センパイストライクスアゲイン
「はい、先輩。落ち着いたなら弁明どうぞ」
私たちは水族館から足早に去り、港の近くのある公園のベンチに並んで座っていた。
「……誠に申し訳ございませんでした……」
と、ミズキ先輩は深々と頭を下げる。
私が保有していた先輩株、とっくに底値だと思ってたらまだ下があったとは思いもよらなかった。
よりにもよってのんに見られたのが最悪すぎて、私は頭を抱えるしかなかった。
やがて顔を上げた先輩が、ぽつぽつと語り始める。
「あのね、今日、記念日だったの……」
「記念日?」
聞き返すと、先輩は目に涙を浮かべながら、こくりとうなずく。
「交際一周年の記念日……」
「一周年……それで今日来たがったってわけですか」
私はベンチの肘置きに肘を乗せ、頬杖をつく。
「あれ、でも先輩って去年はまだ高3ですよね」
「そうよ……あの人とは今通ってる大学のオープンキャンパスで出会ったの。意気投合して、受験勉強の合間にデートしたりして、それで一年前の今日、あそこで私から告白したの」
「……今日来たってことは、お互いに復縁したかったんじゃないんですか?」
「……私はあの場所の思い出を別の思い出で上書きしたかっただけ。あの人だって、きっとそんなつもりないわよ。見たでしょ……かわいい女の子連れちゃって……そういうことを普段からする人だったの。私がどんな気持ちでいたかも知らないで」
「浮気癖があったってことですか?」
「それは違う……。あの人は、恋愛と友情の区別が自分の中できっちりついている人だった。恋人がいても、友達と遊ぶのはあの人にとって自然なことだった」
先輩は話した。
彼女にはたくさんの友達がいて、時には二人きりで遊ぶこともあったこと。
最初は彼女の意思を尊重していたこと。
嫉妬する気持ちはあったが、それは自分自身の勝手な思いだから、相手に押し付けてはいけないと思っていたこと。
でもそのうち、相手の愛情が信じられなくなって、試すような行動を続けてしまったこと。
結局、最後の最後に爆発してしまったこと。
一通り先輩の話を聞いて、私は考えを巡らせる。
先輩とリヒトさんの交際には、とても大事なものが欠けていると思った。
「先輩、私は友達に嫉妬してしまうから会わないでほしいって、ちゃんと相手の人に言いました?」
「――え?」
と、先輩は目を見開く。
その後呆けたように宙を仰ぎ、視線を落とす。
「………………………ない」
長い沈黙の後、一言だけで答えた
「結局それですよ。相互理解の不足。大切なことは話し合わないと。こないだの電話だって一方的にまくし立てるだけで、相手の言葉聞いてなかったでしょ」
「それは……でも、言わないでもわかってほしくて……」
「だから、それですよ。人には他人の気持ちなんてわからないんです。先輩はいろいろ察しの良い人だから何かと気付けるのかもしれないけど、普通はわかりませんよ。たとえば、二人きりは嫌とか、泊まりはやめてとか。妥協点を探る話し合いとかしました?」
「して……ない……」
先輩はますます落ち込んでいく様子だが、私は構わず続けた。
「あの人言ってましたよ。『ちゃんと話をしてない』って。本当はずっと、先輩とちゃんと話がしたかったんじゃないですか?」
「……」
先輩は靴を脱いで、ベンチの上で三角座りになり、顔を腕にうずめた。
「まさか二股してる人にお説教されるなんてね……」
「……『お友達にアドバイスするときは自分のことを棚上げするものよ』って、先輩の言葉ですよ」
「……生意気……」
泣いているのか、先輩の声は震えていた。
先輩がそうしている間、私は空を流れる雲を仰いでいた。
いい天気だ。真っ青な空を白い雲が流れていく。船の汽笛が遠くに響き、海鳥の声が聞こえる。
このベンチは建物の日陰になっているが、それでも暑い。
気分が曇っている時は空にも曇ってほしいものだけど、自然は私たちのことなどお構いなしだ。
「私、ちゃんと恋愛できてなかったのね……」
先輩が少しだけ顔を上げる。
髪と腕の隙間から、涙でにじんだ瞳が垣間見える。
