊効果を編集しなおすなんて」
マリちゃんは、どうにも不安を隠せない様子だ。無理もない。将棋でいうところの詰みにハマったような感覚だろう。
でも、まだ打てる手はある。
「大丈夫だよ、マリちゃん。ボクと桂樹さんは部長の家でずっと一緒に編集を勉強してきたんだ。ね、桂樹さん」
ボクは不安そうなマリちゃんの前で、あえて大袈裟に胸を叩いた。
隣の桂樹さんは、まだ顔に不安の色を残していたが、ボクの視線を受けて、ピンと背筋を伸ばす。
「は、はい。どこまでやれるかわかりませんが……私達なら、きっと!」
「よーし、ボク達に任せとけー!!」
意地でもそう言い切るしかなかった。
―――
「いや、やっぱり無理!!」
翌日の放課後。由比先輩の部屋のPCの前で、ボクと桂樹さんは揃って頭を抱えていた。
「そもそもホラー表現をマイルドにするって何? 幽霊を消せばいいの? 何も映ってない暗闇の校舎眺めて何が楽しいんだよ!!」
ボクは混乱と焦燥で叫ぶ。
「うう……何のお役にも立てず申し訳ございませぇん」
桂樹さんはついにへたり込んで泣き出してしまったが、ボクに彼女を慰める余裕はみじんもなかった。ボク自身が泣きたいくらいだ。
「っていうか、特殊効果のつけ方、ボクらに教えたよりよほど高度なことしてないか由比先輩。鏡の中のミサキがどんどん血に染まっていくシーン、どうやって作ったんだよ!」
ボクは編集ソフトの複雑怪奇なレイヤー構成とにらめっこしているが、この構造を理解し、安全に修正を施すころには日付を大きく超えてしまいそうだった。
なんかめっちゃCGとか使ってるみたいだし、恐らくハリウッドの演出家である父親直伝の技術がふんだんに盛り込まれているのだろう。
ダメだ。あれだけ大見得を切ったが、これは今のボクの手に負えるものではない。せっかくみんなで撮った映画なのに、肝心の文化祭で上映できないなんて。
くそ、なんて無力だ……。
先輩のパソコン机に突っ伏しながら、自分の無力感を噛みしめていると、その様子を黙って眺めていた真魚ちゃんが、不意に口を開いた。
「なあ。体育館行事での上映が無理ならさ、どっかの空き教室借りて上映できねぇかな」
真魚ちゃんの提案はまさに逆転の発想だった。大勢集まる体育館で流すには怖すぎるという話なので、好き好んでホラーを観に来る人を対象にすれば問題ないという理屈だ。
しかしそれはそれでまだ問題がある。
「うちは同好会でしょ? そこまで学校側が融通を利かせてくれるかなあ」
「何言ってんだネコセン。こないだ、部に昇格したじゃん」
「へ?」
自分の瞳がきゅっと丸くなるのを感じた。
昇格? 部に? いつ?
「ネコセンが入って四人になったろ? そん時ねーちゃんが申請したんだよ。もう同好会じゃなくて、映画研究部だよ」
「そうだったの!?」
初耳だった。部長も桂樹さんも一言もそんな話をしなかったからだ。
「そうだったんですか!?」
ほら、知らないじゃん。隣の桂樹さんも驚いて目を丸くしている。
真魚ちゃんの話では、三年の由比先輩が引退しても来年の四月までは部として扱われるらしい。これで新入部員が一人でも入れば、来年も映画研究部は部活として残る可能性が生まれたわけだ。
だが、それはそれとして今は目先の問題に対処しなくてはならない。
今さら部に昇格したところで、文化祭までもう二日しかない。今から空き教室の使用を申請したところで、そんな許可が下りるわけが――。
―――
「桜木。視聴覚室の使用許可、取ってやったぞ!」
翌日の放課後、職員室に呼び出されたボクに、文倉先生がドヤ顔で承認印の推された視聴覚室の使用申請書類を見せてくれた。
ただの空き教室じゃなくて、ちゃんと視聴覚室だ。
「ま、マジですか!?」
ボクは思わず書類を二度見する。
「マジよ」
文倉先生は、今朝話を持っていったときは苦い顔をして「あんま期待すんなよ」と言っていたのに、今は晴れやかな笑顔だ。
なんと先ほど校長先生に直談判しに言ったら、あっさりと許可をくれたらしい。
「なんかね『今どき文化祭の準備に気を失うほど情熱を捧げる生徒がいるとは素晴らしいことです。生徒の自主性を重んじるのがわが校の習わし。特例ですが許可します』だとさ」
うちの校長先生、意外と熱血なんだ……! おかげで助かった……!
