パパと娘と 後編
「あの、スズ先輩のお父様方は、世界中飛び回ってお仕事されてるんですよね」
ピザが届く頃にはすっかりマリの緊張もほぐれ、楽しい食事会がスタートしていた。
「はい。世界中股にかけ、悪魔や妖怪やヴァンパイアなんかを倒しています」
「ホントですか!?」
「そんなわけないでしょ」
と、私はパパの頭を手刀で叩く。
「ホントは古本屋よ」
「やだなあ、鈴音。ビブリオ・ディテクティブって呼んでくれよ」
パパは叩かれた場所をさすりながら言った。
「ビブリオ……?」
首をかしげるマリに、パパが姿勢を正しながら答える。
「ビブリオ・ディテクティブ。本の探偵です。最近は古物商もやってます。拠点はニューヨークの下町にあって、今日は東京のお客さんと商談に。明日朝の飛行機でDCに飛びます」
「すごい、ハードスケジュールですね」
「貧乏暇なしってやつですよ」
なんて言いつつも、パパは得意げだ。
「ということは、ネコ先輩のお父様もニューヨークに?」
「そうだよー。年に何回かしか帰ってこない」
マリちゃんの質問に、ネコは不満そうに答えた。
「目標額を稼いだら日本に戻ってきて隠居するって言ってたけど、いつになることやら」
「ごめんな、祢子ちゃん。早くパパが帰国できるようにボクらが頑張るからさ」
と、パパ。
「それは……うん、頑張ってください」
「こらこら祢子、あんまり良賢さんを困らせないの」
依子さんの言葉にネコは少しばつの悪そうな顔をしながら、ちらりと私を見た。
私は微笑んで、首を軽く振った。
私たちはその後も食事をしながら談笑し、夜が更けていった。
―――
深夜、私の部屋。
喉が渇き、客用の布団の上で私は体を起こす。
私のベッドの上ではマリがすうすうと寝息を立てていた。
「……」
私は彼女の寝顔を見て、起こさないようにそっと頬を撫でた。
食事が終わった後、マリは私の自宅に泊まることになった。
緊張していたせいか、マリは寝る準備をした後すぐばたんきゅーと寝入ってしまった。
私はというと、今日はいろいろありすぎて全く睡魔が来ない。
水を飲もうとリビングに向かうと、まだ明かりがついていた。
「パパ、起きてるの?」
「ああ、うん。久しぶりの自宅だから、寝るのが惜しくって」
パパはソファに座りながら、ぼんやりとテレビを観ていた。
「鈴音も眠れないのなら、ホットミルクでも作ろうか?」
そう言って、パパは立ち上がった。
「うん。お願い」
パパはキッチンに移動し、私は食卓につく。
パパは台所の戸棚からミルクパンを取り出し、冷蔵庫からミルクを注いだ。
「キッチン、とっても綺麗になってて驚いたよ。料理を始めたんだってね」
「うん。おばさまにいつまでも甘えてはいられないし」
「えらい。いい心がけだ」
パパはミルクパンを五徳に置いて、コンロの火をつける。
「苦労を掛けて悪いね……君にも、頼子さんにも、祢子ちゃんにも」
「いいわよ。もう慣れてるんだから」
「うん……」
パパはじっと、コンロの火と牛乳を見続けている。
「……ねえパパ」
「なんだい、鈴音」
「……ありがとうね。茉莉也のこと。普通に受け入れてくれて」
「……うん」
「あのコさ、母親にカムアウトしようとして、うまく話せなかったんだって。だからちゃんと恋人として扱ってくれたこと、うれしかった思うよ」
「……そうだったのか」
しばらくすると、パパは出来上がったホットミルクに、ハチミツを垂らして持ってきてくれた。
ティースプーン入りの二つのマグカップを持ち、一つを私の前に置くと、パパはもう一つを手に向かい側に座った。
私はティースプーンでホットミルクを少しかき混ぜてから、そっと口に含む。