「好きだからわかってくれるはずだとか……愛してるからわかってほしいとか……相手の感情をないがしろにしながら自分の感情を押し付けてただけ……よく考えたら、ちゃんと喧嘩したこともなかった……」
「まだ遅くないんじゃないですか。復縁は無理でも、壊れたなりに新しい形になることは出来るでしょ」
何なら私としては今すぐにでも誤解を解いてほしい。
特にのんの。
「……うん。ちゃんと話す。ちゃんと話してお別れする……」
「じゃ、行きますか」
「え……?」
「水族館に戻りますよ。チケット代、自分の分くらいは払いますから」
私は立ち上がって、先輩に手を差し伸べた。
「……うん」
頷いて。先輩は私の手を取った。
―――
私たちはすぐに『アクアート』に戻って、二人を探した。
なかなか見つからず、もう帰ってしまったかと思った頃、屋上の庭園に設置されたベンチで、楽しそうに談笑する二人の姿を見た。
「……あ……」
その姿を見て、先輩が声を漏らす。
視線の向こうのリヒトさんは、とても穏やかな笑顔を浮かべながら、のんと何かを話している。
「やっぱり、今度にするわ」
「え?」
「私、あの人のあんな顔初めて見た……。だから、もう邪魔したくない。今日は幸せな気分のまま帰らせてあげたい」
そう言って、先輩は寂しそうな笑みを浮かべた。
「……じゃあ、帰る前に水族館もう一周しましょうか」
私は軽くため息をついて、もう一度先輩の手を握る。
「え……?」
「するんでしょ、思い出の上書き」
「……うん」
先輩は頷いて、涙を流しながら、笑みを浮かべる。
私たちはその場を後にした。
―――
駅に着いた頃には、空はオレンジ色に染まり、日が落ち始めていた。
「今日はありがとうね、鈴音ちゃん」
「あ、待って先輩」
帰ろうとするミズキ先輩を引き留めて、私はスマホを取り出した。
「連絡先、交換しましょう」
「良いの?」
と、ミズキ先輩は目を丸くする。
「良いですよ。今の先輩はなんか、放っておけないし。あと私の抱えてる問題、先輩になら気兼ねなく愚痴れそうだし」
「ふふ、じゃあ私達、今日からまたお友達ね」
ミズキ先輩もスマホを取り出して、メッセージアプリのQRコードを表示してくれた。
「あと、実は今日あのリヒトさんの隣にいたの私のクラスメイトなんで、さっきの誤解解くのに協力してください」
「えっ、そうだったの!?」
ミズキ先輩は今日イチで目を見開く。
「だから今日、ここに来たんですよ。ミズキ先輩がリヒトさんの名前出すからめちゃめちゃ心配してたんです。あと、呪い云々の話をサクちゃん先輩としてましたけど、あれなんなんすか」
「う、そ、それは……」
ミズキ先輩は顔を思いっきり横に逸らす。
「……彼女のことをSNSの裏垢で愚痴ったら炎上して……叩いてきた女に復讐しようと……」
と、もじもじと語る先輩。
私はため息をついてがっくり項垂れた。
「っていうか、サクちゃん先輩とは何もないんすか結局」
「な、ないわよ。お友達って言ったでしょ。呪いについてアドバイスを聞きたかっただけ……。結局顔も本名もわからないと呪いようがないって結論に至ったけど」
それを聞いて、またため息が出た。結局取り越し苦労でしかなかったわけだ。
「っていうか咲良、彼女いるし」
「えっ嘘」
今度は私が目を見開く番だった。
「オカ研の、タロット占いが得意な人……」
「マジですか!? 由比先輩とぉ~!?」
ユイ先輩、スポーティーでボーイッシュな咲良先輩と対照的に、おっとりとしていて物腰柔らかで、独特な雰囲気のある3年の先輩。
ちなみに私が一回告白してフラれた相手だ。
なるほど、道理であの時まるで相手にもされなかったわけだ……。
「……私が言ったこと、内緒よ」
と、ミズキ先輩は口元に人差し指を当てる。
「……っていうか、先輩も彼女いる人とデートしてんじゃないすか」
「いや、あの時由比いたわよ。私も占いしてもらったもの」
「えっ嘘」
「あなたたち二人と会ってた時は先にシアターに入ってたし、高いところ苦手だからって展望台には登らずに一人で下の美術館に……」
