クランクアップ・ブラックアウト
文化祭という祭りの始まりを楽しみにしている者、あるいは面倒だと斜に構える者。そんなすべての学生の前に、平等に立ちはだかる最大の試練。その名は中間テストだ。
テスト期間の一週間前から部活動は強制的にお休みとなり、必然的に文化祭の準備もいったんそこで停止してしまう。
まあ、文化祭自体はテストから二週間後なので、テスト開けから準備を始めるクラスや部活動がほとんどだけどね。
その点、映研はかなり早期から準備を始めていると言えるが、もちろんそれには理由がある。
映画は撮影よりなにより、編集が一番大変なのだ。
部長である由比先輩の方針は明確だった。
『編集や特殊効果は、全て私が担当するので、テスト前には必ずクランクアップしたいわ』
テスト開けの二週間を費やし、部長の家にあるハイスペックPCで一人で編集作業を行うつもりらしい。ボクは助監督として素材の整理や選別を手伝うとはいえ、本格的な編集は由比先輩任せだ。
そんなわけで、テスト期間開始の一週間前。ボクらは毎日遅くまで残り、文字通り撮影漬けの日々を過ごすことになった。
冒頭とラスト、昼間や夕方に撮れるシーンはすでに終わっており、メインとなる夜の学校のシーンは残り6分。
映画内の設定では深夜零時前だが、今は10月上旬。日没は早く、18時前にはもう十分に真っ暗。
学校から許可された撮影時間はその日の当直の先生が帰宅し、警備システムが作動する22時まで。
撮影機材の準備や、撤収時間などを考えると、一日あたりの撮影可能時間は3時間ほど。
土曜日の当直を顧問の先生が担当することを条件に(先生マジでありがとう。まだ会ったことないけど)、土曜日の夜も撮影を行わせてくれることになっているため、月曜から土曜日の6日間×3時間を撮影に使える。
最初は、なんだ18時間もあるじゃないか。なんて楽観視していたが、由比先輩曰く、撮影効率(最終的な作品の1分間の尺を撮るのに、どれくらいの撮影時間が必要かという指標)で言えばわりとギリギリらしい。
18時間の撮影で6分の映像がギリギリ……。長編の映画を撮る人たちのことを考えると気が遠くなりそうだった。
編集が一番大変と先輩が言った理由も同じだろう。18時間も撮影した映像を取捨選択しながらギュッと6分に圧縮する作業。そう考えるとマジで途方もないな……。
そんなわけで、いよいよ夜間撮影一日目。
放課後は部室内で入念なリハーサルを行い、暗くなる前に撮影機材をセット。日が落ちるのを待って、ボクらは被服室前の廊下で撮影を始めた。
「……あの、これ何テイク撮るんですか?」
「オーケーよ法月さん。あと2テイクね」
満足げな笑みを浮かべる由比先輩。対して、スズはがっくりと項垂れている。
スズは赤い幽霊の恰好をして、それなりに長い廊下を延々と往復させられていた。
前髪ウィッグによって表情は伺い知れないが、彼女は今きっと、とてもうんざりした表情をしていることだろう。
幽霊の異質感を出すため、スズのシーンは同じ場面を何度も撮影し、編集で重ねて残像やブレを出す。
そのため彼女の撮影テイクは主演の二人に比べて倍ぐらい多い。
しかも、尺の都合で幽霊のシーンは増えることになっていた。本来は、主役の二人が塀を乗り越えて学校に侵入するシーンを撮るはずだったのだが、「学校への不法侵入や施設を無許可で使用する行為を連想させる」という理由で学校側の許可が下りなかったのだ。
学校に侵入するストーリーなのに変な話だ。どうやって入ったかは視聴者の想像に委ねることとなり、その分、スズの幽霊シーンで尺を補うことになった。
脚本だけで良かったはずのところ、出演もしたいと欲をかいたのはスズなので自業自得といえばそうなのだが、前が見づらく、歩きにくい格好で同じスピードを保って何テイクも歩くのは大変そうだった。
撮影が終わるとスズはしゃがみ込み、ふー、と大きく息を吐いた。
「おもったよりしんどいわね幽霊役。セリフないから楽でしょとか言ってた私を一発ぶん殴りたいわ」
「お疲れ、スズ。水飲みな」
「ありがと、ネコ」
ボクが手渡したペットボトルのキャップを回して、スズは前髪ウィッグをかき分けてごくごくと喉を鳴らして水を飲む。