ハチミツの甘さがミルクの温かさに包まれ、体の中をほっと暖かくしてくれる。
「鈴音、今の話だけど……別にパパは理解のある良いパパ、というわけではないんだよ。本当にすごいのは、キミのママだけさ」
「……どういうこと?」
怪訝な顔をする私に、パパは落ち着いた笑顔で答えた。
「だってパパは……どちらかというとキミとおんなじだから」
「同じ……?」
「同じ……じゃ語弊があるか。うん。でも実はパパ、キミと同じくらいの時に彼氏がいたんだ」
「ええっ!?」
私は思わずマグカップを取りこぼしそうになり、慌てて取手を持っていた手と反対側の手でカップ本体を握って支える。まだ中身は熱くて、私はテーブルにカップを置いて慌てて布巾で手を冷やした。
「……本当に?」
「……本当さ」
言って、パパはマグカップを一口あおる。
「将来はコイツと一緒になりたいって言うコがいてね。しばらく交際していたんだけど、ある時家にバレたんだ。古い家だったから、それはそれは猛反対。親父にも兄たちにもめっためたに叱られたよ。お前は不潔だとかなんとか」
「そんな……」
遠い目をしたパパに、私は何も言葉が出なくなる。
「結局そのコとは別れて……君のママに出会ったのはそのしばらく後だったかな。人として、とても魅力的だった。ボクが性を好きになるんじゃなくて人を好きになるんだって気づいたのは、君のママに会ってからだ」
「そう、だったんだ……」
私はパパのジェンダーなんて気にも留めたことがなかった。
私がパパとママにカムしたのは中学二年、ネコと付き合い始めたころ。
パパもママも当たり前に受け入れてくれて、応援してくれて、しばらくはそれが普通だと思っていた。
やがて、自分の両親は特別に理解がある親なんだと気づく。
でも、それだけじゃなかったんだ。パパは、私が自分と同じ気持ちにならないようにしてくれていたんだ。
「じゃあ、パパが実家と縁を切ったのって……」
「半分はそう。もう半分は君のママと婚約したときに親父に言われたことが原因かな」
一転して、パパの額に深いシワが刻まれた。
「……なんて言われたの?」
私が恐る恐る聞くと、パパはため息を一つついていった。
「『ようやくまともになったな』って」
その言葉に思わず、マグカップを持つ手に力が入った。
「なにそれ、ムカつく。まるで病気みたいな言い草じゃん」
「だろ? だからブチギレて出て行ったよ。そのせいで結婚式を挙げられなかったのが心残りだけどね」
パパはまた、遠い目をして続けた。
「その時のママの言葉がね、ずっと心に残ってるんだ」
「ママは、なんて?」
パパに、穏やかな表情が戻ってきていた。
「『私たちの子供には、こんな思い絶対にさせないようにしましょうね』って。パパはその言葉が嬉しくてうれしくて。ホントに涙が出るくらいうれしかった。そして誓ったよ。ボクらの子供には、望む通りの幸せな恋愛をしてもらおうねって」
「そっか……ママ、すごいね」
「そうだろう。自慢の奥さんだよ」
そう言って、パパは満面の笑みを浮かべた。
「うん……」
「だから、鈴音が祢子ちゃんと付き合うことになったって聞いたときは、ボクらはとっくに受け入れる準備ができていた。特別に立派なんてことはないんだ。ただ、娘に同じ苦しみを味わってほしくない。それだけなんだ」
「パパ……」
「まあ、すぐに別れちゃったって聞いたときはボクもママも結構ガッカリしたんだけど」
「ヴっ」
油断していたところに不意打ちを食らい、私はホットミルクをむせた。
やっべごめんなさいごめんなさいごめんなさいパパ私実は今はそのネコとも二股しちゃってますぅうううう!
