29.逆転の狼煙
「連中はあなたを死んだと思ってる」
肌着のボタンを上へ上へと留めながら、エレーナは言った。
「ローザの手紙を信じるのかい」とルート。
「殺す気なら簡単だっただろうね」手櫛で髪を整える彼女の表情は浮かない。「心臓を直接刺すくらいできたはず。第一ポーションも渡す必要ない」
「……この街から逃げろ、か」
ベッドの縁に腰を下ろしているルートの視線は、部屋の薄暗い入り口を見据えている。
「新聞の死亡欄に名前を出しておかないと」
上着に手を通そうとしていたエレーナの動きが止まった。
新聞の死亡欄に名前が載れば、セブンペガサスの連中はルートを死んだものと思うだろう。
姿を隠して街を出て、他の国に逃げてしまえば当面の安全は保障される。
しかしそれはこの国で築きかけていた地位や財をも捨てることになる。
ルートの『大富豪になる』こと、エレーナの『妹を探す』、いずれの目標からも遠のいてしまうのは間違いなかった。
「そう、だね。……うん、命には代えられない。また何度でも、どこでだってやり直せるよ」明るく言うエレーナ。「新聞の方は任せておいて。私が頼んでおくから」
するとルートは振り向いて妻を見つめた。
「ありがとう。それとね、手紙を3つ出したいんだ。書いたら郵便まで届けてくれるかな?」
深刻さを全く感じさせない溌剌とした夫の物言いにきょとん、とする。
「いい……けど。だれ宛? こんな時に」
「まずは一番優先度の低い手紙だけど……」次に彼が言った単語にエレーナは言葉を失った。「国王」
「えっ」
「新聞に僕の死亡が掲載されるが、それは“戦略的”なものだということを断っておかないとね」
「せ、“戦略的”?」
「あとの二人は情報屋とギルドマスターだ。前者にはセブンペガサスの抱えてる現金を。後者にはギルド買収の話を持ち掛ける」
「まってまってまって! ルゥ、それって……まだ連中と戦って、ギルドも……あの『ブレイブ・ロア』を買収する気でいるってこと!?」
「もちろん」彼は大きくうなずいた。「鎧を国に売って稼ごうと思っていたが、やめた。残りの2000枚は『セブン・ペガサス』から、ヴァルダルから直接もらうことにする」
エレーナはすぐにフロントに言って、便せんを出来るだけ持ってきてもらった。
便せんを受け取ったルートも間を置かずに手紙を3通したためて、封筒に入れてエレーナに渡す。彼女はそれをフロントへ持っていき、銀貨1枚と共に渡す。
銀貨を見たフロントは尻に火が付いたように郵便局へと走っていった。
まず返事があったのはギルドマスターだった。
夜に出した手紙が、翌日の昼過ぎには返ってきた。
『セブンペガサス』を擁するギルドマスターの権利買収額の見積もりは、事前の調査によれば2万枚程度とされていたが、ルートは先方に1万5000枚を提示していた。
本気でその額で交渉が成立すると考えていたわけではない。
ただ資金力があることと、稼ぎ頭でもあり悩みの種でもある『セブンペガサス』の問題を解決する、と知らせるための手紙だった。
ギルドマスターからの返事には悪筆かつびっしりと、こんな旨が書かれていた。
『金貨2万1千枚。これ以下は銅貨1枚も譲らない』
『あの勇者たちをお宅の会社が本気でコントロールできるとは思えない』
『でもまあそれだけの金貨があればずっと夢だった世界外遊ハーレム酒池肉林旅行が一生できるので、前向きに考えてもらいたい』
「金貨2万1千枚か……」
予測値よりも金貨1千枚高い。
ルートの呟きに、彼の腕を枕にしていたエレーナが反応する。
「うちの資産が1万8000枚、だったね」
無言で彼はうなずいた。
「あと3千枚だ。……情報屋の便りを待つしかないね」
まもなく手紙が一通、返ってきた。
しかし返事は王室からで、内容はルートが送った手紙そのものの裏面に『承知』とだけ書いた些末なものだった。
後に大問題に発展したときに関与を疑われたくないがゆえの対応だろう。
どうでもいい方の返事が来たことにルートは苛立って、やがて部屋の中をウロウロと右往左往するようになった。
手紙一通に自分たちの未来がかかわるというのに、エレーナは歩き回るルートに目と顔の向きをぴったりと吸い付かせ、微笑みながら見守っていたり、新聞から得た時事ネタを話して彼の緊張をほぐしてやったりした。
そうしているとホテルのボーイが三度となる手紙を持ってきた。
奪い取るように手紙を受け取ったルートは閉めた扉の響きも収まらないうちに、それを開封し始める。
そこには箇条書きにこう書いてあった。
『セブンペガサスが保有する現金。銅貨200枚、銀貨4000枚、金貨3800枚。いずれも金庫の容積、重量等から試算した推定枚数』
総計金貨4200枚相当の資産が『セブン・ペガサス』の屋敷に保管されている。
1万8000千枚に足せば……
「……届く」
力強いつぶやきをルートがこぼした直後、ドアがノックされた。
来客は、シェリーだった。
目にたっぷりと隈を作って、背後には巨大な箱を引きずってきている。
「完成しましたよ、《ORIS》が――」
そのまま彼女は前のめりに倒れ、顔面を強打したにも関わらず寝息を立て始めた。




