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水族館にて

 旅館から出る時、若い受付の人に『ゆうべはお楽しみいただけましたか?』なんで聞かれたものだから、私たち三人は顔を真っ赤にしてしまった。

 思わず「すみませんうるさかったですか?」と聞き返すと、どうやら純粋に宿の居心地を聞かれただけだった。

 全ての人がネットミームを知っているわけではないと解ってはいるのだが、流石にちょっと焦った。


 そんなわけで、私たちは鳥羽シーパラダイスにたどり着いた。

 気を取り直して、今日はこの施設を目いっぱい楽しむ。


 鳥羽シーパラダイスは日本最大級の水族館だ。

 12のゾーンで合計1200種の川や海の生き物が飼育・展示されている。

 全長約1・5キロメートルもの館内通路は、観覧順序のない自由通路であり、来場者は好きな順番で施設を巡ることが出来る。


 これは朝早くに来て正解だった。

 ここまで広大だと一日では足りないかもしれないと思うほどだ。


 先日ミズキ先輩と訪れたアクアートとはまるで別物。

 こちらは由緒正しい水族館だが、水槽の規模や飼育されている生き物の数に圧倒される。

 まずエントランスにある大きな水槽からしてすごい。

 カラフルな熱帯魚たちや、ゆったりと泳ぐウミガメ。南国の海でダイビングしてようやく見られるような光景が広がっている。


「うわ~、スズほら、ウミガメがいるよウミガメ」

 と、ネコがはしゃぎながら指をさす。

「ホント、優雅に泳いでいるわね」

 他の魚たちがせわしなく泳ぐ中、悠悠自適に泳いでいるウミガメは、童話よろしくマイペースさの象徴のようだ。

「ふふふ、エントランスだけで驚いてもらっては困りますよ二人とも。こんなのまだまだ序の口なんですから」

 と、マリは両手を腰に当てて、得意げに言った。

 いやはや恐れ入った。彼女が自信満々に推薦しただけのことはある。

「うん。本当にすごいねここ。順路なしで好きに回れるみたいだけど、マリちゃんおすすめのルートとかある?」

 ネコが興奮気味に問いかけると、マリちゃんは人差し指をぴんと立てて、得意げな態度のまま答える。

「でしたらまずスナメリを見に行きましょう! 日本だとここにしかいないんですよ。そこから順番に展示を進んでいくと、ちょうどショーが始まるタイミングでセイウチを見に行けます」

「それじゃ、今日の案内はマリに任せましょ」

 私がそういうと、マリは胸を叩いて答えた。

「はい! 今日はどーんとお任せください!」




 ―――




 それから私たちは日本の海をテーマにしたエリアにある巨大な水槽で泳ぎ回るスナメリに圧倒され、その次の熱帯雨林のエリアでは餌をもちゃもちゃ食べるカピバラに和み、さらに次のエリアではゆったりと泳ぐジュゴンに癒されたりして、館内の展示を心ゆくまま堪能していった。