編集すれば一分程しかないシーンのハズが、撮るのにその何十倍も時間がかかる。
ボクらは昼間のシーンの撮影で既に実感していたハズだったが、タイムリミットのある夜間撮影を始めて体感し、より一層の緊張感がみんなの中を駆け巡っていた。
ちなみに、夜の22時まで学校に残って帰りはどうするんじゃい? なんて思ってたら、なんと谷頭家のお母様が8人乗りのミニバンで迎えに来てくれた。
仕事出来キャリアウーマンといった印象のお母様は文句ひとつ言わず、むしろ楽しそうにボクら一人一人を、その日から毎日家までしっかり送り届けてくれた。なにこのすごい良いひと。
顧問の先生といい、ハリウッドで働いているという父親といい、由比先輩は周りの大人にめちゃめちゃ恵まれているのかもしれない。
夜間撮影二日目。
この日のメインは、アカネとミサキが幽霊から逃れるために手近な教室に隠れて、身を寄せ合い息をひそめるシーン。
窓の外を幽霊が往復するのだが、一日目と同じく幽霊の演出のために、主演と幽霊を別撮りで後で合成する。スズは昨日に続いて何度も歩き詰めとなった。
夜間撮影三日目。
昨日のシーンが一日で終わらなかったため、その続きと、アカネとミサキが夜の学校に侵入したことを示す最初のシーンの撮影。
夜間撮影四日目。
ついに襲ってきた赤い幽霊をアカネちゃんが箒一本で引き付けるシーン。
この日の撮影は特別に厄介だった。
『アカネちゃんは箒で幽霊を撃退しようとするが、相手は幽霊なので箒はその体をすり抜けてしまう』
というシーンを合成で表現するため、箒を虚空に向かって振り回す演技を撮った後、同じ動きでスズに向かって箒を寸止めする演技を撮らなければならないのだが……。
寸止め失敗して何度かスズの頭に箒がクリーンヒットし、そのたびに真魚ちゃんはスズに土下座することになった。
『撮影だから……』とスズは寛大な姿勢を見せたが、握りこぶしがフルフル震えていたのをボクは忘れない。
深夜撮影五日目。
アカネとミサキの逃走シーン、およびマジックミラーを使用した大鏡の”内側”からの視線の撮影。
そして最終日。六日目、土曜日。
被服室にたどり着き、鏡の真実に迫ろうとする二人のシーン。
今日このシーンを撮り切れば、無事撮影完了だ。
やっと被服室にたどり着いたミサキちゃんが、喜びのあまりアカネちゃんに抱き着く。
ん? 抱き着く? 脚本にあったっけ?
「あ、ごめんなさい。その、怖い思いをしてやっとたどり着いたんだし、ミサキちゃんの心情を考えるとこうかなって」
マリちゃんのアドリブらしい。
……マリちゃん。もしかしてスズが嫉妬しないことについて、まだ気にしているんだろうか。
この前の出来事では、『スズはボクらがお互いに噛みついたり噛みつかれた時だけ嫉妬のような感情を見せる』ことが判明しただけなので、多分マリちゃんが根本的に抱いている悩み事は何も解決していないのかもしれない。
当のスズは「なるほど。そういうのもありね」と納得している。お前なー。
そんなこんなで、全撮影終了。
もともと土曜日は予備日として設定していたこともあって、何とか余裕を持って終わることが出来た。
時間はまだ20時。今日は谷頭家のお母様ではなく、顧問の先生が家まで送ってくれるということで、先生の当直が終わるまでの間、部室である視聴覚準備室に集まり、ジュースで軽い打ち上げをすることとなった。
「それでは。皆さんの頑張りを称えて、乾杯」
由比先輩の音頭で、各々手に取った缶ジュースを掲げる。
「「「「「乾杯~!」」」」」
ボクはよく冷えたオレンジジュースを一気に飲み干した。
冷たい刺激が疲れた体全体に染み渡る。たまらない心地よさだ。思わず変な声が出そうになるが、みんなの前なので我慢。
真魚ちゃんはサイダー片手に「っか~! ウメ~!」と声を上げて「オッサンか」とマリちゃんにツッコまれていた。ほらね。
「ホント歩いたり走ったり……疲れたわ幽霊役……」
スズはパイプ椅子の背もたれに体をあずけ、脱力していた。
確かにこの六日間、役者としては幽霊役の彼女が一番負担が大きかっただろう。
「あの……カメラ越しにずっと見てましたけど、法月さんの幽霊役、すごく良かった……です」
