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言わないと伝わらない

「梓!おはよ!」


華月が私に飛びついてきた。


「おはよ」


私は小さく返事をした。


「あれ?梓、何か元気なくない?」

「ちょっとね」


私は目をそらしながら答えた。


「何があったの?話してみてよ」


華月は真剣な顔で言った。

心配かけたくないな。


「ううん、別に大したことないよ」


そう言って、私は微笑もうとしたけど、口元が震えた。

朝、顔を合わせたお母さんは私になにも言わなかった。

蓮華は私と目を合わせなかった。

お父さんはいつも通りいなかった。


◇◆◇


私達は学校に行って、いつも通り授業を受けた。

そして華月といつも通り家に帰った。

帰り道、華月にすごく心配そうな顔をされた。

家に入ろうとした華月が振り向いた。


「ちょっと上がってけよ」

「え、いいの?」


驚いた。

まるで私の考えていたことがお見通しみたいだったから。

自然と足が華月の家の中へ向かっていた。

玄関に入ると、温かい空気が私を包んだ。

壁には華月の家族の写真が飾られていて、どれも笑顔ばかりだった。

華月はリビングに私を案内した。


「座ってて」


華月はそう言って私を椅子に座らせた。

そしてキッチンからお茶を持ってきた。

コップを差し出されて、私は少し戸惑いながらも受け取った。


「何かあったら、話してもいいんだよ」


華月の声は優しくて、胸の奥の何かが少しだけほぐれる気がした。

私はゆっくりと息を吐いた。


「…………妹がいるの」

「言ってたな」


覚えていてくれたのか。


「私、昔から妹に物を取られて、壊されて、ずっと我慢してた。だって、怒るとお母さんが『お姉ちゃんなんだから我慢しなさい』って言うから」

「…………」

「いつからか、私は我慢することが当たり前になってて、大切なノートを奪われた時でさえ怒れなかった。いや、怒ってはいたかな。お母さんには拗ねてたように見えたみたいだけど」


華月は眉をひそめて私の話を聞いてくれている。

そして、力強い目つきで私に聞いた。


「それは妹が悪いだろ。なんでお前だけ責められるの?」

「お姉ちゃんだから」

「お姉ちゃんでも中身はれっきとした人間だ。我慢し続ければ辛くもなる」


それはごもっともだけど、私には対抗する術がなかった。

お父さんに相談しようにもここ一ヶ月はまともに顔を合わせていない。

昔はもっと顔を合わせていたのにな。


「……私、妹を殴ったの」

「…………」

「お母さん、それですごく怒ってて……。私が悪いのかなって思ったりしてさ」

「何があった?」


和樹はまっすぐな目で言った。

私から目を逸らそうとせず、ただひたすらに話を聞いてくれようとしている。


「……妹が、蓮華が私のすごく大切なシャーペンを壊しちゃってさ。おかしいよね。シャーペンなんてまた買えばいいのに。ねぇ華月。言って。それは私が悪いって、間違ってるって」

「…………嫌だ」

「何で?」

「お前が正しいからだ」


正しい?

今までそんなこと言われたことがない。

私はお姉ちゃんなんだから我慢しないと駄目なのに。

妹が悪気なくやったことは許すべきなのに。


「……じゃあ聞くけど、お前のその大切なシャーペンとその代わりで買ったシャーペン。どっちも同じ価値になるか?」

「なるわけないじゃん」

「それだよ。だから新しく買えばいいなんてのは通用しない」


そうか。

そうだった。

蓮華に壊された物や取られた物を新しく買い与えられても、喪失感が消えなかったのはそれが理由か。

友達からもらった物と、自分で買ったり親から買ってもらった物では気持ちが根っから違う。


「梓、我慢はやめてお母さんに言おう。このままだとお前、ずっと失い続けるぞ」

「だけど……私はお姉ちゃんだから我慢しないと――」

「お前は!姉である前に人間なんだ!我慢ばっかの人生で楽しいか?楽しくないだろ!」

「楽しくないよ……楽しくないけど、ずっとそうやって言われてきたから……」

「気持ちを大事にしろ。お前はもう十分我慢してるんだから」

「……っ!」


初めて、自分を肯定された気がした。

もう、我慢しなくていいの?

もう、怒ってもいいの?

もう、失わなくていいの?