「それはそれとして『生徒が倒れるまで放置したのは顧問の監督不行き届きです』ってめっちゃ怒られたけどな」
文倉先生は苦笑しながら、ボクの背中を叩いた。
「ほら、仲間に報告してきな。許可取れたからって、今からじゃパンフにも乗せらんないぞ。宣伝ちゃんとしなきゃ閑古鳥が鳴くことになるからな。ここからがお前らの本当の戦いだぞ」
その『本当の戦い』も、部員たちの懸命な行動力によって、ことはとんとん拍子に進んだ。
「オカ研のブログで、映画のこと取り上げるわ」
スズとマリちゃんはオカ研に戻り、ブログへの記事の掲載許可を取り付けてきた。部長と由比先輩の対立があるために戻りづらいと言っていたけれど、由比先輩が倒れたことを聞いて、オカ研の部員たちも快く許可してくれたようだ。
「あの、桜木さん。予告編とか作れませんか?」
そう提案してきたのは桂樹さん。何でも科学部の映像発表の撮影を手伝った縁で、発表の最後に予告編の映像を流す許可を取り付けて来たらしい。コミュ障だと思っていたけれど、彼女なりに勇気を振り絞って外の世界とコミュニケーションを取ってくれたことが、なにより嬉しかった。
「チラシ作ったぞ先輩! こいつをオレたちのクラス行事で配りまくるんだ」
もちろん真魚ちゃんも協力してくれた。当日はマリちゃんと一緒にチラシを配ってくれるという。ボクとスズのクラスと、桂樹さんのクラスで配る用の分も印刷してくれていた。チラシのデザインも真魚ちゃんが考えたという。素朴ながらも目を引く出来栄えで、演技以外にもこんな特技があったことに感心した。
「……ってな感じで、明日は何とかなりそうです。由比先輩」
文化祭前日の、放課後の部室。スズ達みんなが視聴覚室で飾りつけを進めている中、ボクは退院して復帰したばかりの由比先輩に、先輩が入院中のこれまでの経緯を報告していた。
「そう……。迷惑をかけたわ。本当にごめんなさい」
由比先輩は深々と頭を下げる。その顔には、三徹明けの疲れではなく、反省の色が浮かんでいた。
「……ここからは私の番ね」
「先輩?」
「少し用があるの。先に視聴覚室の手伝いをしていてくれる?」
先輩は席を立ち、部室を後にした。
言われた通りボクは視聴覚室に向かい、立て看板を制作していたスズを手伝う。
「ネコ。先輩は?」
「なんか、用事だって」
「ふうん?」
看板が完成し、別の部分の装飾に取り掛かろうとしていたころ、視聴覚室の外がにわかに騒がしくなる。
「なんだ……?」
がらがら、と大きな音を立てて視聴覚室の入り口が開き、十人近い生徒がなだれ込んできた。
その集団の中には由比先輩もいて、その隣には、日本人離れした整った顔立ち、透き通った肌に、銀色のショートボブの三年生。
オカルト研究部部長、早瀬咲良の姿があった。
「サクちゃん先輩!?」「咲良部長!」
脚立で高いところの装飾に悪戦苦闘していたスズが、驚きに慌てて駆け下りる。
マリちゃんも駆けつけ、スズの隣に並んだ。
「手伝いに来たよ、鈴音くん。茉莉也くん」
咲良先輩は、落ち着いた静かな声で言った。
「先輩、いいんですか……?」
スズは目を丸くして咲良先輩を見て、その後、すべてを悟っているような由比先輩へと視線を移した。
咲良先輩は改めてスズ達に向き合うと、目をつぶって、深く頭を下げた。
「すまない。二人とも。本当はみんなでやるはずだったのに、ボクがつまらない意地を張ったせいで、君たちに苦労を掛けてしまった」
それから、ボクと真魚ちゃん、桂樹さんを見て、咲良先輩はもう一度頭を下げた。
「映研のみんなにも申し訳ないことをした。今からでも、ボクらに手伝わせてほしい」
ボクは由比先輩へ視線を向けた。
由比先輩は少し首を傾げ、なんとか解決したわとでも言うように微笑んだ。
やがて一緒に来たオカ研の部員の一人が、ハイっと手を挙げた。
「副部長! 試写会やりますよね!? 副部長のレビュー見て、映研の映画見たくなっちゃて」
彼女の言葉を皮切りに、他の部員たちもワイワイと騒ぎ出す。
「私も! 鈴音先輩や茉莉也たちが作った映画見て見たいです」
「もちろん、当日も手伝うよ~。六人でシフト回すの大変でしょ?」
静かだった視聴覚室が、一気ににぎやかになった。
「ハイハイ、それじゃみんなも飾り付け手伝ってよ。終わったらみんなで試写会しましょう」
スズの言葉に応え、オカルト研究部の部員たちはみんなでボクらの作業を手伝ってくれた。
ポスターを張ったり、作った立て看板を飾ったり。床にLEDのテープライトを張って、誘導灯を模したり。
こうして、あっという間にボクらの映画館は完成した。
その後は、みんなで試写会だ。映写機の操作を覚えるため、ボクと由比先輩は再び視聴覚準備室に戻った。
「ありがとうね、桜木さん。本当に」
プロジェクターに繋がったPCを操作しながら、由比先輩はボクに向けて、光を受けて輝くような飛び切りの笑顔を向けた。
「貴女が、この部を救ってくれた」
「そんなことないですよ。みんな協力してくれたし、真魚ちゃんのアイデアだってすごく大きかった」
「そうね。でも貴女がいなかったら、きっとこうはならなかったわ。正直言うと、私が卒業したらもう廃部しちゃうのかなって思ってた。でも貴女が入部届を出して、『この場所を繋ぐ』という意志を示してくれたから」
先輩はボクに向き直り、両手を広げて、ボクの体を優しく包み込んだ。彼女から伝わるのは、達成感と、少しの疲労、そして純粋な感謝の熱量だった。
「ほんとうにありがとう、祢子さん。きっと、何もかも全部うまく行くわ」