すごく珍しいことに、桂樹さんの方から話を振ってきた。彼女は頬を紅潮させ、ちょっと興奮気味。クランクアップでハイになっているんだろうか。
「ありがと、晶子も大変だったでしょ、ズッとカメラ片手に私たちのこと撮ってくれたもんね」
「いえ、私は可愛い女の子一杯――じゃなくて、素晴らしい映画が撮れて満足です」
おい欲望漏れ出てんぞ。そういうキャラだったのかキミ。
「あれ、雨降ってきた」
マリちゃんのつぶやきに、窓の外を見る。
夜の闇の中から水の粒が次々押し寄せ、窓をポツポツと叩き始めていた。
「撮影、早く終わってよかったですね」
「だねぇ……」
難易度の高いシーンからバラバラに撮っているので、もし途中で雨が降っていたら時系列が合わず大惨事になるところだった。
最終日の撮影が終わるまで泣くのを我慢してくれた天の神様に感謝だ。
外の雨が本降りになっていく中、ボクらは大変だった撮影を振り返ったり、先輩のタブレットでUtubeの動画を観たりして、各々過ごしていた。
「私、ちょっとトイレに行ってきますね」
そう言って、マリちゃんが席を立った数分後、思わぬ事件が起きた。
「ウワーッ!!」
閃光と、轟音。そしていちばんうるさい真魚ちゃんの悲鳴。
どうやら雷が直撃したらしい。
部室の電源がパッと消えた。停電だ。
「ネコ」
「OK、スズ」
スズの合図で、ボクはスマホのライトをつけた。夜間撮影をしていただけあって、懐中電灯の備えは十分。
ボクは手近なところにあった懐中電灯を一つ取り、スズに手渡した。
ボクも自分の分を取って、席を立つ。
「せ、先輩たち、どこ行くんだ?」
「マリちゃん、懐中電灯持ってないでしょ。迎えに行くんだよ」
「あ、じゃあ、オレも」
と、真魚ちゃんも懐中電灯を探そうとして、きょろきょろと周囲を見回す。
「ボク達だけで十分だよ。キミはここを頼む」
「わ、わかった」
納得して座りなおした真魚ちゃんを尻目に、ボクとスズは二人で部室を出た。
停電がいつまで続くかわからないが、マリちゃんはあれで結構な怖がりのはずだ。
それにしても……と、ボクは隣のスズを見る。
マリちゃんのために真っ先に立ち上がるあたり、スズなりにちゃんと彼女のことを大切に思っているはずなのだ。
最近ちょっと、それがマリちゃんには伝わっていないように思えて、なんだか心配になってくる。
――心配になってくる?
――マリちゃんとスズの関係が?
はは、ホントに、いよいよお人よしだよなーボクも。
上手くいってないならないで、普通に考えたらボクが損することは何もないはずなのにね。
そんなことを考えていると――。
「キャアアアアアアアア!!」
絹を裂くような悲鳴に、ボクとスズはアイコンタクトも無しに弾ける様に駆け出した。
悲鳴が聞こえてきたのは、マリちゃんが居るはずの女子トイレからだ。ボクらが歩いていた場所からは教室三つ分と離れていない。
悲鳴から数秒と経たずに駆けつけて、スズが扉を勢いよく開ける。
「茉莉也!」「マリちゃん!」
直後、真っ黒い影がスズの体に飛びついた。
「せ、せんぱぁい……」
マリちゃんだ。暗くてよくわからないが泣いているみたいだ。
スズはそのままマリちゃんを抱きしめて、そっと頭を撫でる。
「大丈夫? 何があったの?」
「あ、あれ……あれが……!」
マリちゃんが指をさしたほうに、ボクは懐中電灯の光を向ける。
そこには……。
「は――」
虫ッッッッッッッッッ!
ってかGッッッッッッ!
しかもデッッッッッカ!
思ってたよりヤバいのが出てきた。
いや落ち着け、大丈夫。何も問題はない。
何故ならGのつくアイツには負の光走性がある。
光走性。つまり普通の虫は光のあるほうに向かってくるが、Gはその逆で、光から逃げるように動くハズだ。
光源を持っている限り、ヤツがボク達に近づくことは出来な――
「ぃぎぃやぁああああああこっち来るううううううううううなんでえええええええええええ」
ダメだ! 無理! ボクにアレの対処は無理! でかすぎる!
こういうときいつもはスズ頼りだけど、マリちゃんにしがみつかれていて身動きが取れない。
終わった! 第三章完!