私はソファーから立ち上がった。


「ありがとう華月。もう痩せ我慢はやめる」


◇◆◇


私は家のドアを開けた。

リビングに行くと、お母さんが食卓に座っていた。

そして、私を一瞥した。


「座って」


お母さんは前にある椅子を指さして言った。

私は指示通り座った。


「聞きたいの。何で昨日蓮華を殴ったの?」

「昨日言った通りだよ。蓮華がシャーペンを壊したから」


怖い。

また怒られたらどうしよう。

逃げたい。

逃げちゃ駄目。

でも向き合わないと。


「シャーペンなんてまた買ってあげ――」

「そうじゃないの……」


私が食い気味で言ったからお母さんは言葉をそこで止めた。

いつも怒られてる時は素直だったから驚いたのだろう。


「あのシャーペンは転校する時友達がくれた大切なシャーペンだったの」

「…………」

「ブレスレットも、鉛筆も、造花も、ノートも、シャーペンも、全部私にとってはかけがえのないものだったの」


お母さんは私の話を黙って聞いていた。

いつものように「また買えばいい」とか言わない。

ただ、じっと私を見ている。


「私、ずっと我慢してきた。蓮華が悪気なくやってるのも分かってる。でも……」


声が震える。

でも、もう止まらない。


「でも、私だって人間なの。大切なものを壊されたら悲しいし、取られたら怒るの。それなのに、いつも『お姉ちゃんなんだから』って言われて……」


お母さんの表情が少しずつ変わっていく。


「私、お姉ちゃんである前に梓なんだよ。一人の人間なんだよ」


華月の言葉を借りて、私は続けた。


「もう我慢したくない。蓮華のことは嫌いじゃないけど、私の大切なものまで犠牲にするのはもう嫌」


お母さんはゆっくりと息を吐いた。

そして、手で顔を覆った。


「……ごめんなさい」


え?


「梓、本当にごめんなさい」


お母さんが謝った?

お母さんが、私に謝ってる?


「お母さん……?」

「私、気づいてなかった。いえ、気づかないふりをしてたのかも」


お母さんは顔を上げた。

目が少し赤い。


「蓮華はまだ小さいから、どうしても手がかかって……あなたには我慢ばかりさせてしまったみたいね」

「…………」

「『お姉ちゃんなんだから』って言葉で、あなたの気持ちを押し殺してしまってた」


お母さんは立ち上がって、私の前に立った。


「梓の大切なものを奪ってしまって……守ってあげられなくて、本当にごめんなさい」


私の目から涙がぽろぽろ落ちた。

ずっとずっと我慢してきたものが溢れてくる。

お母さんも涙を流し始めた。


「お母さん……」

「これからは気をつける。蓮華にもきちんと説明するから。人の大切なものは勝手に触ってはいけないって」


お母さんは私を抱きしめてくれた。

久しぶりだった。

蓮華が生まれてから、こんなふうに抱きしめてもらったのは。


「梓も、蓮華も、私の大切な娘よ」


その言葉を聞いて、私はわんわん泣いた。

子供みたいに泣いた。


◇◆◇


次の日の朝、いつもより早く起きて階段を降りると、お母さんがキッチンにいた。


「おはよう、梓」

「おはよう……」


まだ昨日のことが現実だったのか分からないような気持ちだった。


「蓮華はまだ寝てるから、二人で話しましょうか」


お母さんはコーヒーを淹れながら言った。

私の分には温かいココアを用意してくれている。


「梓のお友達から聞いたの。シャーペンのこと」

「え?」

「昨日の夕方、華月くんが来たのよ。『梓のシャーペンの件で話があります』って」


華月が?

私はお母さんと話した後、お使いに出たからそれには気づかなかった。


「とても真剣な顔で、あなたがどれだけそのシャーペンを大切にしていたか教えてくれたの」


お母さんは私の前に座った。


「『梓は今まで十分我慢してきました。もう我慢させないでください』って言われて……ハッとしたの」

「華月が……」

「いい友達ね。あなたのことをちゃんと見てくれてる」


そうだ。

華月は私のことを見てくれていた。

我慢している私に気づいて、我慢しすぎるのは良くないと教えてくれた。


「お母さん、私……」

「ん?」

「友達に恵まれてるかも」


お母さんは微笑んだ。


「そうね。大切にしなさい」


しばらくして、蓮華が階段を降りてきた。

寝癖で髪がぴょんぴょん跳ねている。


「お姉ちゃん……」


蓮華は恐る恐る私を見た。

そういえば、昨日から目が合わなかったな。

殴ってしまったから、怖がっているのかもしれない。


「蓮華、おはよう」


私は優しく声をかけた。


「……おはよう」


蓮華はそっと私の隣に座った。

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