 だが次のエリアに行くと、途端に様子が変わった。


「あ、そっか。ここは展示方法が以前とちょっと変わったんでした」

 マリの視線の先にはラッコの展示があるのだが、ラッコを飼育している水槽の前では大勢の人が列をなしていた。

「ラッコ、絶滅危惧種なのでもうこの水族館にしかいないんですよね」

 マリが残念そうな表情でそう言った。

「え、そうなんだ。だからあんなに人が……」

 ネコはしげしげと先の見えない行列を眺める。

「うーん。並んでたらセイウチに間に合わないかも……」

 肩を落とすマリの前で、私は館内マップを広げた。

「じゃあ、ラッコは後にして他のエリアを優先しましょう。マリ、どこにする?」

「あ、じゃあ変な生き物を見に行きましょう」

「変な生き物……?」




 ―――




「確かにこれは変な生き物だねえ」

 と、ネコが水槽を食い入るように見ながら言う。

 変な生き物エリアには、深海生物などの変わった見た目の生き物が、それぞれ小さな水槽で飼育されていた。

 中でも目を引くのはダイオウグソクムシという、巨大なダンゴムシのような水生生物だ。

「ボク、海の中でこんなの見たらビビり散らかして溺れ死ぬかも」

「スカベンジャーだから死体はちゃんと綺麗に食べてくれるわよ」

「うげー、ヤな想像させないでよスズ」

「でもなんだか、変に愛嬌あるわよね、この子たち」

 私がはそう言って、こちらをじっと見ているグソクムシの一匹を指さし、それをくるくると回してみる。

 グソクムシは全く無反応だ。こちらのことなど意に介さずじーっとしている。

 なかなか動かないのが逆に面白く、私とネコはしばらくその水槽に張り付いて、彼らを観察した。

「あ、ちょっと動いた」

 と、ネコが指さす。

「え、嘘、見えなかった」

 私がその先を視線で追った頃には、グソクムシはまたじっと動かなくなっていた。

「先輩たち、そろそろセイウチの時間ですよ」

 と、マリが告げる。

「むぅ……動くところ見たかったわ」

 ため息をつく私の背中を、ネコがポンと叩いた。

「いいじゃん。あとで見に来ようよ」


 その後、私たちはセイウチのふれあいショーを楽しんだ。

 思っていた以上に、この大型の海獣は多芸で驚かされた。

 中でも驚きだったのは、セイウチがハーモニカを演奏したり、投げキッスをしたり、シャボン玉を拭いたりすることだ。

 人間の唇と同じように、唇をすぼめて息を吸ったり吐いたりできるらしい。

 セイウチの投げキッスに、「ファンサ貰った~」とネコが大はしゃぎしていた。


 その後、私たちはダイオウグソクムシの水槽に戻ったのだが、結局動くところは観れずじまいだった。




 ―――




 それから私たちは、館内のレストランで昼食を済ませた。

 その後は回廊を歩くペンギンや、水中をふわふわ漂うクラゲ、アシカのショーなど、一通りの展示を楽しみ、最後にラッコの展示に並んだ。

 列は常に動き続けているため、思ったよりも早く水槽までたどり着けそうだ。

「それにしても、ラッコがここでしか見られないなんて意外ね」

「そうだねえ。なんかどこにでもいるイメージだったよ」

 私の言葉に、ネコが同意して頷く。

「繁殖が難しいのと、条約で輸入に制限がかかったのが理由みたいです。ここで飼育されているのも高齢のメスだけなので、この二頭が本当に日本の飼育下では最後の二頭です」

 と、マリちゃんが解説してくれた。それならば並んででも見ようという気になるのも納得だ。

 何しろ、ラッコを人生で見る日は今日で最後になるかもしれないのだから。

「へぇ~、おばあちゃん同士なんだ」

 と、ネコが上を見上げた。

 視線の先にはモニターがあって、飼育水槽の中が映し出されている。

「あ、ほら、画面でも見れるよ」

 画面の中では二匹のラッコが仲睦まじく泳いでいる。

「ふふ、仲良いわね」

 その様子に、私も笑みがこぼれる。

 やがて、私たちも水槽の前にたどり着いた。ゆっくりと移動し続けながら、中の様子をうかがう。

 ラッコたちはおもちゃを手に、悠々と水面を背泳ぎしている。

 その様子に癒されていた私だったが、


「ホントに仲良しですね。私たちもおばあちゃんになった後も、あんな風に仲良くできたらいいですね」


 不意に出たマリの言葉に、私は思考が停止し、途端に何も返せなくなってしまった。


 沈黙したまま、水槽の前を引き続きゆっくり進む。

「それって、ボクらの中の誰かはおばあちゃんになる前に死んじゃって二人になっちゃうってこと〜?」

 と、おどけて、ネコがマリの脇腹をつつく。

「ちょ、そ、そんなこと言ってませんよぉ」

 ぺしぺし、と、マリがネコの手を軽くはじきながら反撃する。


 その二人の様子に、私は思わずやるせない気持ちになってしまった。

 何というか、自分がとても恥ずかしくなったのだ。


 だって、マリもネコもきっと、私たちの明るい未来を思い描いている。


 私だけ……。

 私だけが、この関係の終わりを想像して”今”に耽溺しようとしている。

 彼女のふとした一言で、それに気づかされてしまった。


「スズ?」

「先輩?」

 二人が心配そうに私を見つめる。

 何でもない、と言って、私は笑顔を作る。

 丁度水槽の終わりまでたどり着き、私はラッコエリアから少し足早に離れた。




 ―――




 帰りの電車はボックスシートを予約していて、私たちは向かい合わせで座った。

 私の反対側には、ネコとマリが肩を寄せ合いながらくうくうと寝息を立てている。


「……ほんと、仲良いんだから……」

 その様子を見ていると、自然と笑みがこぼれた。


 私はシートに深く腰掛け、窓の外を流れる景色を見る。

 楽しい時はあっという間だ。”今”という時間は想像を絶する速さで過ぎていく。


「おばあちゃんになっても……か」


 独り言ちて、私は窓の外、水平線に沈んでいく夕陽をじっと見送った。




 幕間『鈴と猫と毬の旅』了

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