「おりゃっ」
ぐしゃり。
「ま……」
「何やってるんすか、先輩たち」
「真魚ちゃぁん……」
ボクは全身の力が抜けて、その場にへたり込んだ。
間一髪だった。
駆けつけてきた真魚ちゃんが、黒光りするアレを一撃で靴の裏に沈めてくれたのだ。
「何すか。スゲー悲鳴が聞こえたから来てみれば、ゴキブリくらいで情けない……」
「名前を言わないで」
恩人に向かって失礼だとは思いつつ、ボクは手を突き出して真魚ちゃんを制止する。
そうこうしているうちに、電気が復旧したらしく廊下とトイレの明かりが戻ってきた。
「ったく……ほら、部室戻りますよ」
真魚ちゃんはやれやれ、と笑みを浮かべて、へたり込んだボクに手を差し出した。
ボクは自力で立って、数歩後ずさる。
「あ、ありがとう。そうだね、真魚ちゃん……」
「ん? どうしたんすか?」
真魚ちゃんが一歩近づいてきて、ボクはまた一歩下がる。
スズもマリちゃんを抱えたまま同じように下がった。
「?」
「えっと、助けてくれてありがとう! それで、いったん外に出て靴の裏を土とかでごしごししたほうがいいと思う」
「あ」
真魚ちゃんの右足は、言葉で言い表すことが憚られる足跡を残すようになってしまっていた。
その足跡に名前を付けるとしたら漆黒の残骸かなあ……。
―――
真魚ちゃんが雨の中、中庭に出てぬかるんだ土で靴をごしごししたり、ボクとスズでトイレ前の廊下を足で雑巾がけしてそれをなるべく見ないように捨てたり、折角助けてくれたのにボクらがドン引きしちゃったせいで落ち込んじゃった真魚ちゃんを励ましたりしているうちに、顧問の先生の当直上がりの時間が来た。
「うい、ガキども~、帰るぞ~」
顧問の先生は、気だるげな印象のボブカットでアラフォーの女性だった。
物理の先生らしい。選択授業なので僕は履修していなかったので、本当にはじめましてだった。
「つか、あたしの車よく考えたら五人乗りだったわ。タクシー呼んだから谷頭家はそれで帰ってな」
「えぇ……」
わざわざ土曜日の当直を変わったと聞いたときは滅茶苦茶いい先生だと思ったのだが、結構適当かもしれない……。
こうして、由比先輩と真魚ちゃんはタクシーで。
ボクとスズ、マリちゃんと桂樹さんは先生の車で送って行ってもらうことになった。
助手席に桂樹さん、後部座席にボクとスズ、マリちゃんが並ぶ。
さっきの出来事と、昼間の疲れもあってか、ボクらは特に会話もなく、気が付いたらもうボクとスズのマンションのエントランス前だった。
「あの。スズ先輩! ネコ先輩!」
ドアを開けて降りようとしたボクらを、マリちゃんが呼び止めた。
顔を赤らめた彼女は、スッと頭を下げる。
「今日はありがとうございました。私あの時本当にびっくりして、でもお二人がすぐに駆けつけてくれて、とても嬉しかったです」
顔を上げて、マリちゃんはにっこりと笑みを浮かべる。
久しぶりに見た気がする。ひまわりみたいな満面の笑み。
何かを吹っ切ったような笑顔に、ボクはなんだかほっとしてしまった。
「私、二人のこと大好きです」
ボクとスズは目を合わせ、微笑む。
「お休み、マリ。私も大好きよ」
「また学校でね、マリちゃん」
「はい。おやすみなさい!」
ボクらは車を降り、傘を開く。
ぱん、と車のドアが閉まり、窓の向こうでマリちゃんが手を振っていた。
「そんじゃお前ら、お休み~。親御さんによろしくな」
顧問の先生は手をひらひらと振って、車を発進させた。
マリちゃんを乗せた車は、すぐ路地を曲がって夜の闇に消えていった。 ボクらはそのまま、自分たちのマンションへと踵を返す。長い長い、夜間撮影の一週間が終わった。心地の良い疲労感だ。今夜はご飯も食べずに寝てしまいそうな気がする。
オートロックのゲートをくぐり、エレベーターを待つ。疲労と同時に、得も言われぬ高揚感もあった。ボクらが魂を込めた映像が、どんな十分間になるかワクワクを抑えきれない。
隣にいるスズも、眠そうにしているけど、そう思っているのかな。
そんな風に、この時のボクは、クランクアップを終えた映画のことで頭がいっぱいだった。
だから、マリちゃんのあの何かを吹っ切ったような明るい笑みが。
何を吹っ切ったのかなんて、微塵も考えていなかった。