「彼女を他の女とほったらかして? ま、マイペースな人だなあ……」
ユイ先輩、そういえば結構オカ研内でもしょっちゅう単独行動してたりフリーダムだった気がする。
「それじゃ、先輩。これあげますよ」
私はポケットから白い御守を一つ取り出した。
今日のんに渡すはずだった呪詛返しのお守りだ。
「幸運のお守りです。今の先輩には必要でしょ」
「……いいの? ありがとう」
「そのかわり、今度ちょっとやってほしいことがあります」
「なあに……?」
私が先輩の耳元でこそこそおとその内容を告げると、先輩は眉をハの字に曲げて、不安そうな表情を浮かべた。
「え、本当にやるの……?」
「私、今日先輩に色々話してて、自分にもちょっと当てはまるところあるなって思ったんですよね。だから、けじめとして。お願いします」
「……わかった。スズちゃんの為なら、いいよ」
と、先輩は力強く頷いてくれた。
―――
夜。
先輩と別れて帰宅した後、私のスマホに着信が入った。
「……もしもし」
『もしもし。スズっち――?』
のんからの着信だった。
昼間の彼女からの視線が脳裏に浮かび、心臓がゾクリとする。
「その……どうしたの」
『うん。私とリヒトさん――リトっちのことなんだけど』
だが、あの時のことを糾弾するための電話ではないようだった。
のんの声は、少し緊張しているようだ。
「……うん」
呼び方が変わっていることに突っ込むのは野暮だろう。
『あーしさ、正直まだ好きかどうかはわかんない。でも、でもねスズっち、あーし、リトっちと一緒なら、きっといばらの道も怖くないって思ったんだ』
「そっか……」
その声色は間違いなく恋する乙女のモノだと思ったが、これもまた突っ込むのは野暮だ。
『うん。だからあーしのことはもう心配しないで。きっと、いい関係が作れると思う』
のんの声が穏やかなものになり、私は安堵する。
「わかった。もう何も言わない。あんたのこと、ちゃんと応援する」
『うん。ありがと……スズっち』
きっと、のんはもう大丈夫だろう。
彼女はきっと、これからゆっくり自分の気持ちを育てていく。それがどんな花を咲かせるにせよ、のんにとってかけがえのないものになるはずだ。
『それで、今日一緒に居た人のコトなんだけど――』
と、のんの声色が急に冷たくなった。
「待って誤解! それについてはちゃんと弁明させて! 端的に言うとあの人は私の先輩で、私も知らないうちに恋人を振るダシに使われたのよ!」
『ふうん……?』
「その、詳しい経緯はまた先輩を交えて説明するから……とにかく、信じてほしいの! 三股とかじゃないから!」
言い終わると、電話越しにしばらく気まずい沈黙が流れる。
『……ぷっ……あはは、スズっちめっちゃ必死じゃん』
沈黙は、のんの笑い声で破られた。
「……友達に嫌な誤解されたら必死にもなるでしょ」
私は全身の力が抜けて、その場にへたり込んでしまった。
『ごめん。わかった、信じるよ。スズっちのこと』
その言葉を聞いて、私はほっと胸をなでおろす。
『でもさ、恋人じゃない人と二人で遊びに行くのって、やっぱ嫉妬されるとかあるんじゃね』
「うん。そのことについてはちゃんと二人と話し合うから、心配しないで」
今日先輩に言ったばかりの言葉が、ブーメランとなって帰ってくる。
二股を認めてくれる二人だからと言って、甘えてしまうのもよくないことだ。
特殊な関係だからこそ、ちゃんと話をしないといけない。
『そもそも恋人が二人いるのがもうおかしいんだよな。スズっちの場合』
「わかってるわよ。もう……」
『ま、これ以上余計な事は言わないよ。今日はありがとう、スズっち。また今度、服選びに行く約束あるでしょ、楽しみにしてっから』
「うん。私も楽しみにしてる」
『それじゃ、電車来るからまた』
「ええ、またね。のん」
のんとの通話を切る。
彼女とリヒトさんはうまくいきそうだし。誤解も解けた。
となれば、次は自分のことだ。ミズキ先輩と友達に戻るにあたり、けじめをつけなければいけない人間が、一人いる。