まずい。両親が立派すぎて良心の呵責が起き始めた。
確かに今、私はパパの言う望み通りの恋愛をしてるけど……その実、だいぶ不純だ。
いっそのことぶちまけてしまおうか、いやいやそんなのダメだ。叱られて、楽になりたいだけじゃないの。
死んでも言うんじゃないわよ私。
「とにかく、新しい恋人ができたって聞いて、パパは嬉しかったし、ママも喜んでたよ。それだけさ」
言って、パパは飲み終えて空になったマグカップを台所に運んだ。
「飲み終わったら置いておいて。パパが片付けるから」
「あ、うん。アリガト……」
私は後ろめたい気持ちを、少し冷めたホットミルクと一緒に、胃の中に流し込んだ。
「……ねえパパ、もう一個聞いていい」
自分の気持ちを誤魔化すついでに、自分の中にあるわだかまりを一つ、パパにぶつけてみることにした。
「なんだい、鈴音」
パパは台所に立ったまま、私の声に耳を傾ける。
「その……パパはいわゆるパンセクシャル……ってことよね。やっぱり、異性と交際できるなら異性としたほうがいい……って、思う?」
「……うーん……」
パパは少し考えこんで、軽く頷いてから、答えた。
「少なくとも今の日本ではまだ、そうだね」
「そうよね……」
私はため息をついて、俯く。
やっぱり、パパも私と同じ考えだ。当然だ。仕方ないけれど。
「私、さ……自分が同性好きかもしれないって悩んでる友達に同じこと言っちゃった」
「そっか、それはちょっと、気が早かったかもしれないね」
「そう……かな」
食卓で俯く私の隣に、パパが座る。
「人生の最終的なパートナーを選ぶ時なら、そして選べるのなら、今のこの国では異性の方が良い……と思うよ。……鈴音は異性を選ぶ選択肢が最初から無くて、それが大変な道だって知ってるから、出来るなら友達に同じ轍を踏んでほしくなかったんだね」
「……ん……」
私は曖昧に頷く。
「でも、学生の恋愛なんだから、もっと自由でいいよ。もし傷ついたり苦しんだりしても、その傷はその人の大事な経験になる」
「そうよね……まずは自分の気持ちをちゃんと確かめろとは言った」
「それでいい。もしお友達の気持ちが本物だったら、全力で応援してあげればいいのさ」
そう言って、パパは私の肩にポンと手を乗せた。
私はうつむいたまま、そのぬくもりにしばらく身を任せていた。
―――
「パパ、最後にもう一つ聞きたいことがあるんだけど」
部屋に戻る前に、もう一つだけパパに聞きたいことがあった。
「実家とは縁切ったとはいえ、お寺生まれよね」
「うん。そうだよ」
「『呪い』ってあると思う?」
「『呪い』? 呪いかあ~」
パパは顎を押さえて、少し考えこむ。
「まあ、無いといえば無いし、あるといえばあるかなあ」
「なに、禅問答?」
ジト目で見る私に、パパが首を振って答える。
「例えば鈴音、キミのことを嫌っている人がいるとして、その人が君に呪いをかけたなんてうわさを聞いたら、呪いの効果が実際になくても、気分が悪くなったりすると思わない?」
「あ、確かにあるかも……」
「これはノセボ効果と言って、いわゆるプラシーボ効果の逆だね」
つまり、呪いそのものが物理的に作用する力を持つのではなく、信じる人の精神が身体や運命に影響を与えるという考え方だ。
「それじゃあ、呪いなんかまったく信じなければ効果は発生しない……?」
「そういうこと。もし心配なら……そうだ、いいものがある」
と、パパは書斎の方に向かっていった。
「うわっ、埃すごいな。今度帰ってきたとき掃除しなきゃ……」
書斎の中からパパの独り言が聞こえてきて、そのまましばらく待っていると、真っ白なお守りを一つ手に取って帰ってきた。
「これ、呪詛返しのお守り」
「呪詛返しって、呪ってきた相手にそのまま呪いを返すっていうやつよね」
私はパパに渡されたお守りを手に取る。『御守』とだけ描かれたごく普通のお守りだ。
「これ、本当に効果あるやつだぞ~。これまでパパに襲い掛かて来た悪霊や怨霊を追い払ってきた正真正銘の護符が入っているんだ」
「はいはい。ようするに、そう信じてこれを持てばプラシーボ効果がノセボ効果を相殺してくれるってことでしょ」
私は呆れながら、お守りについていたひもを指に引っ掛け、くるくると回した。
「でも助かるわ、パパ」
私はお守りを再び手に取ると立ち上がり、自分の部屋に戻ろうと、リビングのドアを開けた。
でていく前に、パパに向かって振り向く。
「それじゃ、お休み。いろいろ話してくれてありがとう、パパ」
「ああ、パパももう寝るよ。おやすみなさい」
そう言って、パパは手を振り、台所の片付けに入った。
私も部屋に戻り、床に敷いてある客用布団に潜り込む。
(あれ、でも今の理屈だと、呪われてる自覚がないと役に立たないわよねこのお守り……)
私は手の中のお守りを見て、そのまま枕元に置いた。
(まあ、いいか……幸運のお守りとかなんとか言ってのんに渡そ……)




